Q. 製菓の専門学校を卒業した後の、将来像が漠然としています…。|Questions(クエッションズ)│辻調グループ - 食のプロを育てる学校

製菓の世界で
活躍する卒業生への質問

まだ卒業後の進路が、漠然としています…

具体的な夢や目標がないとダメですか?

学びや経験はすべて生きると信じて進む

食べ歩き友だちだった同窓生が結婚し、力を合わせて故郷でパティスリーを開業。基礎力と人とのご縁の大切さを感じる。

2022.5.27
黒田高広さん/黒田知里さん
パティスリー ルノワール オーナーシェフ マダム
基礎から学び応用力を高めていった夫婦が、シェフの地元出雲でパティスリーを開業。
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製菓の面白さに惹かれ進学。

「料理と違い、お菓子って形のないところからつくるでしょう。卵、砂糖、小麦粉、バターなどの同じ材料でも、作り方によって違うものができてくる。その面白さを体験実習で感じて、パティシエをめざそうと決めました」(黒田高広さん 辻󠄀製菓専門学校2007年卒業 島根県出身)

幼い頃からお菓子づくりが好きだった知里さん。洋菓子をメインとするカフェを開くのが夢だった。進学した辻󠄀製菓専門学校で高広さんと同じクラスになり、「いつかお店を開きたい」という共通の夢で意気投合する。(黒田知里さん 辻󠄀製菓専門学校2007年卒業 辻󠄀調理師専門学校2009年卒業)
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入学すると、知らないことばかりで面白い。フランス菓子のベースを学ぶ。

「辻󠄀のルセット(レシピ)って、ザ・フランス菓子って感じの古典的なものなんですよ。だから、すごく甘かったり、お酒がきつかったりするんですが、先生方も『お店で出すなら、こうアレンジしたらいい』と教えてくれて。もともとのベースがあって、そこから人や店によって違うものになっていくのも面白い。どれも同じじゃなく、自分で決められるんだという部分にも、とても惹かれました」(高広さん)
20~23

独立を目指す人を採りたいという店に就職。

「自分の将来を考え、厳しいお店で修業をし、地元に戻って開業されているところで働きたかったんですよ。もう一つのお店と迷っていたんですが、面接の2日前、たまたま『お菓子のお店Kazu』のOBだった先輩の講習が学校であり、お話を伺って決意。そもそも独立をめざす人を採りたいという方針で、当時は4年で卒業だと面接の時点で言われました」(高広さん)

卒業後はさまざまな経験を積もうと、朝はパン店、昼はスフレチーズ専門店など、数々のアルバイトに励むも、道が絞れず1年後、辻󠄀調理師専門学校のカフェクラスに再進学。2009年の卒業後は帝国ホテル大阪に就職する。(知里さん)
20~23

4年間ですべてを学ぶ。

「育てた人材を次々に送りだすのは、教える側にとっては非効率的かもしれませんが、シェフ(山本一人オーナーシェフ)自身がそういうお店で修業されていて。全国各地に人脈が広がるのは、大きな喜びがあるという考えだったようです。4年間ですべてを学ぶため、半年でポジションが変わるので大変でしたが、その分、集中して学べました」
お菓子の基礎はもちろん、礼儀作法も徹底的に叩き込まれた。コンクールにも積極的に参加。「西日本洋菓子コンテト」の飴細工部門では銅賞に輝いた。(高広さん)
20~23

接客を学ぶことで人としても成長できた。

「由緒あるホテルなら、基礎からしっかり学べそうだなと志望しました。1年目はペストリーの販売職だったんですが、言葉遣いや礼儀など、接客面もしっかり教えてもらえ、人としても成長できたと思います。外国の方を含め、本当にいろんなお客様がいらっしゃったので、対応力はかなり鍛えられましたね。販売は、お客様の表情が見られたり、いろんな感想が聞けたりして楽しい。喜ばれるとうれしくなり、この仕事が大好きだと感じていました」
その頃、食べ歩き友だちだった高広さんと付き合うことに。2年目には製菓担当となるが、加古川への移住を機に退職。(知里さん)
24~27

新しいケーキが次々と生み出されていく刺激的な日々。

2011年にお店を卒業すると、就職時に迷っていたもう一つのお店、兵庫県加古川市の『ヌーヴェルパティスリーともなが』へ。
「ほかとは全然違う個性的なお店で、シェフがすごい職人なんです。ケーキのデザインがとても斬新で、常に新しいケーキが次々と生みだされていくので、毎日の仕事が刺激的でした。基礎を身につけてから働けたことが、結果、とても良かったと感じています」(高広さん)
2012年には高広さんの地元にあった結婚式場『ヴィラ・ノッツェ コルティーレ出雲』で結婚式を行う。そこが高広さんの分岐点にもなった。
27~31

結婚式場への転職を決意。

「2店舗に勤め、ためてきたものを地元で試して反応を見たかったんですよね。自分がある程度、自由にできて、ゆくゆく近くで独立開業しても、迷惑がかからないところ。そう考えると、結婚式場がベストだなと。ただ、『Kazu』のOBからは、あまり賛成されなかったんです。式場に入って独立した人がいないとか、式場は既製品が多いとか…。でも自分が式を挙げたから、ちゃんと手作りされていることもわかっていたし、前例がないなら自分がつくればいい。むしろ必ず成功させようと気合いが入りました」(高広さん)
27~31

