Q. 調理・製菓の世界で、家庭と仕事、両立できるでしょうか?|Questions(クエッションズ)│辻調グループ - 食のプロを育てる学校

食の世界を目指す新入生からの質問と、
卒業生のインタビュー

ワークライフバランスを心配しています…

家庭と仕事、両立できるでしょうか?

大好きなお菓子づくりをずっと続けるために焼き菓子専門店を開業。

結婚・出産を経てもなお、製菓を楽しむ毎日に。

2018.10.12
下永恵美さん
やきがしや SUSUCRE(シュシュクル)オーナーシェフ
パティスリー・カフェレストランでの勤務を経験し、シェフとして活躍。その後、手づくりチョコレート店をなどを経て、世田谷区に焼き菓子専門店『シュシュクル』をオープン。2人の子育てをしながらお店を切り盛りしている。

結婚・出産を迎えても仕事が続けられるよう、焼き菓子に絞った。

お店を始めて5年目に結婚。今では小学生と幼稚園児(取材時)、2人のお母さんだ。
「ショートケーキで有名なお店にいたので、周りからは『なんで生菓子をやらないの?』って言われましたけど、すぐに没頭しちゃう仕事人間だから、何かに絞らないと、結婚・出産を迎えたとき中途半端になっちゃうなと思ったんですよ。開店当時は予定もなかったんですけどね(笑)」

焼き菓子を選んだのには、理由がある。

一番は、製菓学校時代、そのおいしさに衝撃を受けたフランスの伝統菓子に対する想いだった。
「普通のケーキ屋さんのショーケースの上にあっても、あまり見られないんですよね。フィナンシェやマドレーヌ、ダックワーズなんかは、コンビニとかでも売れるようになってきていますが、やっぱりちょっと違う。フロランタンやガレットもそうですが、ちゃんとおいしいものがあると伝えたかったんです」

後輩たちへの貴重なモデルケースに。

「小さくてもいいから、自分のお店をもちたいと願う女の子たちにとって、貴重なモデルケースとなっている」。そう語るのは、エコール 辻󠄀 東京 辻󠄀製菓マスターカレッジの小野達也先生。下永さんの同期にあたる。

本当にこの仕事が好きなんだなぁと、同期ながら感動しました。

「おんぶ紐でお子さん背負ってお店に立っていた姿に、本当にこの仕事が好きなんだなぁと、同期ながら感動しましたよ。生菓子やチョコレートなど、なんでもつくれる知識や技能がありながらも、結婚や出産を経ても輝き続けるため、敢えてジャンルを絞った。こういう方法もあるんだと、学生たちに紹介しています」(小野さん)

学生時代の教科書は、今でも見直すことがある。

「どんなお菓子もベースはすべてフランス菓子で習ったことが入っている」と下永さん。学生時代の教科書は、今でも見直すことがあるという。
「『こうすれば、こうなる』ということわかっていれば、つくるのは誰でもできると思うんですよね。逆に言うと、そこに至るのが難しい。その基盤が築けたのは、学生時代だったと思います」

「お菓子づくりは楽しい」と感じてくれる子供が増えると嬉しい。

お菓子づくりは楽しい。かつての自分のように、そう感じてくれる子どもが増えたらうれしいと、小学生や幼稚園児を対象としたお菓子教室も開いている。今後の目標は、長く仕事を続けることだ。
「子どもたちが我慢している部分もあるでしょうが、最小限になるよう努めて、『お母さん頑張ってるな』と思ってもらえたらうれしいですね」

突破口は必ずあるはず。

「これまで一度も、お菓子をつくり続けることに迷いはありませんでした。人と関わる部分での迷いや反省はありましたが、諦めたり辞めようと考えたりする自分はどこにもなかった。周囲の支えだったり環境の変化だったり、突破口は必ずあるはずです。続けられる道はきっとあるので、お菓子づくりが好きな人たちには、諦めずに突き進んでほしいですね」

菓子店では珍しいオープンキッチンスタイル。

ドアを開けると焼き菓子の甘い香りがふわりと漂う。菓子店では珍しいオープンキッチンスタイルだ。
「外の景色やお客様の顔が見られる環境でつくりたくて、この形にしました。生菓子だとオープンキッチンでは許可が下りないので、実現できたのも焼き菓子を専門にしたからこそ。おかげでお客様に香りも届けられるし、選んでくださっている姿も見られます」

色とりどりの焼き菓子が50種以上。

フランスの伝統菓子や可愛らしくアレンジされたお菓子など、見ているだけでうれしくなる品々が並ぶ。
「焼き菓子って茶系のものが多いですが、生菓子のケーキの箱を開いたときの感動も表現できたらなと、見た目のかわいさや季節感などが感じられる色や味を増やしていきました。お客様から『スミマセン、悩んじゃって…』なんて言われますが、どうぞどうぞと(笑)。迷っていただけるのがうれしいんですよね」

山脇百合子さんのイラスト。

お店のイメージイラストを描いたのは、『ぐりとぐら』で有名な絵本作家の山脇百合子さん。普段使いしてもらえるよう通常は無駄のない簡易包装だが、特別なギフトには可愛らしいイラストが花を添える。評判が評判を呼び、すでにレシピ本を3冊も出す人気店になった。

多彩な焼き菓子が生みだせるのも、多様な経験を積んできたからこそ。

焼きたての味が楽しめるよう、保存料は一切使っていない。材料はシンプルだが、食感に対するこだわりは強いという。
「食感の違いを出すために試行錯誤した結果、小麦粉や卵を使わず、上新粉を使ったりするものもあるんですが、アレルギーをもつお子さんも多いので、喜んでいただけています。こうやっていろんな種類を出せるのも、フランス菓子はもちろん、生菓子やチョコレートなど、さまざまな経験を積んできたからこそです」

“食”にまつわる仕事は、やろうと思えば女性でも一生続けていける。

地元にレストラン兼料理教室をオープン。子育てをしながらレシピ・商品開発や食育などで活躍中!

