■料理レシピに著作権はあるのだろうか
● フランスの業界紙をながめているとある記事が目につきました。その見出しは《盗作、スパイ行為、それともインスピレーション》というもの。内容を要約すると:リヨンのレストラン『ロトンド』(ミシュラン“ギッド・ルージュ”で2つ星の評価)のオーナーシェフ、フィリップ・ガヴロゥ氏が、数年間共に仕事をし、現在は独立してボルドーの『シャポン・ファン』のシェフを務めるフランク・フェリグッティ氏に対して、「レシピの盗作、模倣をしている。今後は自分の個性に合った料理を出すように」という内容の文面を送り、正式に抗議を行ったというものだった。この抗議に対してフランク・フェリグッティ氏は「新規オープンに際してメニューを構成する時間がなかった。とにかく自分の頭の中に入っている料理で構成するしかなかった。確かに料理名に関してはフィリップの言うとおりだと思う。でも、その作り方に関しては同じものじゃないんだ。フィリップと同じ作り方はしていない」と抗弁し、「僕はフィリップの仕事はすばらしいと思っている。だから心からこの問題が解決することを望んでいるよ。彼が僕に対して激怒しているとしても、僕の彼に対する評価はかわらない。とにかく争いはやめないとね。僕も一番たいへんな時期を乗り越えたので、今は自分のスタイルの料理を見出すことができると思っているよ」と述べている。現在の『シャポン・ファン』のメニューは『ロトンド』とはまったく別のものとなっている、というようなものでした。
●この<レシピの喧嘩>に関してフランス料理界の帝王ポール・ボキューズ氏とアルザス(イールオゼルン)の3つ星レストラン『オーヴェルジュ・ド・リール』のマーク・エーベルラン氏が発言しているので少し長くなりますが引用してみましょう。
●…しかし、こういったレシピの「コピー」は今に始まったことではないらしい。ポール・ボキューズに言わせると「何冊かの料理を見ると、必ず類似した料理を見つけることができる」そして、「誰かの真似をするやつは、そいつのケツの穴しか見えちゃいないんだ」となる。“料理界の帝王”はいずれにしろ料理は多かれ少なかれ影響をあたえるし、コピーもされると言う。しかし、そこに職業的倫理のようなものは存在しないのだろうか。「ひとつのことがうまくいくと皆同じようにするものなんだ。私は自宅にフィリップ・スタルクデザインの椅子を持っているけれど、中国で複製されたものだよ。で、スタルクは英国王室海軍の椅子からこのデザインを思い付いたらしい。それに私たちが経営しているブラッスリー『レスト』はアメリカのオーランドにある『キャリフォルニア・グリル』を真似したものだよ。料理のことで言うと、ポワンは
(鮭のパイ包み焼き)”を作った。そして、その頃ポワンの店で働いていたウーチエが後になって (スズキのパイ包み焼き)”を自分の店で提供して大成功した。すべては既に作られていると言えるだろう。現在、料理で差異化を出すにはいかにして上質の素材を入手するか、これしか
ない。でも、これがなかなか難しいんだ。でも、いったんルートを見つけてしまうと後は特別に何かあるわけじゃない。確かにレシピをしっかりと保護するために登録しようという話が盛り上がったことがある。いいことだと思うよ。でもいったい何を登録するというのだろうね。「影響」というのは常にある。私がどうやって“Soupe
aux truffes”を思いついたか知っているかい?最初、アルデッシュのデュマ兄弟の店で野菜ポタージュの中に薄切りにしたトリュフを加えたものを食べた。これが実に美味しかった。後日、ポール・エーベルランの所で、
“Truffes Souvaroff”(*小さな器にトリュフとソース・ペリグーを加え、全体をフィユタージュで覆った料理)てを食べた。で、私はこの2種類のレシピの混合を考えたってわけだ。スープの代わりに鶏のコンソメとノワイープラ(*ヴェルモット酒の商標)でつくった野菜のミルポワをリヨン地方独特の小さなスープ入れに入れて出すことにしたんだ。」
●また、マーク・エーベルランは次のように語っている。「私の父はリヴォーヴィレにいたツァーの料理人エドゥアルド・ウェベールから多くの料理を吸収しました。私が思うに誰でも、自分が目にしたもの、あるいは学んだものから着想を得たり、影響を受けたりするのではないでしょうか。でも、もしある料理人のレシピとまるっきり同じものを出すときはその料理人の名前をつけたりすることは尊重すべきちょっとした礼儀だと思うけれどね。高級料理組合の主導でそれぞれの店のレシピを1ヶ月に1品登録し「著作権」として保護しようという動きがあることは知っています。組合から依頼を受けた弁護士の説明では、実際にそのようにレシピを保護するのはむずかしいということでした。この件に関してはココ・シャネルの言っていたことを思い出すべきでしょう。すなわち、コピーされるっていうのはそれだけの価値があるということだ、ってことですよ。」
●最後にポール・ボキューズの結論「誰かに影響を与えるっていうのはすばらしいことだと思うよ。それにフィリップ・ガヴロゥは既に新たな料理を作り出しているにちがいないよ」
●フィリップ・ガヴロゥ氏は、フランス料理業界の若い世代の旗手のひとりです。一方、73才のポール・ボキューズ氏はまだばりばりの現役ではありますが、やはり一昔前の世代と言わせていただいてもいいでしょう。もうひとりのマーク・エーベルランはちょうど二つの世代をつなぐような世代でしょうか。このレシピの著作権は言わば「情報公開」をよしとするかという問題です。このことに関してより柔軟なのは、本来ガヴロゥ氏の世代ではないでしょうか?でも、この「レシピ論争」を読む限りそうは思えません。職業的な倫理観からみればガヴロゥ氏の腹立ちも理解できなくはないのですが、どうしてもレシピに関する限り、「著作権」のようなものをしっかりと設定するのは難しいような気がしてなりません。もし、それぞれの料理人がレシピを自分の腕で囲い込んでしまうと「料理」そのものの進歩が止まってしまうのではないでしょうか?文化は混ざりあい、発展してきました。料理も同じではないでしょうか。相互影響し合い、そして新たな着想や創造が生まれてくるのではないでしょうか。
須山 泰秀