友人の結婚式にと考えた「出雲抹茶ショコラテリーヌ」が商品化される。

地元の老舗茶舗『桃翠園』を家業とする幼なじみが挙式する際に、自分のところのお抹茶も使ってほしいというリクエストをもらう。
「僕自身が結婚するとき、妻の実家へ挨拶に行くのに何かつくっていこうと、友人のお母さんに頼んで『桃翠園』の抹茶を送ってもらったんですよね。その際、『いつも応援しています』という手紙を添えてもらえたことにも感動し、いつか恩返しをしたいと思っていたので、考えに考え抜きました」(高広さん)
こうして完成したのが、出雲産の1kg10万円の高級抹茶を使った『出雲抹茶ショコラテリーヌ』だった。結果は大好評。友人の兄である『桃翠園』の会長から、その場で「通販で売らせてくれないか」と依頼を受け、力になれるならと快諾。後にそれが評判を呼ぶことになる。
32~35

地域活性化や地域貢献などへの姿勢が認められ、起業支援を受けて独立開業へ。

『出雲抹茶ショコラテリーヌ』の好調と、チャレンジしてきたコンクールでの実績などが功を奏し、「令和元年度わくわく島根起業支援事業」に採択され、開業にこぎつける。
「初日には、『Kazu』グループのスタッフやOBたちが9人も応援に駆けつけてくれ、山本シェフ自らもお祝いに来てくださいました。独立する教え子のもとには、必ずそこまで足を運ばれるんです。スタッフを泊まりがけで送りこんでくださったり、OBにも電話して応援を要請してくださったり…。本当にすごい人だと思います。とてもありがたい。『Kazu』グループのつながりは今でも強く、頼もしいです」
32~35

出産と並行して事務系スキルを磨く。

知里さんも2回の出産と並行して、事務系のスキルを磨き、独立への準備を進める。
「実家が自営業で、母が事務をしていたんですよ。それでお店をやるなら必要だと言われていて。出雲に移住してからは喫茶店でのアルバイトを再開したんですが、2人目を授かったタイミングで退職。職業訓練校に通い、簿記と電子会計実務の3級、Excelの資格を取得しました」
32~35

ゆくゆくはカフェ営業もてがけたい。

若くして夢をかなえた黒田夫妻。現在はテイクアウトのみだが、より広い場所へ移転し、ゆくゆくはカフェ営業も手がけたいと、さらなる目標に向けて奮闘中だ。最後に、未来の後輩たちへのアドバイスをもらった。
「基礎は本当に大事です。学校で学んだことは、すべて役に立っています。やってきたことで無駄になる経験なんて一つもない。すべてが生きると思いながら、頑張ってほしいですね」(知里さん)
32~35

自分を磨くことに時間を使ってほしい。

「そのときは『こんなことに意味があるのか』と思ったとしても、5年後10年後に気づくこともあるので、学校の授業も先輩の言葉も聞き流さずにストックしたほうがいい。ここ数年で働き方改革も進み、働く側にとっていい環境になったと思います。だけど同じ30歳になったとき経験している仕事量が全然違ってくるので、ぜひ自由な時間を使って自分を磨いてほしいと思います。また、自身の出身地での起業を一度イメージしてみて、地域創生や起業支援に関わる様々な制度を調べてみるのも、未来への勇気につながると思います」(高広さん)

必死で練習を重ねた。

ウエディングケーキづくりも一番に任せてもらえるよう。

2022.1.18
井上真依さん
株式会社Plan・Do・See パティシエール/キッチンマネージャー
株式会社Plan・Do・Seeに就職。パティシエ、更には料理人も経験、ウエディングケーキの開発にも携わる。人事の統括として東京本社勤務後、京都『丸福樓』のキッチンマネージャーを任される。
18

高校の担任教員からは大学進学を勧められたが、意志は揺らがなかった。

地元京都にある中高一貫校の進学コースに在籍していたが、高校へ上がる前には製菓の道へ進むことを決めていた。
「料理と迷いましたが、お菓子のほうがつくっていてより楽しかったし、人にあげて喜ばれるのもうれしかったんですよね。何校か足を運び、フランス留学の道もある大阪の辻󠄀製菓専門学校に決めたんです。ここなら就職先にも困らないだろうと、父にも後押しされました」
18~19

辻󠄀製菓専門学校のクラスメイトとは、今も連絡をとる大切な存在。

入学後の授業はどれも楽しかった。グループ実習を行う前には、うまく時間内に完成させられるよう、誰が何をどういう段取りで担当するかのスケジュールを立て、担任教員に提出。助言をもらい、OKが出るまで何度も考え直させられた。
「お菓子づくりはスケジューリングがとても大事。その経験が在学中からできたのはありがたかったです。この習慣のおかげで、クラスメイトと日常的に会話を重ねるようにもなり、今でも連絡をとる大切な存在になりました」
18~19

