www.tsuji.ac.jp 辻調グループ校 学校案内サイト www.tsujicho.com 辻調グループ校 総合サイト blog.tsuji.ac.jp/column/ 辻調グループ校 「食」のコラム




金沢の食を支える近江町市場

沢観光に来た人が、たいてい訪れるところの一つに近江町市場があります。ガイドブックには絶対に紹介されるところでかなりの人気があります。

先日、私も行ってきたのですが、一目見て明らかに観光客とわかる人々でごった返していました。丁度、松葉蟹のシーズンでしたのでどこを見ても「蟹!蟹!蟹!」という感じで魚屋という魚屋は蟹で満ちあふれていました。よくもまあこれだけ集められるもんだとひとしきり感心していました。市場を見て歩くというのは楽しいですね。市場には、活気があって、あふれんばかりに並んでいる魚や野菜や果物をみていると何となく生きているという実感がするんです。大袈裟でしょうか。




は、仕事柄かとにかく市場を見て歩くのが大好きなんです。仕事で出張した時などよく見て歩きます。そうするとその土地の食生活の様子が見えてきます。

そこで近江町市場の場合ですが、まず食生活は大変豊かだなと感じます。
その理由の第一は、とにかく食材の種類の豊富なことがあげられます。季節の魚介類や野菜などが、ところせましと並んでいます。ということは、それだけ需要があるということであり食生活の豊かさを想像するに難くありません。第二番目にその食材の鮮度の良さがあげられます。魚でも野菜でもとびきり鮮度の良いものが並んでいます。今まで生きていたんでないかと思わすようなブリやタラ、土がびっしりとついたままの蓮根や見るからにおいしそうな蕪や大根など。

種類が豊富で鮮度が良いとくればもうその土地の料理は美味しいに決まっています。
金沢というところは、つくづく「食」に恵まれたところだなと思います。





ころで、ちょっと余談になりますがここで市場のルーツをご紹介します。

3世紀頃の話しですが、当時の習慣として人々が神祭りの為に定められた特定の場所に集まるということがありました。そうした機会をとらえては、各々が自分の作った収穫物を携えてきて、品々を交換していたわけなんです。例えば古代の大和では、椿の大木を中心にして神祭りと市場が開かれた海石榴(つばき)市がありました。とにかく、自給自足の形態の中ではカエコトといいますが、物々交換することによって生活が成り立っていたわけなんです。
たとえば米と魚を交換したり、米と塩を交換したり。その当時は、いろいろな品物の中から自分が選んでする買い物ではなくて、個人がバラバラに持ってきた品物が集まって市が出来る。そこで、売り手と買い手のようにカエコトもだんだんと多彩になり、賑わいや活気がはずんでくるのです。現在、その名残を輪島の朝市や夕市、高山の朝市に見ることが出来ます。
物々交換、カエコトは農村の米と海辺の町の塩干物など、実はつい最近まで個人個人で行われていたようです。
市場には、市の神を祭り、その神祭りの為に人々が集まって物々交換をする。これが、市場というものの起こりです。近江町市場も同様です。

さてそこで、近江町市場の近江という名の由来ですが、市場のすぐ側に市姫神社というものがあります。この神社は、実は、元々京都五条の市姫神でありました。この神社を金沢に勧請(かんじょう=神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。)したのが近江の商人であったようです。このことから近江町市場と名づけられたようです。しかし、確かな根拠はありません。あくまでも一つの説です。 


近江町市場について長々と述べてきました。最後に、この間金沢の駅からタクシーで市場に向かう車中での話し。運転手さんから「お客さん、買い物する時には必ず値切りなさいよ。」と言われました。
というのは、観光客が多い為に最初から値は高めにつけてあるんだということでした。『金沢の台所といわれたこの市場も世俗化されてきているんだな。』と少し寂しい気がしました。
若い地元の人には、もしかして大手のスーパーに人気があるのかも知れません。








加賀百万石
と魯山人




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