2019.8.30
寺地貴子さん
ターブル・ド・シック フレンチレストラン/料理教室 オーナーシェフ/1級フードコーディネーター
イタリア料理店を経て、ホテルのレストランに女性初の料理人として入社。第2回「AJCAチャレンジ・カナダカップ料理コンテスト」、第19回「トック・ドール料理コンテスト」で総合優勝を果たす。東京のフランス料理店に勤務後、フランスへ留学し、一流レストラン3軒で研修を積む。帰国後、料理教室も開催する完全予約制のフランス料理店『ターブル・ド・シック』を2014年10月に開業。翌年結婚し、2016年3月に出産。オーナーシェフを務めつつ、現在は1級フードコーディネーターとして幅広い分野で活躍。

夫婦の地元・鹿児島市で営む、ディナー1日1組限定のフランス料理店。

鹿児島市にある『ターブル・ド・シック』は完全予約制のフランス料理店だ。ランチは1日2組、ディナーは1組限定。月8回は料理教室を開催していて、半年以上先まで満員が続いている。

幼い娘さんを育てつつ、食育活動にも力を注いでいる。

オーナーシェフは寺地貴子さん。フードコーディネーター1級の有資格者で、外部の料理教室や短期大学でも講師を務め、フードスタイリング、テーブルコーディネート、レシピ・商品開発など、“食”にまつわる幅広い分野で活躍。幼い娘さんを育てつつ、食育活動にも力を注いでいる。

夫の協力で、調理以外の仕事も

「フランスから帰国した翌年の2014年10月にお店を開き、しばらくは一人で厨房を切り盛りしていたんですが、翌年に結婚してからは主人がメインで入ってくれていて。おかげで子育てをしながら、調理以外の仕事にも取り組めています」

「地元でレストランを開きたい」という想い。

ご主人の田代隆史さんとは、同時期に修業をしていたフランスで知り合い、同じ鹿児島出身ということもあって意気投合。「地元でレストランを開きたい」という想いも共通していた。

予約制だと食材のロスも出ないので、良い材料を惜しみなく使える。

「大きなレストランでシェフを務めていた時に、忙しくて中々納得のいく料理がつくりにくかったんですよね。だけど組数限定というスタイルをとり、すべて自分で手がけることで、細部にまで目が行き届くようになりました。それに予約制だと食材のロスも出ないので、良い材料を惜しみなく使える。鹿児島のおいしい食材を中心に使いつつ、地元の方に喜んでいただけるフランス料理を提供できるよう心がけています」(ご主人の隆史さん)

お互い料理が趣味だという二人。

日常的に料理の会話が多く、お店や料理教室のメニューに対してお互い意見を言い合うことで、より良いものへと高めている。「普通の料理人とは違うスタイルですが、とてもやりがいがあります」と貴子さん。

子どもを大事にしながら、仕事それぞれを突き詰めていきたい。

「料理人という本業を活かしながら、“食”をベースにさまざまな方向で活動できているのも、これまでの積み重ねがあってこそ。子どもを大事にしながら、手がける仕事それぞれを突き詰めていきたいですね」

育児をしながらでも取り組みやすい。

結婚後は、フードコーディネーターとしての活躍の場を広げていった貴子さん。南日本新聞では、レシピのコーナーを連載。料理教室の経験を活かしたわかりやすさやコーディネートの美しさも評価され、好評を博した。商品開発の分野では、調味料のメーカーから依頼を受け、新商品の味を調整したり、開発されたドレッシングに合うレシピを考えたりと奮闘。この種の仕事は自宅でできる作業が多く、育児をしながらでも取り組みやすいと語る。

料理研究家という肩書だけでなく…

「調理師からフードコーディネーターになるケースは珍しいようですが、現場経験があるのは大きな強みです。料理研究家という肩書だけでなく、ある程度のキャリアを築いて自分の個性をプラスしていけば、お声もかかりやすいことを実感しています。めざしている人も、しっかり現場で基礎を学んでからでも遅くないどころか、むしろ早道。いろんな世界を体験することが、必ずプラスになりますよ」

出産後は食育に対する意識も変わった。

洋食の離乳食を考案して発表したり、市内の幼稚園で味覚の体験ができる食育イベントを開いたり…。出産後は食育に対する意識も変わったという。
「人間の基本的な味覚は、3歳までに基盤が形成され、9歳頃までに与えられたもので個人差が出てくるといわれています」うちの娘は幼いころから食材の香りを嗅いだり、触ったりと五感をフルに使う「料理」に1歳頃から触れ、3歳になった今は、自然に台所に立ちます」

娘との生活の中から多くの「食育」についてのヒントを日々学んでいる。

「幼少期の様々な食の「体験」は、記憶にも残りやすいといわれているので、なるべく「楽しい」「おいしい」を共有できるように過ごしています。娘との生活の中から多くの「食育」についてのヒントを日々学んでいます。これからはそういった経験をもとに、地域の子供たちや親御さんたちともにもより良い食の機会に触れてもらえるよう努めていきたいと思っています」