就職活動を開始し、自分に合うパティスリーを探す。

卒業後は、やはり日本で実務経験を重ねようと、就職活動を開始。自分に合うパティスリーを探していたが、「ここだ」と思えるところと巡り会えずにいた。
「夏休みになり、たまたま京都の『ザ・リバー・オリエンタル』へ食事に行ったんですが、デザートもおいしかったし、働いている人がみんな楽しそうで…。パティシエさんとも話させていただき、そこで初めてレストランや結婚式場で働く道もあることに気づいたんです。こういうお店で仕事がしたいと調べ、母体であるプラン・ドゥ・シーを知りました」
19~21

各地でレストランや婚礼・宴会場などを運営する株式会社Plan・Do・See入社。

志望どおり『ザ・リバー・オリエンタル』の配属となり、クローズ後は『ザ ソウドウ 東山 京都』へ異動となった。
「ディナーのデザートの盛り方をすべて覚え、在庫の管理も担当。徐々に仕込みや食材の発注も手がけるようになりました。週末は婚礼のデザートを用意していましたが、目が回るほど忙しかったです」
徐々に仕込みも手がけるようになり、2年ほど経つと、デザートの開発にも携わるようになった。
21~22

ダミーのケーキで必死に練習を重ねてスキルを上げ、ようやくデビュー。

「同期や同い年のアルバイトもいるなか、自分からやると言わないと仕事がもらえない。ウエディングケーキづくりも一番に任せてもらえるよう、ナッペ(クリームを塗る工程)の練習も率先して行いました。余ったクリームをいち早くもらい、ダミーのケーキで必死に練習を重ねてスキルを上げ、ようやくデビューできたときはうれしかったです」
22~25

料理にも挑戦し、デザートを含めたコース料理すべてが開発できる人材に。

入社から約3年後、兵庫県神戸市の『オリエンタルホテル』に異動。2010年3月の開業に合わせ、キッチンスタッフ=料理人として働くことになった。
「当時はめちゃくちゃ生意気だったので、自分はなんでもできると思い込んでいたんですよね(苦笑)。現場の仕事は一通りできるようになったから、次のステップを考えようかと思っていたところ募集がかり、チャレンジしてみてもいいかなと希望を出しました」
22~25

飲食店のライブ感が味わえて、楽しく過ごす。

パティシエから料理人への転身は社内でも初めてのこと。井上さんにとっては軽い気持ちでの挑戦だったが、着任するキッチンマネージャーの志を知ってスイッチが切り替わる。
「『料理人は食材を見極めて料理をするのは得意だけど、きっちり計って同じようにつくるのは苦手。パティシエはきっちり計って同じようにつくるのは得意だけど、食材を見極めて何かを変えるのは苦手だから、両方できるようになってほしい』と言われ、だったら気合いを入れてやってみようと踏み込んだんです」
22~25

料理コンテストのパスタ部門で1位を獲得する。

「1年後にはパティシエに戻るという話をしたとき、先輩に『せっかくなら全セクションを経験して、デザートまで含めたコース料理を開発できたら最高じゃない?』と言ってもらい、新たな目標が生まれました」
キッチンは未経験だったものの、一からのチャレンジやチームでの活躍が評価され、同年、社内のMVPに輝いた。2012年には社内の料理コンテストのパスタ部門で1位を獲得。副賞のフランス旅行で1週間、食べ歩きやワイナリー見学などの学びを体験できた。
22~25

最終的にはレストランの二番手を任せてもらえる。

「それまで自分の技術を高めるのに必死でしたが、キッチンを経験し、みんなで力を合わせて頑張るチームワークの楽しさを覚えました。周りから認めてもらえる喜びも味わい、どんどん仕事が楽しくなってきたのもこの頃。3年目には先輩に助けてもらいつつ、およそ2カ月ごとに変更するコース料理の開発にも携わり、最終的にはレストランの二番手を任せてもらえました」
25~29

再びパティシエに。ウエディングケーキづくりにのめり込む。

約3年間、キッチンで経験を積み、2013年から再びパティシエに。ウエディングケーキづくりにのめり込み、ご要望に応えるためにさまざまな技術をつけたいと思うようになった。ほかのパティシエが帰ってからもひとりで練習。シュガークラフトやアイシングクッキーなどの外部講習にも自主的に参加し、腕を磨いた。そんな努力が実を結び、2014年の夏頃、「ウエディングケーキプロジェクト」のメンバーに抜擢される。
25~29

ウエディングケーキプロジェクトのメンバーとして、多彩なケーキを開発。

「全社のパティシエ5人で半年以上かけて、新しいデザインのウエディングケーキを開発しました。ウエディングプランナーも交えて、どういうデザインがいいか、どういうケーキがあったらうれしいか意見を訊きながら1人10台ほどつくったんですが、年明けの撮影時にはみんなで『かわいい!かわいい!』って言いながら撮影して(笑)。社内の人間はもちろん、お花屋さんやカメラマンさんなど、チームで進める仕事がすごく楽しかったです。一体感を強く感じ、みんなで褒め合いながら、お互いのプロ意識を高められたと思います」
25~29

