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【とっておきのヨーロッパだより】ヨーロッパ一「高い」ワインを造る村々―ヴァッレ・ダオスタ

12<海外>とっておきのヨーロッパだより

2011.03.11

【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム??

辻調グループフランス校はリヨン近郊(フランス東部、スイス国境に近い位置にあります)という立地のよさもあり、北部にあるブルゴーニュ地方や南部にあるローヌ川沿いの山間で取れるワインを味わう機会が多く、ワインの勉強になります。フランスのワインを「知っている気分」になりがちですが、まだまだ知らないことは多く、特に「ワインといえばフランス」というわけでもないことをたまに思い出すことになります。フランスの近くにはイタリアやスペインといったおいしいワインを作っている国があり、そういった国のワインの話題になると、「まだまだ勉強が足りない」と思い知らされます。
今回はリヨンから車で3時間ほどの所にあるイタリアの「ヴァッレ・ダオスタVALLE D’AOSTA」という州でとれるワインをいくつかご紹介します。ここには「ヨーロッパ一高いワイン」があるんです。と言っても値段がではありません。ヨーロッパ一標高の高いところで造られるワインとして知られているワインがあるのです。そんな標高の高いところで造られるワインとは味も特別なものなんだろう、と興味がわきます。
ヴァッレ・ダオスタにブドウの樹が入ってきたのは1272年で、ヴァッレ・ダオスタ州のとなりの州、ピエモンテ州にあるイヴレアという町の司教によって、ブドウ作りに適した土質に畑を改良し、より手間ひまをかけてブドウを作るようにとの命令が下ったそうです。司教から命令が下る…ワインに対する思いが「アツい」土地であったのですね。
現在ヴァッレ・ダオスタのワインの生産量は年間200万本ほどと、イタリアワインの中で最小です。
ガケと呼べるような急勾配の土地に植えられたブドウを収穫するのは至難の業、生産量が少ないのもうなずけます。生産量の半分は地元で消費してしまうそうなので、ヴァッレ=ダオスタまで足を運ばなければ味わえないワインも多いようです。そういったワインを味わいに行ってきました。


アオスタ渓谷

ヴァッレ・ダオスタというところは、イタリアでありながらフランス語がほぼ通じます。このエリアはかつて現在のフランス、イタリア、スイスにまたがるサヴォイア家の領地であった期間が長く、サヴォイア家統治時代につちかわれたフランス王家やフランスの名家とのつながりがこの地域に根強く影響を及ぼしており、イタリア語と共に古くからフランス語を使っていました。
歴史をさかのぼると、アルプスの主要陸路を結ぶ要衝として早くから栄えたこの地域には、紀元前2900年にはすでにケルト系の民族であるサラッシ族が定住していました。紀元前25年、ローマ皇帝アウグストゥスの軍隊によってサラッシ族はこの地を追われ、”アウグスト・プラエトーリア”と呼ばれる町が建設され、現在の州都アオスタの前身となります。
その後、ゲルマン系民族によるブルグント王国下に置かれた一時期を経て、1032年のブルグント王国崩壊後はサヴォイア家のウンベルト・ディ・ビアンカマーノ伯(ウンベルトⅠ世)が町の主権を握って初代サヴォイア伯となり、サヴォイア伯領が誕生しました。その後「サヴォイア公国(1416年~)」、「サルデーニャ王国(1720年~)」 と国名は変遷しましたが、一貫してサヴォイア家がこの地の主権を握り続けます。1860年、イタリア統一の機運が高まった際には、イタリア王国をフランスに承認させるための取引としてサヴォワ地方がサヴォイア家からフランスに割譲され、サヴォイア家当主が初の統一イタリア王国の君主となりました。  第二次大戦後に王制が廃止となり、イタリア国外へ追放となってしまうまで、実に9世紀の長きにわたり、サヴォイア家はこの地に影響を及ぼし続けたのです。1948年の特別憲法の発布によりヴァッレ・ダオスタには特別自治権が与えられ、特別自治州となりました。※注1
イタリア領とはいえ、地理的にも言葉の面でもフランスとイタリアの双方と深い結びつきがあり、フランス語も浸透していた土地であることが考慮され、ヴァッレ・ダオスタではフランス語はイタリア語と並び公用語とされました。学校でもフランス語は必修だそうです。
そのためかどこへ行ってもほぼフランス語が通じ、イタリアにいることを忘れてしまいそうです。道路標識や建物の名前もフランス語、イタリア語両方での表記となっており、当時の名残を感じます。