女性料理人の着地点は、男性と違う部分があるからこそ…

その時々でやりたいことに全力で取り組むよう心がけてきた結果、今がある。頑張っていれば、きっと何か見えてくると、寺地貴子さんは断言する。
「女性料理人の着地点は、男性と違う部分があるからこそ、新たな個性が産まれ面白いのかもしれません。子育てをしながらの料理人の仕事は、育児の拘束もあり、現場に入れる時間も短く大変な部分も多いです。しかし、子供の存在が励みになり「食育」など新たな気づきもあって新しい分野への可能性も広がりました。ただレストランで料理を作る事だけやっていたら見えなかった部分です」

女性料理人のモデルケースになれたらうれしい。

「料理人の仕事をベースにしながら「食」に関わる色々な仕事にも関わり、家庭と両立する。「料理人」の仕事は、女性は結婚や出産を機に辞めてしまう方が多いのが現実ですが、やろうと思えば女性でも一生続けていける分野だと思います。私自身を例に、こういう働き方もあるのだと、女性料理人のモデルケースになれたらうれしいです」

毎日ワクワクしながら通い、料理がますます好きになった専門学校時代。

進学して一番に感じたのは料理の面白さ。どの授業にも個性があり、毎日ワクワクしながら通っていたと振り返る。
「毎日が濃くて、料理自体がますます好きになりました。学べて良かったのは、基本的な技術はもちろん、料理人としての姿勢です。厨房は厳しいところだと教えられていたので、現場に出てからも順応でき、今まで続けることができています」

初めての女性料理人としてホテルのレストランへ。

卒業後、約3年間、鹿児島のイタリア料理店で一通りの仕事を経験し、初めての女性料理人として鹿児島サンロイヤルホテルに入社。
「既製品をほとんど使わず、ソースなどもイチから作っているホテルだったので、より学べることも多かったです。先輩方も熱意をもって教えてくださり、とてもいい職場でした。料理長(故前川定徳統括総料理長)は、厳しいながらも頑張った者にはそれだけ返してくれる方。若手であっても、挑戦の機会をたくさん与えてくれました」

若手の登龍門と呼ばれる料理コンテストで、九州初の女性優勝者に。

周囲のバックアップもあり、2007年度には2つのコンテストに挑戦。2回目の開催となった「AJCAチャレンジ・カナダカップ料理コンテスト」では全国総合第1位に輝き、若手の登竜門と呼ばれる「トック・ドール料理コンテスト」の第19回大会でも総合優勝。九州初の女性優勝者となり、カナダ・モントリオールのインターコンチネンタルホテルで招待研修を受けた。

料理界でも、これからは女性の活躍する時代が来る。

「フードコーディネーターの資格をめざし始めたのも、『長くこの仕事を続けるなら、料理だけやるより取り入れたほうがいい』と、料理長にアドバイスを受けていたから。『料理界でも、これからは女性の活躍する時代が来る』と、道を切り拓くサポートをしてくださいました」

地元鹿児島で独立開業するために、東京やフランスの一流店を経験。

在職中は、宴会場やバンケット、バイキングレストランなども経験し、引き出しを増やした。やがて部門シェフも務めるようになるなど大きな成果を残し、後進の女性料理人が活躍できる土壌を築いた。そして、次なるステップをめざして東京へ。フランス料理店で働きつつ、プロの料理人が学ぶフランス料理文化センターの上級コースを修了して渡仏。パリにあるフランス料理の名門、フェランディ校で学び、一流レストラン3軒で研修を積んだ。

地元を離れることで、改めて鹿児島の良さもわかった。

帰国後、開業準備を進める。
「食材がおいしくて安い。自然が豊かで、都会とは違う魅力があります。開業は、料理教室と併せた個性的な営業形態にしたことで、県から創業支援の補助金が受けられ、負担も減らせました。このことは独立開業を考えている人たちにも伝えるようにしています」

まちに根づき、生産者を大切にし、長く働き続けられる環境を守るために。

お客様の幸せが自分たちの幸せにもつながるチームづくりを。

2022.10.1
堤亮輔さん
株式会社タバッキ 代表取締役/オーナーシェフ
大学を中退してイタリア・トスカーナ州へ。現地のレストランで研修し、帰国後はエコール 辻󠄀 東京(現在の辻󠄀調調理師専門学校 東京)を2002年に卒業後、東京のフランス料理店、オーストラリア料理店、割烹料理店などで経験を重ね、イタリア料理店でシェフ兼店長を務めた後独立し、2013年2月、『リ・カーリカ』をオープン。その後多角的に事業を展開。

自身を含め3人の料理人でスタート。

もともと35歳までには独立したいと考え、当時勤めていたお店のオーナーシェフにもそう伝えていた。その言葉どおり、4年ほどで次のシェフにバトンタッチし、2013年2月、『リ・カーリカ』をオープン。カウンターキッチンの図面を自ら描いて設計し、自身を含め3人の料理人でスタートさせた。コンセプトは、まちに根づくこと。

人を喜ばせるのが好き。

「それまで都心で働いてきたなか、駒沢大学のベッドタウン感が心地良かったんですよ。常連さんがつく場所がいいなとリサーチしてはまったのが、乗降客数も多い学芸大学という立地。普段、いいところで遊んでいる大人が、サンダル履きで来るような場所をイメージしました。もともと人を喜ばせるのが好きなサービスマンの気質をもっていたので、料理もサービスも全員でやるほうが効率的だろうと考えて。火口をカウンター側に向け、料理をしながら全員が笑顔でおもてなしできる店づくりを心がけました」