お客様の大切な1ページを彩れる、幸せな仕事だと実感する。

仕上げたケーキを見て、「よし、今日もかわいくできた!」とうれしくなり、この仕事を通じて得られる幸せを再認識するという。
「新たな人生のスタートに関われることって、そうそうないですよね。自分の手でつくったものが、お客様の大切な1ページを彩れる…この仕事に巡り会えたことが私にとって大きな財産です。『もし自分がお客様だったら』という行動指針のもと、お客様に喜んでいただくことを最重視するプラン・ドゥ・シーでの仕事こそが、自分の天職だと感じています」
29~33

「女性スタッフたちのキャリア、選択肢、未来を広げてほしい」という期待を受け、キャスティング(人事担当)のポジションとして東京の本社へ異動

2017年、全社で婚礼施工数の多い愛知県名古屋市の『ザ・カワブン・ナゴヤ』へパティシエの責任者として異動。ケーキのクオリティやチームワーク、メンバーのスキルなどの向上に尽力した。1年ほど経った2019年8月、なんとキャスティング(人事担当)のポジションとして東京の本社へ異動が決まる。
29~33

キャスティングを経験してから、会社がより好きになった。

「熱心に指導してウエディングケーキづくりを担当できるまでに育成したスタッフが、『真依さんじゃなかったら、ここまでなれていなかった』と言ってくれ、やって良かったなと感じました。私が推薦しキャスティングのメンバーになってくれたキッチンスタッフも、『人の人生にこれほど向き合ったことはないです』と人間的にも育ってくれて…。チームみんなで喜べだり、一緒に向き合って問題を解決できたりすることが、すごく多いのがプラン・ドゥ・シー。キャスティングを経験してから、会社がより好きになりました」
34

京都『丸福樓』のキッチンマネージャーに抜擢。

京都にある任天堂旧本社を改装したホテルで、また新たな挑戦をすることになった。女性で初めてのキッチンマネージャーということで、社内でかなり話題になり、若手からの反響も大きかったという。
「『背中を追いかけます!』と言ってくれた後輩もいて、すごく応援してもらっています。プレッシャーもありますが、選んでもらった期待に応えられるチームをつくろうと。10人ぐらいの小さなチームなので、すべての責任はもちつつも、いちメンバーとして一緒に楽しめればなと考えています」
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妥協しない姿勢が必要なことは忘れないでほしい。

入社当初はパティシエとしての独立開業も考えていたというが、この会社にいたほうが、もっと面白いこと、大きなこと、ワクワクできることに挑戦できる。そう考え、プラン・ドゥ・シーでよりよいチームをつくっていくことが目標となった。
「オリジナルのウエディングケーキをつくりたいと志望してくる学生も多いですが、それができるのも地道な練習があってこそです。毎回、同じクオリティに仕上げるためには、積み重ねが欠かせません。失敗は許されない分野なので、自分自身でどこまで突き詰めるかが重要。どんな状況下でも最善で最高のものを出したいという、妥協しない姿勢が必要なことは忘れないでほしいです」
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やりたいことに取り組める環境を見つけて、自分の未来を切り拓いてほしい。

「パティシエをめざしたときには想像もつかなかった人生ですが、この会社に入って本当に良かったとしみじみ感じています。いろんなことに興味をもって挑戦するのは、その先の自分の人生の糧になるので、これから社会に出る人たちにも、たくさん見て、たくさん経験して、自分が夢中になれることを見つけてほしい。働く場所を探すとき、自分のやりたいことが会社の方向性とマッチしているかは本気で調べたほうがいいです。社会人になるって、自分の脚で自分の人生を歩むこと。本気でやりたいことに取り組める環境を見つけて、自分の未来を切り拓いてほしいです」

一歩踏みだすことで、自分が輝ける場所はきっと見つかる。

一度は挫折した製菓の道を諦めず、愛情をもって仕事のできる環境へ

2018.6.22
山本彬世さん
アトリエうかい たまプラーザ パティシエール
辻󠄀製菓専門学校 製菓技術マネジメント学科(現在の辻󠄀調理師専門学校)から辻󠄀調グループ フランス校へ。2013年に卒業後、ザ・リッツ・カールトン大阪のフランス料理店『ラ・ベ』に就職。その後、いくつかの洋菓子店を経て、辻󠄀調グループの広報を担当。2017年5月に株式会社うかいへ入社、アトリエうかい たまプラーザに配属。
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なんとなく進むつもりだった大学に違和感を覚える。

高校時代を過ごしたのは兵庫県。大学進学者が多くを占める学校に通っていたため、3年の夏前までは自分も大学に行くものだと考えていた。お菓子や料理をつくるのが好きだったこともあり、管理栄養士をめざせる学部を志望。しかしオープンキャンパスで、理想と現実のギャップに違和感を覚える。
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体験授業で受けた印象等から、辻󠄀製菓専門学校(現在の辻󠄀調理師専門学校)に進学。

