www.tsuji.ac.jp 辻調グループ校 学校案内サイト www.tsujicho.com 辻調グループ校 総合サイト blog.tsuji.ac.jp/column/ 辻調グループ校 「食」のコラム


ニニョン氏紹介


 私は種々(くさぐさ)の無用のことを忌避するものではないが、もちろん必要なものならずっと好ましく思う。見事な出来映えの本書は必要なものであり、参考書や辞書、地図帳と並んでその場を得るものである。  

 料理人の書いた本ではなく、オーナーであるからこそ著せた書である。金に糸目をつけないような本ではなく、まさに料理法を集めたものとなっている。 これを切り分け、むさぼり食うがよろしい。味よきが故に無上の快を得るは必定。まさに書かざるをえずして書いた人々の手になる本こそが、持つ魅力と重みを感じさせる。(中略)

 ニニョン氏は背が高く、たくましい身体つきで、大きくてごつい手をしており、風貌はいかめしく、まるで毎年の猪狩りの合間にパリで過ごしている田舎住いの貴族を思わせる。 この人は人生の1/3を全身白で包み、あとの1/3を全身黒で包んで生きたことになる。ロシア皇帝、オーストリア皇帝の料理長を務めたこともあり、20年の間は白い調理服を着、ブリオッシュの形をしたあのコック帽をかぶっていたのである。(中略)

 40歳になって、白衣を脱ぎ燕尾服に着替えた。つまり、40歳から60歳まで黒服を着て過ごしたのである。テーブルの間を回り、舌平目の料理はどれにするか相談にのり、山ウズラの季節になったことを教え、デザートを奨める。全体を見守って、あちらに塩味を効かせ、こちらに甘味をつけながら、この店のテーブルにはパリの一流人士をお迎えしているのですと彼がいってもおかしくはない。 どれほどの会話に花が咲いたことか、どれほどの約束が交わされたことか、どれほどの物事が決まったことか、なんとそのすべてにニニョン氏は関わっていたのである。

 招待する側が自分のテーブルを押さえ、客に出したい料理の注文をするために夕刻を過ごすような悠揚せまらぬ時代であった。
 悲しいかな、いまやそれは昔の話であり、ニニョン氏は“本日のお奨め料理”が幅をきかせ始めたのに気がつき、隠退した。(中略) パリからずっと離れた、ディナン近くの自分の城(中略)にこもって、将来を見つめ、あまりにも時期尚早だが、その将来に強い関心を持ち、ある日こうつぶやいた。 「もし、遺言書をしたためるとしたならば」と。 そこで、ペンをインキにひたし、本書を書きあげた。

-サッシャ・ギトリ-
『フランス料理讃歌』序文より辻静雄料理教育研究所 訳






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