独立後、早い段階で3店舗を展開。

「12坪20席の店舗なのに、一時期8人まで増えましたからね。その全員が料理人で、長きにわたり主力メンバーとして活躍してくれています。実は最初から必ず3店舗は開こうと決めていたんですよ。当時の飲食店の多くは、休みが少なく労働時間が長く賃金も安く、長続きしづらかった。それを変えたかったので、自分の店というより会社をつくるという感覚のほうが強くありました。雇った人を守って、長く働きやすい環境をつくる。3店舗で利益を上げればスタッフに還元できるだろうと、漠然と想い描いていました」

全員を正社員で雇用し、長く働ける環境に。

開業1年後には、株式会社タバッキとして法人化。スタッフは全員、正社員として雇用し、2015年10月に『カンティーナ カーリカ・リ』、2017年4月に『あつあつ リ・カーリカ』をオープンさせた。

一つの会社でも成長を続けられるよう、経験の機会を提供。

まちに根づき、人を育て、生産者を大切にし、身体にいいものを提供する。堤さんが志す、すべての軸は“人”だった。
「人を育てることありきで考えていたので、各店のメニューもそれぞれのシェフに考案してもらっています。3店舗とも、最初は僕がシェフと店長を務め、話し合いながらスライドさせていく形で委ねました。飲食業っていろんなお店を渡り歩いて経験値を高めていくのが一般的でしたが、同じ会社に在籍しながらも、それぞれのシェフから学べるようにもしたかったんです」

生産者にも学ぶ。

教育の一環として、スタッフにはさまざまなイベントの機会を提供。他店と共同で催す300人規模のBBQ企画や、各地方のデパートでの催事など、 経験を通じた成長を促してきた。
「イレギュラーな作業は、想定外のことが起こるのは当たり前。自分で考える能力がないと乗り切れませんし、その経験がチーム力アップにもつながります。各地の生産者を訪ね、インプットしたものをレポートにまとめ、ほかのスタッフにアウトプットする研修も続けていますが、連れて行ったスタッフは目を輝かせて生まれ変わる。僕自身の教科書も、生産者の声にありますからね」

生産者さんを紹介し合うことも多い。

「自然に敬意を払って毎日仕事をされている考え方が、すっと入ってきて、料理に対する姿勢にも大きな影響を与えてくれています。ナチュラルワインは、今でこそブームになっていますが、当時は扱っている飲食店も少なかったので、仲間意識が強かったんですよね。食材を大切にする考え方も共通していたので、生産者さんを紹介し合うことも多く、結果、食材ごとに全国各地の生産者さんから仕入れるようにもなりました」

地域にも貢献できる会社に。

「“思考と行動を止めない”をテーマに、常に何かやり続けようと、テイクアウトやデリバリーに取りかかりました。すぐに行動できたのは、みんなが主体的に考えられるよう育ってくれていたから。売上げは上々でコロナ禍のピンチは切り抜けられたんですが、いつ覆るかもわからない。社員も増えてきましたし、リスクヘッジが必要です。それに、ここまで育ててきてくれた、まちに恩返しもしていきたい。地域に貢献できる会社にしていきたいとも考えるようになりました」

まちにも開けた場にしようと、ワークショップもできる空間をデザイン。

店舗営業が緩和されてからも、ワインは提供できない日々が続いた。生産者も窮地を迎えている。だったらワインをはじめ、全国の生産者のプロダクトを販売するショップを開こうと、2020年11月、学芸大学エリアに『リ・カーリカ ランド』をオープン。まちにも開けた場にしようと、ワークショップもできる空間をデザインした。

ライフスタイルの変化に応じた働き方も追求。

「ショップ、飲食店、オフィス、ラボという、4つの機能をもたせようと考えたんです。独立開業から8年近く経つと、働いているスタッフもライフスタイルも変わってくる。社内でも2組のカップルが誕生したんですが、出産や育児で働き方も多様化させる必要がある。経理に限らないオフィス業務を増やすためにも、新しいことに取り組もうと考えました」

自社ブランドの商品開発にも着手

『リ・カーリカ ランド』では、自社ブランドの商品開発にも着手。その主力としたのが、トスカーナのピチという太めのパスタに濃厚なトマトソースを合わせた「ピチアリオーネ」をはじめとする、冷凍ピチだった。
「オープン当初からの看板メニューなんですよ。ソースと麺を一緒にし、電子レンジで温めればすぐに食べられるようにするのが難しく、試行錯誤し、納得できる商品にするまでには苦労を重ねました」

工場機能、更にはオンラインショップでの販売にも力を入れていく。

その後、2021年12月には工場機能をもつ『リ・カーリカ ラボ』を新設。製造機器に合わせてレシピをつくり直し、スープやカレー、調味料なども開発。オンラインショップでの販売にも力を入れていく。

おいしさを担保した冷凍食品をつくる。

「無農薬野菜とかって、生産量をコントロールしづらいんですよ。買ってもらえなえなければ廃棄になるし、形が悪ければスーパーに並べられません。食材の高騰、フードロス、持続可能な生産など、さまざまな課題があるなかで、僕らに何ができるだろうと考えたとき、おいしさを担保した冷凍食品をつくることだと、さらに開発を進めていくことにしたんです」

スタッフがやりたいと思えることを実現していきたい。

「好きな生産者のそばにお店を開き、そこで採れた野菜にかけるだけで立派な料理になるようなソースが開発できれば、地方に役立つことにもつながるはず。そんな話題でスタッフたちと盛り上がり、プロトタイプとして『タバッコ』事業を始めました。スタッフがやりたいと思えることを実現していきたいんですよね」