「学問的に栄養を勉強して突き詰めることに興味がもてず、やっぱり自分はつくる勉強がしたいと思ったんですよ。その想いを父に伝えたところ、塾にも通っていたし、ひどく怒られて(苦笑)。担任の先生にも、準備不足だと反対されたので、通える学校をすべて調べ、良さそうなところには足を運んで。先生の数や就職率、体験授業で受けた印象から、大阪の辻󠄀製菓専門学校に進路を定め、就職を不安視していた母親もオープンキャンパスに連れて行き、大学よりも強みがあることを伝え、両親ともに説得しました」
18~19

仕方なく勉強するのではなく、やりたいからやる、好きだから頑張れる。

いざ進学すると、やはり毎日が楽しい。選択は間違っていなかったと実感できた。
「これまで勉強は仕方がないからやっていたんですが、辻󠄀製菓では勉強という認識すらなく、やりたいからやる、好きだから頑張れる感じで。実習では、限られた時間内でいかにきれいにおいしくつくるかを、学生同士で話し合って考える機会が多く、現場を意識しながら学べたのも良かったです」
19~20

2年目は、より高度な技術を磨き、座学でも専門的な内容が増えていった。

「フランスの郷土菓子を詳しく学ぶ授業で、それぞれのお菓子が生まれた土地の歴史や背景、発達の過程に興味がわき、(辻󠄀調グループ)フランス校への進学を志すようになりました。実際、日本では情報でしか知り得なかったことを体感できて、感動することばかりでした」
20~21

フランスから帰国後、ザ・リッツ・カールトン大阪のフランス料理店『ラ・ベ』を志望。

フランス校では料理人をめざす生徒らとともにシミュレーションを重ね、レストランに惹かれ始める。現地での食べ歩きでも、レストランで出されるデザートに魅力を覚え、帰国後はザ・リッツ・カールトン大阪のフランス料理店『ラ・ベ』を志望。フランス人シェフとコミュニケーションがとれることも評価され、就職へと至った。
21~23

2年目にして、リーダーに。とにかく必死に頑張った。

一緒に働いていた先輩パティシエが退職予定だったこともあり、わずか1年弱ですべてのノウハウを身につけた。その後は2年目にしてリーダーとなり、中途入社の経験者をまとめる存在へ。シェフと相談しながら3カ月に1 度入れ替わるメニューを考え、仕込みもすべて担うようになった。
「ミシュランガイドの一つ星を獲得していることもあり、クオリティも下げられない。とにかく必死でした」
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転職後、シェフの期待に応えられず、挫折を経験する。

約1年間かけ、あとを任せられるようになったところで、基礎から学び直したいと転職。いくつかの洋菓子店で働いたが、その過程で挫折を経験する。
「どうしてもシェフの期待に応えられず、もうパティシエは無理だと母校へ相談に行ったところ、『一度離れて、続けるかどうか考えてみては』と、学校で働かせてもらうことになったんです」
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別の世界もあるんだと考えられ、もう一回頑張ろうという気持ちに。

こうして2016年10月から年度末までの5カ月間、広報として勤務することに。辻󠄀調グループの職員が運営する学校併設の店舗『P.L.T.(パティスリー・ラボ・ツジ)』で、製造補助も担当させてもらった。
「それまで自分のいた世界がすべてだと思い込んでしまっていましたが、違う環境に身を置くことで、別の世界もあるんだと考えられ、もう一回頑張ろうという気持ちになれました」
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紆余曲折を経て、シェフの人柄に惹かれた『アトリエうかい』を志望。

そこで勤務地をかえて心機一転を図ろうと、東京での就職を希望。学校からの紹介で5軒ほど回り、都内を中心にレストランを展開するうかいグループの洋菓子店『アトリエうかい』に決めた。
「スタッフに対してもお菓子に対してもとても愛情が深い、シェフの人柄に惹かれて志望しました。それに旬の素材にこだわり、レストランならではのものをベースにつくっていると聞いて、レストランの経験も生かせるだろうと感じたのも大きかったです」
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パティシエはつくるだけではだめだと再認識。

「店舗兼工房である『アトリエうかい たまプラーザ』に配属後、働く環境がすごく整っていることに、まず驚きました。組織としてしっかりしていて、製造はもちろん管理・販売や接客に至るまで、細かいところにも意識が行き届いています。お菓子はお客様に正しく届けてこそ、初めて成り立つもの。不純物が入らないようダブルチェックするなど、安全衛生面も徹底するようにしています。接客も兼任することで、お客様目線の大切さも実感。パティシエはつくるだけではだめだと、ここに入って再認識するようになりました」
25

1年も経たないうちに、2つの新作が採用された。

まだ社歴は浅いものの経験者である山本さんは、後輩たちの指導も担い、新作の提案も積極的に行っている。1年も経たないうちに、すでに2作品が採用された。
「空いた時間に新しいお菓子を考案し、自分のケーキを出させてもらえるのは本当に恵まれています。長く親しまれているものからヒントを得て、新しいアイデアを付け加えると、大勢に受け入れてもらいやすい。参考にする引き出しは、過去の学びや経験がベースになっています」
25

