69 能因法師

平安時代、中期の歌人です。先祖には橘諸兄(たちばなのもろえ)がいます。永延2(988)年生まれですが、亡くなった年ははっきりしていません。摂津国古曾部(せっつのくにこそべ=大阪府高槻市)出身なので、古曾部入道とも呼ばれました。26歳か27歳の時に出家。子どもは2人ほどいたようです。文章生(もんじょうのしょう)という大学寮で学ぶ学生にもなっていて、将来は約束されていましたが、どういう訳か世捨て人になりました。一説には、恋する女性が亡くなったためだとか。出家後は全国の歌枕(和歌に読み込まれた名所)を旅して歩いたともいわれます。


歌の方ですが、豪華絢爛で、まさしく錦(=金糸、銀糸、華やかな色の糸を使っていろいろな模様を織り出して作った織物。または模様の美しいもの)のような風景です。はやり言葉を使うなら「チョーゴウカ」とでもいったところ。

三室の山の美しい紅葉はあらしに吹かれて舞い散り、龍田川に落ちて行く。その光景は、まるで錦のようだ。

三室の山は奈良県生駒郡斑鳩町龍田にある神南備山(かむなびやま)、龍田川は上流を生駒川という、生駒郡を流れて大和川に注ぐ川。どちらも今に続く有名な紅葉の名所です。


さて、これを和菓子にしてみると…。

重松 麻希

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