社員それぞれが自発的に行動できる体制を。

現在の社員は約30人。持続可能な雇用に向けて、社内に事業企画部、料理開発研究部、広報部、ワインサービス部、管理部、物販戦略部、人材開発部という7つの部署を設置。社員それぞれが自発的に行動できる体制を整えた。

「職人を育てる」という意識だけでは成り立たない。

「これからの料理人は、会話の仕方やサービスの仕方、ビジネススキルも身につけるべき」だと堤さん。より働き方も自由になってきた現在、これまで強かった「職人を育てる」という意識だけでは成り立たないと指摘する。

めざすは全員が能動的に動けるチームづくり。

「職務を多角化させるには、適性を見極めることも大切です。たとえば料理を開発するのが苦手な人でも、同じことを真面目にやり続けることに長けていたりもするし、調理が遅い人でも、ワインの管理を任せたら誰よりも秀でたりもする。うちでは人の資質を知る診断ツールで各自のパーソナルデータをつくり、どういう仕事が向いていて、どういうところを伸ばせばいいかを考える。全員が能動的に動けるチームづくりをめざしています」

独立するスタッフにも、会社として何かしらフォローを続けられる体制を模索。

誰もが独立をめざす時代ではなくなった今、飲食業界においても持続可能な雇用は大きなテーマだ。独立を目標にする場合でも、開業はできても継続は難しい。独立するスタッフにも、会社として何かしらフォローを続けられる体制を模索している。

幸せが連鎖する飲食業は楽しい。

「飲食は、単に料理を提供するんじゃなく、食に対する価値や幸せを提供する仕事。空間や笑顔をつくるための努力が必要です。AIに取って代わられる仕事が増えてきていますが、人とのつながりは決してなくなりません。やりがいがあり、お客様を幸せにして、自分自身も幸せになれる。大好きないい仕事です。つながりの連鎖を意識すれば絶対に楽しいと思うので、興味がわいた人には飛び込んできてほしいと思います」

一度は離れたものの、やっぱりお菓子がつくりたいという、自分本来の気持ちにたどり着いた。

夫婦で始めた洋菓子店でさらに道を拓いていく。

2022.2.8
野口育恵さん
pâtisserie COCORO オーナーシェフパティシエール
辻󠄀製菓専門学校(現在の辻󠄀調理師専門学校)卒業後、製菓事業を手がける企業に就職して経験を重ね、製造部チーフとして奈良の喫茶店に勤務。その後、派遣社員として事務職を経験し、結婚・出産を経て2011年には、辻󠄀調グループに就職。2012年、大阪・南森町で『sweets labo COCORO』を起業。2019年9月には兵庫県西宮市に場所を移し、夫・智邦さんとともに『pâtisserie COCORO』としてリニューアルオープン。

製菓を仕事にしたいという想いを伝え、学生時代の恩師から再び学ぶことに。

母校の企画部で働くなか、ある日、学生時代の担任だった大林万希子先生と再会する。
「そのときの気持ちを伝えたところ、自宅でお菓子教室やっているからと誘っていただき、週1回ぐらいのペースで通うようになったんです」
実務経験が少ないうえ、ブランクが長い。これから製菓を仕事にできるようにと、ベースとなるお菓子を最初から学ばせてもらった。

「家のオーブンだからできない」は言い訳。

「マンツーマンのときには、『野口、なぜこうするんだった?』と授業みたいな感じでしたよ(笑)。これは家庭でのやり方だけど厨房に入ったらこうやる、といったことも織りまぜながら真剣に教えてもらいました。『家のオーブンだからできない』は言い訳。どんな環境でも、その人に知識と腕さえあれば、おいしくつくれるからと言われ、小さな工房からでも始めてみようと思えました」

先輩シェフは、独立開業の相談も親身になって聞いてくれた。

しばらくすると、辻󠄀調での仕事で訪ねた兵庫県西宮市の『パティシエ エイジ・ニッタ』のお菓子教室にも通うように。先輩にあたる新田英資シェフは、独立開業の相談も親身になって聞いてくれた。
「両親が自営業だったのもあって、幼い頃から仕事をしている背中を見てきたんですよ。大変そうだけどキラキラしていて。私もそんなふうに、子どもたちにも頑張ってきたと言えるお母さんになりたい。好きなことなら愚痴も出ずに続けられるだろうとも思ったんですよね」

製菓一本で頑張っていこうと…。

そろそろ製菓一本で頑張っていこうと、2015年、同僚たちの応援を受けつつ辻󠄀調グループを退職。ネット販売もブログからWebサイトに切り替え、週末には工房で生菓子も販売するようになった。

今のままではダメだと諭される。

「退職して定収入がなくなったので、スポット的なイベントやウエディングの仕事に頼ってはいられないと頑張ってはいたんですが…もともと工房用に借りたところなので立地も悪く、自転車操業のままで。ずっと見守ってくれていた主人にも、これをずっと続ける気なのかと訊かれ、ちゃんと仕事として成り立たせたいと答えたところ、じゃあ今のままではダメだと諭されました」

夫ととことん話し合う。

その話を受けて、智邦さんは言う。
「深夜まで働き詰めで、いつか潰れちゃうんじゃないかと心配していたんですよ。だけどある日、帳簿を見せてもらったら、あんなに頑張っているのに…と(苦笑)。実は、なんでも一人で抱えこんでしまう彼女をみていて、僕自身もいつかは一緒にやるのがいいだろうと感じてはいたんですね。続けるという気持ちの強さを確認できるまで、とことん話し合いました」