『アトリエうかい』には、スタッフ一人ひとりに商品開発の機会がある。

「僕ひとり、シェフひとりでできる世界は限られているから」と語るのは、シェフパティシエで『アトリエうかい』の統括製菓長である鈴木滋夫さん(辻󠄀製菓専門学校・辻󠄀調グループフランス校卒業)。
「独りよがりではだめですが、ブランドを理解しながらも自分にしかできないものをつくることで、ブランドの世界も広がっていきますからね。自分のつくったものをまた食べたいと言ってもらえれば、やりがいにもなりますし。意欲をもって仕事を続けるためには、成功体験を重ねることが大切です」(鈴木滋夫さん)
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重要なのは失敗を失敗のまま終わらせないこと。

「当然、成功するには失敗も避けて通れませんが、重要なのは失敗を失敗のまま終わらせないこと。ちゃんと励まし、褒めて、見守ってあげることができたら、多少しんどいことがあっても続けられると思うんですよ」(鈴木滋夫さん)
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毎日ありったけの愛情を注いでつくっている。

「自社商品に対しては愛情しかない」と断言する山本さん。「毎日ありったけの愛情を注いでつくっている」と笑顔で語る。
「ケーキ1個つくるのも本当に大変なんです。うちの商品はどれも素材にこだわり一つひとつ丁寧につくりあげているため、材料費も手間もものすごくかかっているんですね。仕上げのパーツは私の担当する仕事のひとつですが、きちんと向きもそろえたいし、パーツの破片が少しでも落ちていたらすぐに直したい。お客様に最高の状態で届けたいので、ほかのスタッフにも気づいたらすぐ知らせてくれるようお願いしています」
25

自分たちがつくったお菓子をどう見せるかといった部分にも、より深く入り込んでいきたい。

「置き方ひとつ、見せ方ひとつ、伝え方ひとつで、商品の売れ行きも変わってきますし、ディスプレイのデザインも大切です。そのあたりももっと勉強して、お客様が求めているものを提案したい。お好みの食材や状況に合わせて最適なものをお勧めする、“ケーキ・コンシェルジュ”のような役割も果たしたいと思っています」
25

パティシエは、成長を実感でき、自分にプライドがもてる素敵な仕事。

「自分でつくったものを提供できる仕事って、そんなに多くはないですよね。つくったり食べたりするのが好きなら、この道に進めば豊かな人生になると思いますよ。たとえ私みたいに、ある場所でつまずいても、それがすべてじゃないし、自分が輝ける場所やタイミングはたくさんある。しんどいことも多いですが、その分、成長できるし、自分にプライドがもてる職業だと思います」

誰もが初めからビジョンを明確に持っているわけではない。

目の前のことに全力で取り組むことで見つけた自らの道で、独立開業へ。

2020.3.6
村上博信さん
創作ジャム専門店 salz(ザルツ)店主 ジャム作家
エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジ(現在の辻󠄀調理専門学校 東京)卒業後、東京のフランス菓子店に就職。その後、地元に戻り、派遣社員として数々の職業を経験。イベントでオリジナルジャムを販売した後、ジャム作家「salz(ザルツ)」としての活動をスタート。仙台市内でジャムづくりのワークショップ・講座を毎月開催。2015年12月、工房兼ショップを開設。製造・販売に加え、教室の開催やイベントへの出店などを展開している。
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小学5年生で始めたお菓子づくりが楽しく、喜んでもらえるうれしさを知る。

料理好きな両親のもとに生まれ、家には多くのレシピ本があったという村上さん。小学校5年生で初めてチーズケーキをつくり、「おいしい」と喜んでもらえるうれしさを知る。
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続けてきたお菓子づくりへの興味から、製菓の専門学校へ進学。

「昔から何かをつくることが好きで、進学も工業高校へ。だけど続けていたお菓子づくりのほうが興味深く、卒業後は製菓の専門校へ進むことにしました。いろんな学校の資料を取り寄せたんですが、自由度の高さや実習の濃さ、周囲の評判などから、エコール 辻󠄀 東京の辻󠄀製菓マスターカレッジ(現在の辻󠄀調理専門学校 東京)を選んだんです」
18~19

好きなことを学ぶ毎日は、とても楽しかった。

入学後は、今までに食べたことのない数々のお菓子と出会い、興味の幅が一気に広がっていく。好きなことを学ぶ毎日は、とても楽しかった。
「普通の家庭じゃ絶対にできないような、今まで想像もしていなかったお菓子を学べ、新しい知識がどんどん入ってきたのが面白くて…。つくることはもちろん、フランス菓子の素材や歴史、由来などを掘り下げられたのが楽しかったです。当時学んだ知識は、ジャムの講師を務める際にも役立ってます」
19~20

絶対にパティシエになるという強い意志がなく、就職先で挫折を経験。

卒業時の1999年には、東京のフランス菓子店に就職。しかし1年も経たないうちに挫折を味わうことになる。
「完全な縦社会で、単純にきつかったんですよね。今なら優しさだったと思える部分も、当時は素直に受け取れなくて…(苦笑)。もともと絶対にパティシエになるんだという強い意志があって進学したわけでもなく、将来のビジョンがもてていなかったので、乗り越えられませんでした」
20~26

