『吸血鬼ドラキュラ』 ブラム・ストーカー ジョナサン・ハーカーの日記《速記文字による》 五月三日。ビストリッツ―五月一日、明朝未明に着くというので、午後八時三十五分、ミュンヘン発。翌朝六時四十六分着のはずが、列車遅延のため、一時間延着。汽車からチラリと見ただけだが、ブダペストというところはなかなかすばらしい所らしい。(中略)宵の内にクラウゼンブルグ着。ホテル・ロエールに投宿。夕食とも夜食ともつかぬ食事をとる。トウガラシで調理したチキン料理を食べたが、すこぶる美味なり。ただし、あとでやけにのどが乾いた(備忘。ミナのために料理法をきいておくこと)。給仕人に聞くと「パプリカ・ヘンドル」という、この地方の郷土料理だそうで、カルパチア地方へ行けば、どこでも出る料理のよし。(中略)朝食は例によってまたパプリカ。それと、この辺で「ママリガ」といっているトウモロコシの粥に、挽肉を詰めたナスビの煮込み。「インプレタタ」というのだそうだが、これがたいへんうまかった(備忘。これも調理法を聞いておくべし)。(中略)
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●作者紹介 ブラム・ストーカーBram Stoker (1847〜1912)。 本名エイブラハム・ストーカー。 |
●作品紹介 『吸血鬼ドラキュラ』 |
ドラキュラ伯爵と時代背景 ホラー小説の帝王ともいうべきドラキュラ伯爵が生まれたのは、今を去ること100年前(1997年はドラキュラ伯爵生誕100年となり、世界各地でドラキュラにちなむイベントが催され、関係書籍が出版された)。ちなみに、コナン・ドイル*5によるシャーロック・ホームズの誕生に遅れること10年である。時は19世紀末、ビクトリア女王の治下(1837-1901)。大英帝国がもっとも輝いていたといわれる時代のこと。産業革命の成功でイギリス経済は発展し、活発な植民地経営と貿易によってロンドンは世界中から、人や物や情報が集まる最先端都市として栄えていた(ドラキュラ伯爵もそのロンドンに魅せられて、はるばるカルパチアの山奥から進出をはかるのである)。その繁栄の裏で、ロンドンの街中は煤煙に覆われ、スラム、売春、阿片中毒などの害悪も広がっていった。安価な大衆向けの日刊新聞が発行されるようになったのもこの頃で、ゴシップや猟奇連続殺人事件などをことさらあおるような絵入りの記事が紙面をにぎわせる。さらには「科学の進歩」の反動のように、心霊学研究などが盛んになり、降霊会が各所で催されたり、またホラー小説も流行するなど、一大オカルトブームが到来していた。小説『ドラキュラ』は、その流れにのって評判になったものである。 時代を反映するように、この小説には最新の技術や機械がたくさん登場する。ジョナサンの日記が「速記術」で書かれていることもその一つである(速記が日常生活にも普及したのは、1837年にイギリス人のピットマンの新方式によるところが大きい。その功によりビクトリア女王はナイト爵位を授与した)。 |
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さらに後半、ドラキュラ伯爵との戦いの記録には、「蝋管蓄音機」が登場する(アメリカでエジソンが蓄音機を発明したのが1876年であるから、最新鋭のハイテク機器といった趣である)。ドラキュラと戦う、いわば「正義の」人々の中に精神科医が登場し、催眠術を駆使したりすることも新しい感覚だったのではないだろうか(精神分析学の創始者フロイト[1856〜1939]もこの時代の人)。なんと「吸血」鬼の被害者を救うために、「輸血」も行われる(ABO式血液型が発見されるのは1901年になってからのことで、この小説の執筆当時はまだ、不適合による副作用の危険のほうがはるかに大きい、無謀な治療法だったはずである)。しかし、古い伝説と迷信から生まれ、「未知の辺境」から出現した魔物に、「文明の地」の人々が対抗する手段は結局は最新の機械ではなく「にんにく」「木の杭」「聖水」であった・・・。そして物語は邪悪に打ち克つのは、いつの世も常に正しき人の心であるといった教訓で締めくくられる。 |
カルパチア山脈の渓谷 |
エスニックな恐怖、エスニックな料理 |
*1ジェイムズ・ジョイスJames Joyce(1882〜1941)アイルランドの作家。ダブリン生まれ。代表作は『ダブリン市民』(1914)『ユリシーズ』(1922)『フィネガンズ・ウェイク』(1939) *2オスカー・ワイルドOscar Wilde(1854〜1900)イギリスの詩人、小説家、劇作家。アイルランドのダブリン生まれ。ダブリン大学とオックスフォード大学で学ぶ。代表作は『ドリアン・グレイの肖像』(1891)『サロメ』(1893) *3バーナード・ショーGeorge Bernard Shaw(1856〜1950)イギリスの劇作家、小説家、批評家。アイルランドのダブリン生まれ。 *4ヘンリー・アーヴィングSir Henry Irving(1838〜1905)本名ジョン・ヘンリー・ブロドリブJhon Henry Brodribb。俳優、劇場経営者。イギリスサマセット州生まれ。1895年俳優として初めてナイト爵に叙される。 *5コナン・ドイルSir Arthur Conan Doyle(1859〜1930)イギリスの探偵小説家。アイルランド人の両親からスコットランドのエディンバラで生まれる。『緋色の研究』(1887)をはじめとするシャーロック・ホームズものの他、『心霊術の歴史』(1926)などの作品がある。 *6現在『ドラキュラ』の舞台といえば「ルーマニア」と言われるが、ルーマニアが国家としての独立を宣言したのは1877年。トランシルヴァニアを併合したのは第1次世界大戦の末期である。『ドラキュラ』発表当時、トランシルヴァニアはオーストリア=ハンガリー帝国の辺境地方であった。現在でも、本国よりむしろ、ルーマニア領のエルデーイ(トランシルヴァニア)地方に、ハンガリーの昔の習俗が色濃く残っているといわれる。 |
ブラン城 カルパチア山脈中心部ブラショフにあり、ドラキュラのモデルになったという15世紀のワラキア(ルーマニア南部)公ヴラド4世が一時期滞在していたことから、ドラキュラ城として観光名所になっている。 |
ルーマニアに『ドラキュラ』ゆかりの地を訪ねるなら 小説『ドラキュラ』をもっと詳しく知りたい人に |