製菓を仕事として確立させるため、人生の伴侶が仕事のパートナーになった。

「続けたいなら、手段を探すしかない。数字が読めたり、事業計画が立てられたり…と、彼女をサポートするのに必要な条件を挙げていったら、僕の得意な分野だったんですよね。まずは現状を知るためにも、いろんなパティスリーの商品を食べてみたところ、彼女のお菓子なら、やり方さえ間違わなければ絶対に売れると確信して。それでもう、しっかり腰を据えようと会社を辞め、物件探しから始めました」(智邦さん)

出店場所をリサーチ。

智邦さんのリサーチによれば、大阪に比べて兵庫県、とくに西宮や芦屋には洋菓子文化が根づいているうえ、物件が大阪市内よりも安価。それで見つけたのが、今の場所だったという。「新田シェフ(パティシエ エイジ・ニッタ)の存在も後押しになった」と育恵さん。

デザイナーを入れず直接工務店とやり取りして、お店づくりを進める。

「お菓子づくりを習いに通い、西宮のまちのイメージも良かったんです。2018年末から準備を進めたんですが、どんな雰囲気のお店にしたいか旦那に伝え、デザイナーさんは入れず工務店さんと直接やり取りしてもらうことで経費を節約しました。オープンしたときには、大阪からのお客様もわざわざ来てくださって…。今でもすごく応援してくださっているので、ありがたいです」

小さなお子さんからお年寄りまで、地域の人たちみんなに食べてもらいたい。

スタート時には自身が大好きなタルトや焼き菓子をメインにしようと考えていたが、「小さなお子さんからお年寄りまで、地域の人たちみんなに食べてもらいたい」という思いからショートケーキを定番に。常時、10種類ほどの生ケーキも置くようになった。

わずかな期間でフォロワーも5,000人ぐらいに増える。

「広く知ってもらえるきっかけになったのは、おそらくインスタグラムです。カフェスペースを併設したので、提供したお菓子をその場で撮影してアップしてくださるお客様も多く、お店のフォロワーもわずかな期間で5,000人ぐらいに増えました。オープンから半年ほどでコロナ禍になったんですが、そこからまたすごく忙しくなって。出歩けない人たちがお家用に買いに来てくださり、どんどん売上げが伸びていきました」

生産拠点と実店舗・オンラインショップを総合的に運営。

「ほしいと思ってくださった方に届けたいので、オンライン販売にも力を入れていきます。場所によっては、お菓子屋さんを選べない地域もありますからね。生産拠点と実店舗・オンラインショップを総合的に運営していきます。目下の課題は、人材育成。しっかりと人を育て私のお菓子をどんどん伝えていきたいと考えるようになりました」

学生時代に学んだ基礎の部分を、いま、スタッフにも教えている。

「スタッフを教育するにあたり、役立っているのが学生時代に学んだ基礎の部分です。器具の使い方や仕事の回し方が少し違えば、作業効率も全然変わってきますからね。当時、先生方の動きを見て『すごいな』と感じたことを、いま、スタッフにも教えています」

夢の持ち方も変わっていった。

「もともと、私は自分の好きなお菓子がつくれたらいいかな…というくらいの気持ちでしたが、主人と話し合う中、オンライン販売や海外展開まで含めた事業として捉えていく視点に触れ、夢の持ち方も変わっていきました。自分だけでは拓けない世界へ一緒に踏み出せたことは、とても嬉しく感じています」(育恵さん)

気になるになることに対しては、まず行動してみることが大切。

たとえ強い動機じゃなくても、「好きだな」から始まって、どっぷりハマることだってある。「気になるになることに対しては、まず行動してみることが大切」だと、育恵さんは語る。

成長を感じながら、好きなことを仕事にできる。こんな幸せなことはない。

「私の場合、たまたま友だちに誘われて踏み出した一歩でしたが、体験してみたことで『これだ!』と思えましたからね。ずっと学び続けられて、成長を感じながら、好きなことを仕事にできる。こんな幸せなことはありません。どんな仕事についても、しんどいことは必ずある。そのなかで、好きなことを仕事にできる環境って、とても素晴らしいと思うので、好きだと感じているなら、『大変そうだな…』と諦めるんじゃなく、突き進んでほしい。自分に負けず、好きなことに向かっていったほうが、あとで良かったなと感じられるはずですよ」

若くして大規模ライブレストランの料理長に抜擢。

約1年間の産休を経て現場復帰し、さらなる活躍を見せている。

2022.10.26
永岡沙理さん
Billboard Live OSAKA 料理長
三重県出身。三重県立名張高等学校から辻󠄀調理師専門学校のカフェクラス(当時)に進学。2007年に卒業後、ライブレストラン『ビルボードライブ大阪』に就職。2016年には料理長に。2021年から約1年間の産休を経て、翌年9月、現場に復帰。さらなる活躍を見せている。

客席数300を超えるエンターテインメント空間。

アメリカの音楽チャート「ビルボード」に由来する、世界標準のライブレストラン『ビルボードライブ』。国内外の多彩なアーティストたちのライブを、おいしい料理とともに味わえる、客席数300を超えるエンターテインメント空間だ。
その大阪店の料理を取り仕切っているのが、2016年に29歳の若さで女性料理長となった永岡沙理さん。約1年間の産休を経て2022年9月に現場復帰し、さらなる活躍を見せている。

きっかけは「なんとなく」だった。

「若くして大バコの料理長」というと、さぞ野心をもって今のポジションに登り詰めた人なのかと思いきや、きっかけは「なんとなく」だったと振り返る。座学が苦手で、地元三重県名張市の総合学科がある高校へ進学。さまざまな実習を経験するなかで、食物系のコースを選択した。