プライベートを充実させるなか、“食”への想いも持ち続けた。

その後は実家に戻って複数の派遣会社に登録し、さまざまな仕事に携わった。一方で、プライベートの時間を充実させていく。
「仕事では離れましたが、根底には“食”を求めるきもちがあったんでしょうね。帰郷後に入ったバレーボールの社会人サークルでは、隔月で行われる誕生日会のケーキづくりを担当していましたし、変わった料理をつくるのも好きでしたし…」
20~26

仲良くなった人との付き合いが、今につながるケースも多い。

「東京にいたときトルコ料理が好きになったんですが、近くに食べられるお店がなかったので、手に入る材料でつくってみたら意外とおいしくできたんですよ。そこからのめり込んでいきました。飲みに行くのも好きで、行きつけのバーやクラフトビールのイベントなどで仲良くなった人たちとの付き合いが、今につながっているケースも多いです」
27

自宅での忘年会で料理を振舞う。

環境問題にも興味をもっていたことから、2007年には、環境系機器を取り扱う会社に転職。エンジニアとしてメンテナンスの仕事を担っていた。
「車で各地を回れたので、終業後、道の駅などに立ち寄るのも好きでした。その頃、休日によく行っていたのが、木工や金物細工など、いろんな作家さんが出店していた手づくり市。交流会にも混ぜてもらったりしていたので、自宅で忘年会を開き、料理を振る舞ったんですよ」
27~29

村上さんの感性で面白いものをつくってほしいと話が盛り上がる。

「そしたら好評で、『瓶詰めにして売ってほしい』『村上さんの感性で面白いものをつくってほしい』と話が盛り上がり、自分でも興味がわいてきて。調べてみたところ、ジャムなら商品化しやすかったので、2009年2月、小さなイベントで4日間だけオリジナルジャムを販売することにしたんです」
29~31

ジャム作家「salz(ザルツ)」としての活動をスタート。

そこでも好評を博し、独学で勉強を始め、4月にはジャム作家「salz(ザルツ)」としての活動をスタート。組み合わせの妙が楽しめ、素材の個性を活かした、美しい色合いのジャムが次々に生みだされていく。10月にはカルチャールーム『アクテデュース』から依頼を受け、ジャムづくりワークショップを催し、翌月から同所で講座を毎月開催。クチコミで人気が高まり、バーや製パン店、雑貨店や百貨店など、商品の取り扱いも県内外で増えていった。
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会社を辞め独立開業へ。

「最初は二十代の頃よく行っていた飲み屋さんで扱ってもらっていたんですが、どんどん広がっていって。本腰を入れれば仙台でもやっていけるのではという手応えがあったので、2012年に会社を辞め、独立開業へと至りました」
35~39

大口取引が相次ぎ、全国区に。

自宅や共同スペースでの製造を経て、2015年12月には工房兼ショップを開設。製造は一人で担いながらも、大量発注にも対応できるようになった。活動10周年を迎えた2019年には、大口取引が相次ぐ。春には、食のセレクトショップ『ディーン&デルーカ』から声がかかり、期間限定で販売。その後、全国18店舗での取り扱いが始まった。
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地道にやってきて本当に良かった。

「『ディーン&デルーカ』さんが、毎年開催されている朝食フェアの商品としてお声がけいただいたんですよ。たまたま検索に引っかかっただけだと思いますが、ずっと昔から大好きだったお店なので、まさかと驚き感激しました。地道にやってきて本当に良かったです」
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ギフト向きでもあることが功を奏した。

10月からは、アパレルブランド『ディスコート』の系列10店舗でも取り扱われることに。常温で持ち運べて賞味期限が長く、ギフト向きでもあることが功を奏した。
「ネットを通じて、個人の方からのお取り寄せもいただいています。全国各地に専門店はあるのに、遠方からわざわざ求めてもらえるのがありがたいですね。ショップやイベント会場で、ご夫婦やお子さんたちから、『これおいしかったよね』『ママこれ買って!』なんて会話が聞こえてくると、ちゃんと味わってもらえているんだなとうれしくなりま
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このジャムならではの幸せに、誇りを感じる。

「これが1本、おうちにあるだけで、毎日の食卓がちょっと楽しくなったり、感性が刺激されたりする。そんな存在になってくれたらなと。ジャムを使ったメニューを提案する『ごはん会』では、初めて会った人同士でも『あれがおいしかった』『うちではこうやって食べた』なんて盛り上がることが多く、幸せを感じます。人って同じものを共有して、共感したいじゃないですか。そう思ってもらえるのも、このジャムならではなので、誇りに感じています」
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今の自分があるのは、専門学校時代があったからこそ。

これまでを振り返り、「今の自分があるのは、専門学校時代があったからこそ」だと語る村上さん。
「製菓の技術や知識が身についただけでなく、友人たちと食べ歩いたフランス料理なども含め、さまざまな“食”を経験することで、見た目の美しさや構成の仕方にも興味を覚えるようになりました。気になったことは調べ、吸収していくという、追求する姿勢が身についたことも大きいです」
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組織に属さず趣味で始めたことだったからこそ続けられ、形になった。

