お好み焼きは、大変利用価値の高い食べ物だと思います。食事の代わりになるし酒の肴にもなるし夜食にもなりますからね。現在は、庶民の食べ物の代表選手みたいになっていますが、元々は違うようです。安土桃山時代に千利休という人が茶懐石に用いた麩の焼いたものが、今のお好み焼きのルーツではないかといわれています。これは、小麦粉を水で溶き、焼き網の上に薄く伸ばし、最中の皮のように焼いて、味噌を塗ってグルグル巻きにしたものだそうでです。 これが、元になって江戸時代に文字焼きというものが流行り、明治になってどんどん焼きというものが登場しました。これらに共通していえるのは、日本人の大好きな糊食であるということと一種の遊戯料理で子供たちでも作る楽しみがあるということです。
昭和の6年頃に東京の花柳界でどんどん焼きが大評判になりました。30cm四方の鉄板、炭火の焼き台、いろいろな具材、調味料が調えられ、この形がまさしく今のお好み焼きに変形したのだと思います。 第二次大戦後に東京から大阪にこれが伝えられました。大阪が本場のように思われていますが、元は東京からきた食べ物なんですね。そして、大阪の人に大いに受け入れられました。
大阪に入ってきて具の種類が豊富になり独特の甘いソースが作られ腰掛け式のカウンターで気軽な雰囲気で楽しむようになりました。とにかく安くておいしくてボリュームのある食べ物に変わりました。 大阪の某店は、毎日行列を作っているようなところもあります。大阪人は、美味しいものを食べるためなら行列を作って待つことも平気です。 やがて、広島へ伝えられ広島焼きとして独特の形になっていますが、所変われば品変わるという言葉があるごとく、独特の発展を遂げるのは面白いですね。 |