つくったお菓子を人にあげて喜ばれるのもうれしくて…

「芸術、メディア、スポーツ、被服など、1年次に好きな授業を受けてから2年次からの専攻を選べる学校だったんですが、調理が一番、面白かったんですよね。学校で習ったお菓子を家でつくって人にあげて喜ばれるのもうれしくて。3歳上の兄が大阪の辻󠄀製菓専門学校に行っていたこともあり、自分も食の世界へ進みたいなと考えるようになりました」

和洋中やエスニック、スイーツなど幅広く学べたことが今に生きている。

受験期の学校説明会で知ったのが、辻󠄀調理師専門学校のカフェクラスだった。和洋中やエスニックなど幅広い料理ジャンルの基礎技術を習得し、スイーツやドリンク、盛りつけなどの専門知識も学習。おいしい料理で集客できるカフェづくりをめざそうというクラスだった。

進学当時は、お店を開くことも…。

「いろんなジャンルにチャレンジできるのがとても魅力的でした。当時は地元におしゃれなカフェがなかったので、大阪にあるようなお店を開ければなとも思っていました。電車で1時間ほどだったので、大阪へはよく出かけていたんですよ。グループ校に兄が通っていた安心感もあり、迷わず進学しました」

友だちの輪もすぐに広げられた。

極度の人見知りだったが、小中高と一緒だった同級生が同じクラスになったことで不安はなくなった。その友人とは通学もアルバイトも含め、ずっと行動をともにしていたという。
「おかげで友だちの輪もすぐに広げられました。高校では家庭料理がメインでしたが、専門学校では初めてふれる料理ばかり。幅広く学べたことが今に生きています。自由参加の講習会にもさまざまな講師が来てくださり、季節のお菓子をつくったりバリスタの体験をしたりと勉強になりました」

学んだことをどう応用すべきか…。

1年間の学生生活は楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。料理をすることは楽しかったが、一分野を突き詰めようとは思えない。就職したい店舗も見つからず、学んだことをどう応用すべきかを考えあぐねているうちに、卒業間近となってしまう。

『ビルボードライブ大阪』との出会い。

「悶々としていた頃、母親がネット上で『ビルボードライブ大阪』の募集告知を見つけてくれたんです。そこで二人でライブを観に行ったところ、楽しそうだし雰囲気もいいし歳の近そうなスタッフも多いんじゃないかと応募。しばらくして、『明日、面接に来られる?』と電話があったので即答し、アルバイトとして働き始めることになりました」

面接いただいた方の見た目が怖くて…。

「面接してくださった和田成生(わだしげなり)さんの下につく形でサラダやデザートを担当するようになったんですが、見た目がすごく怖くて(苦笑)。実際はとても優しかったので、1カ月ほどで話せるようになってからは楽しかったです」

わくわくする魅力がある、創造性豊かな料理に出会い、めざす道が見えてきた。

「西洋料理がベースながらも、和田さんがつくるのは見たこともない創造性豊かな料理。どれもひと手間かかっていて、わくわくする魅力があるんです。学生時代は自分のめざす料理が見えず、どこに就職したらいいかもわからなかったんですが、わくわくする料理をつくりたいと思えるようになりました」

メニューを考えることが面白くなってくる。

しばらくは、和田さんとしか話さなかったというが、先輩たちから声をかけてもらい、徐々に打ち解けていった。3年目にもなるとメニューの提案を求められるようになり、考えることが面白くなってくる。頭つきの魚を率先してさばかせてもらうなど、技術を高めることにも積極的に取り組んだ。

どんどんやりがいが高まっていく。

「料理長にも褒められるようにもなったことがうれしく、『こういう料理をつくりたい』というアイデアがどんどん湧いてくるようになりました。ライブレストランという形式上、開場から開演まで1時間でオーダーをとって提供するのでスピードも重要。集中して素早く動き、演奏が始まるまでにさばききる達成感も楽しいんですよ。長年勤めていくと、演者さんや音楽の系統によって、よく出る料理の傾向がわかってくるので、それに合わせて段取りを組み立て、スムーズに進められると気持ちがいい。どんどんやりがいが高まっていきました」

『料理も面白くしていこう』と、二十代にして料理長にと打診される。

料理長が交替するタイミングで、東京への異動前だった当時の総支配人から「もっと料理を盛り上げてほしい」と誘われ、正社員となる。その後、さらに大規模な改革が始まり、『料理も面白くしていこう』と、二十代にして料理長にと打診された。

「責任は取るから自分のやりたい料理をぶつけてほしい」と口説かれ料理長に。

「その頃には料理に対して意見することも多かったので、風が変わるのでは、という狙いがあったと思います。まさかの出来事でしたが、新しい支配人から『責任は取るから自分のやりたい料理をぶつけて、料理長として頑張ってほしい』と言ってもらえ、挑戦することにしたんです」

みんなで話し合いながら料理をつくりあげ、チームワークもできていった。

しかしそれまでメイン料理の担当経験もない。どう進めればいいのか難しかったが、突破口はとにかくコミュニケーションをとることだった。
「その料理を担当経験豊富なスタッフに勇気をもって、『こういうふうにつくってほしい』と相談したり、『もっとこうしてほしい』とお願いしたり、つくってみた料理に意見をもらったり。みんなで話し合いながらつくりあげ、チームワークもできていきました。自分が提供したい料理を売り出してもらうには、サービスのメンバーにもきちんと伝えなければといけません。ここに来てようやく、人見知りが克服できたと思います(笑)」