「普通なら何年も修業をして一人前になってから自分のお店をもつところ、まったく違う方法で今に至っていることにちょっとしたコンプレックスもあるんですけど、組織に属さず趣味で始めたことだったからこそ続けられ、形になったのかなと感じています」
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専門学校時代に明確なビジョンをもっていなくても…。

たとえ専門校に進んだとしても、誰もが10年後20年後のビジョンを明確にもって進んでいけるわけではない。自分と同じような人たちに、「こんなケースもあると知ってもらえたら」とメッセージをくれた。
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無理に目標を定めるのではなく、目の前にある好きなことに全力投球を。

「行き先が定まっていないのは不安でしょうけど、だからこそ、これから見つけていけるものが無限にあります。僕自身、ジャムづくりのきっかけは人からの勧めでしたが、やってみたらすごく興味深く、今では仕事にできている。『こうじゃなきゃいけない』というしがらみに縛られるのではなく、まずは目の前にある、自分が好きだと思えたことに一生懸命、向き合っていれば、道は開けていくと思いますよ」

辻󠄀調で学んだことで今につながっていることは何ですか?

黒田高広さん/黒田知里さん
パティスリー ルノワール オーナーシェフ マダム

基礎は本当に大事です。学校で学んだことは、すべて役に立っています。やってきたことで無駄になる経験なんて一つもない。すべてが生きると思いながら、頑張ってほしいですね。

そのときは『こんなことに意味があるのか』と思ったとしても、5年後10年後に気づくこともあるので、学校の授業も先輩の言葉も聞き流さずにストックしたほうがいい。同じ30歳になったとき経験している仕事量が全然違ってくるので、ぜひ自由な時間を使って自分を磨いてほしいと思います。

井上真依さん
株式会社Plan・Do・See パティシエール/キッチンマネージャー

お菓子づくりはスケジューリングがとても大事。グループ実習を行う前には、うまく時間に完成させられるよう、誰が何をどういう段取りで担当するかのスケジュールを立てて、担任教員に提出。助言をもらい、OKが出るまで何度も考え直させられました。その経験が在学中からできたのはありがたかったです。この習慣のおかげで、クラスメイトと日常的に会話を重ねるようにもなり、今でも連絡をとる大切な存在になりました。

山本彬世さん
アトリエうかい たまプラーザ パティシエール

これまで勉強は仕方がないからやっていたんですが、辻󠄀製菓では勉強という認識すらなく、やりたいからやる、好きだから頑張れる感じで。実習では、限られた時間内でいかにきれいにおいしくつくるかを、学生同士で話し合って考える機会が多く、現場を意識しながら学べたのも良かったです

村上博信さん
創作ジャム専門店 salz(ザルツ)店主 ジャム作家

普通の家庭じゃ絶対にできないような、今まで想像もしていなかったお菓子を学べ、新しい知識がどんどん入ってきたのが面白くて…。つくることはもちろん、フランス菓子の素材や歴史、由来などを掘り下げられたのが楽しかったです。

料理のチカラを学びとる

1960年創立
体系立てて学べる独自のカリキュラム

オープンキャンパス

東京・大阪
全国各地の出張相談会
オンラインでも開催

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調のオープンキャンパスで感じたのは「授業の中での情報量の多さ」です。お菓子作りの実習の中で「なぜ、シュークリームは膨らむのか?」を説明する時にも、「生地の水分が蒸発する」だけじゃない理由を教えてくれます。2年間でどれだけ成長できるか?と考えた時に、この情報量の違いは大きいなと感じました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

地元で開催された辻󠄀調の体験実習には10回くらい参加しました。ただ見て学ぶだけではなく、これがなぜ起きるか?その理由を詳しく教えてくれて「もっと知りたい、面白い」と思いました。普段、ネットで調べて動画を見ながらモヤモヤしていたことが、目の前で実際に手を動かしながら教えてもらうと全然違うと感じました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調のオープンキャンパスで、先生と生徒の間の「信頼関係」を感じました。辻󠄀調の学生の方が実習で先生をサポートする様子に、上下関係はありつつも距離感の近さがあって、暖かい雰囲気を感じました。お菓子作りが好きで、お菓子を届けたいっていう想いに溢れた場で、技術だけじゃなくて、人としても成長できそうな学校だと思いました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

中学高校の机に座って聞くだけの授業は苦手でした。辻󠄀調では、座学の講義でも試食があって、匂いや味を感じながら、理論や根拠を教えてくれるので、記憶に残ります。オープンキャンパスでは一人一台の調理台で、基本的な知識から教えて頂きましたが、こちらが質問したら、先輩方からも先生からもしっかりとした答えが帰ってくるのがすごいなと思いました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調の先生は、技術の高さと知識量はもちろん、料理の説明の仕方がわかりやすくまとまっていたり、実際目の前で調理をしている時でも、お客様との対話の仕方のレベルの高さをすごく感じました。たまたま理事長とお話しする機会があったのですが「フレンチやイタリアンは、一皿目、二皿目の独創性がすごく肝心」という言葉を頂いて、それも初めて知った感覚で、学校全体の「教える」ということのレベルの高さを感じました。

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