ライフスタイルに合わせた働き方もできる。

阪急阪神グループの経営で福利厚生が整っているのも安心だった。コロナ禍で一時は休業を余儀なくされたが、その間も手厚いサポートが受けられた。産休からの復帰後は、勤務を早めの時間帯にシフトさせられるなど、ライフスタイルに合わせた働き方もできるという。

お客様にも、料理が成長しているなと感じてもらえるとうれしい。

「現在は朝11時に出勤して、納品物やメールをチェックし、クリスマスなどシーズンメニューの考案や料理の撮影、資料の用意などを行い、仕込みが足りていないところは手伝い、終われば事務作業を行い、オープン時にキッチンへ入ります。セカンドステージが始まる前は確認だけして20時には終業。タイムスケジュールが組める、段取り力のあるスタッフが残ってくれているので、仕事も進めやすいです。まだ海外アーティストの公演が難しいので(取材当時)、早く以前のような状況を取り戻したい。再びいらっしゃるお客様にも、料理が成長しているなと感じてもらえるとうれしいです」

結局は動いてみないとわからない。いろいろ経験を積むなかで見えてくる。

「以前は『こうじゃないとだめ』という思いが強かったんですが、案外そうじゃなくても大丈夫だし、怖そうに見える人も接してみないとわからないし(笑)。なんでもやってみないとわからいものです。漠然と料理の道に進もうと考えている若者のなかには、私のようにやりたいことが全然わからない人もいると思います。見つかれば楽しいんですが、出会うまでは思い悩むこともあるでしょう。結局は動いてみないとわかりません。いろいろ経験を積むなかで見えてくるものなので、まずは飛び込んでみたほうがいいと思いますよ」

辻󠄀調で学んだことで今につながっていることは何ですか?

下永恵美さん
やきがしや SUSUCRE(シュシュクル)オーナーシェフ

「こうすれば、こうなる」ということわかっていれば、つくるのは誰でもできると思うんですよね。逆に言うと、そこに至るのが難しい。その基盤が築けたのは、学生時代だったと思います。

寺地貴子さん
ターブル・ド・シック フレンチレストラン/料理教室 オーナーシェフ/1級フードコーディネーター

毎日が濃くて、料理自体がますます好きになりました。学べて良かったのは、基本的な技術はもちろん、料理人としての姿勢です。厨房は厳しいところだと教えられていたので、現場に出てからも順応でき、今まで続けることができています。

堤亮輔さん
株式会社タバッキ 代表取締役/オーナーシェフ

実習が多く、実践を通じて学べるスタイルが自分には向いていて楽しかったです。ソースもフォンドヴォー(出汁)も、ちゃんとつくればおいしく仕上がるのが面白い。フランス料理の技術はイタリア料理にも応用できると学び、卒業後はフランス料理店で働き始めました

野口育恵さん
pâtisserie COCORO オーナーシェフパティシエール

スタッフを教育するにあたり、役立っているのが学生時代に学んだ基礎の部分です。器具の使い方や仕事の回し方が少し違えば、作業効率も全然変わってきますからね。当時、先生方の動きを見て「すごいな」と感じたことを、いま、スタッフにも教えています。

永岡沙理さん
Billboard Live OSAKA 料理長

高校では家庭料理がメインでしたが、専門学校では初めてふれる料理ばかり。幅広く学べたことが今に生きています。自由参加の講習会にもさまざまな講師が来てくださり、季節のお菓子をつくったりバリスタの体験をしたりと勉強になりました。

料理のチカラを学びとる

1960年創立
体系立てて学べる独自のカリキュラム

オープンキャンパス

東京・大阪
全国各地の出張相談会
オンラインでも開催

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調のオープンキャンパスで感じたのは「授業の中での情報量の多さ」です。お菓子作りの実習の中で「なぜ、シュークリームは膨らむのか?」を説明する時にも、「生地の水分が蒸発する」だけじゃない理由を教えてくれます。2年間でどれだけ成長できるか?と考えた時に、この情報量の違いは大きいなと感じました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

地元で開催された辻󠄀調の体験実習には10回くらい参加しました。ただ見て学ぶだけではなく、これがなぜ起きるか?その理由を詳しく教えてくれて「もっと知りたい、面白い」と思いました。普段、ネットで調べて動画を見ながらモヤモヤしていたことが、目の前で実際に手を動かしながら教えてもらうと全然違うと感じました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調のオープンキャンパスで、先生と生徒の間の「信頼関係」を感じました。辻󠄀調の学生の方が実習で先生をサポートする様子に、上下関係はありつつも距離感の近さがあって、暖かい雰囲気を感じました。お菓子作りが好きで、お菓子を届けたいっていう想いに溢れた場で、技術だけじゃなくて、人としても成長できそうな学校だと思いました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

中学高校の机に座って聞くだけの授業は苦手でした。辻󠄀調では、座学の講義でも試食があって、匂いや味を感じながら、理論や根拠を教えてくれるので、記憶に残ります。オープンキャンパスでは一人一台の調理台で、基本的な知識から教えて頂きましたが、こちらが質問したら、先輩方からも先生からもしっかりとした答えが帰ってくるのがすごいなと思いました。

辻󠄀調理師専門学校 東京
2024年入学

辻󠄀調の先生は、技術の高さと知識量はもちろん、料理の説明の仕方がわかりやすくまとまっていたり、実際目の前で調理をしている時でも、お客様との対話の仕方のレベルの高さをすごく感じました。たまたま理事長とお話しする機会があったのですが「フレンチやイタリアンは、一皿目、二皿目の独創性がすごく肝心」という言葉を頂いて、それも初めて知った感覚で、学校全体の「教える」ということのレベルの高さを感じました。

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