さて、そのヴァッレ=ダオスタに行くためには、フランス校のあるリヨン近郊から東部、スイスのジュネーヴ方面に向かいシャモニーを目指して進みます。国境のモン・ブラントンネルまで車で2時間半ほど。トンネルを抜けるとフランス語の「モン・ブランMONT BLANC」の表示にイタリア語の「モンテ・ビアンコMONTE BIANCO」が加わり2ヶ国語表記になります。そして高速道路などの表示がフランス式からイタリア式に変わり(フランスでは高速道路は青い看板ですが、イタリアでは緑の看板)、「イタリアに来たなあ」と感じます。トンネルを抜けて最初にある町、クールマイユールCOURMAYEURまでの道中、窓外に広がる景色は絶景です。イタリア側からモン・ブラン(モンテ・ビアンコ)を見るほうが壮大な山々を感じることができます。
先に進むとモルジェMORGEXという村があります。ここから南東に3kmのラ・サルLA SALLEという村にかけての一帯では、は標高1000メートル近い高地でありながら、ブドウ畑がたくさん見られます。


広がるブドウ畑

ブドウの栽培される土地としてはヨーロッパ一標高の高いこの一帯(最高で1200メートル)では、「ブラン・ドゥ・モルジェ・エ・ドゥ・ラ・サルBLANC DE MORGEX ET DE LA SALLE」という名前のD.O.C.(統制原産地呼称)ワインが作られます。※注2
フランスではほとんど見かけない石の柱に支えられたブドウの木が多く、フランスのブドウ畑とは違った雰囲気です。
訪れたワインカーヴ(醸造所)で「この石の柱は何でしょう」と聞くと、カーヴの経営者の女性がフランス語で説明してくれました。「石で太陽の光を集めて熱をため、その熱をブドウの木が吸収するとブドウがよく熟す、と考えられているのです」とのことでしたが、実際の効果の真偽ははっきりしないようでした。伝統、ということですね。


石で持ち上げられているブドウの木。
石に集められた熱でブドウがよく熟すと考えられています。

ブラン・ド・モルジェ・エ・ド・ラ・サルはブラン・ド・モルジェBLANC DE MORGEXというブドウ品種で造られる白ワインと聞いていましたが、訪れたワインカーヴではプリエ・ブランPRIÉ BLANCという品種で造られていました。ブラン・ドゥ・モルジェを使わないのはなぜですか、と尋ねると、「ブラン・ドゥ・モルジェと書かれている場合はプリエ・ブランのことなんです」教えてくださいました。同じ品種で呼び方が違うのですね。醸造所ではプリエ・ブラン、ともともとの品種名で呼ぶことが多いですが、土地の名前を品種としてラベルに記載したりするのは、その方が馴染みやすいからとのことでした。意味は「モルジェという村のブラン(フランス語で「白」)」、モルジェの白ワインという意味になります。


プリエ・ブラン種で造られた白ワイン「ブラン・ド・モルジェ・エ・ド・ラ・サル」

プリエ・ブランという品種はヴァッレ・ダオスタのような日照時間の少ない土地でも生育することができ、発芽から完熟までの期間も短いため、昔から使われている品種だそうです。このブドウ畑は高度が高く、年間を通じて寒い時期が長いため、春先の遅霜によってブドウの芽が全滅してしまうこともあるそうで、そのためこのような寒さに強い品種を使うようになりました。寒い気候の中、熟度を保つ努力は不可欠で、最終的に熟度が足りないブドウを選別すると、1ヘクタールから3000本以下のワインしか造ることができないとのことです。標高が高いのでカビや病原菌が少ないがこの地域のアドヴァンテージではあります。
出来あがったワインは辛口ですっきりしており、魚料理と合うがアペリティフ(食前酒)にもよい、とおっしゃっていました。 飲んでみた感想としては軽い飲み口ではありますが、花のような香りが心地よかったです。スルスルと飲めました。イタリアで嬉しいのが、ワインの値段がフランスより安めなこと。おいしいワインがお値打ち価格で買えるので、ついつい多めに買ってしまいます。


訪れたワインカーヴ「メゾン・ヴヴェMaison Vevey」

もう一つ訪れたカーヴは、アオスタの東部シャンバーヴCHAMBAVEという村にありました。こちらでは、地名にちなんだシャンバーヴ・ミュスカCHAMBAVE MUSCATという品種の白やミュラー・トゥルガウMÜLLER- THURGEAUという品種の白などを試飲しました。シャンバーヴ・ミュスカはミュスカ種の特徴であるアプリコットや洋ナシのような味もしましたが、どこか味が引き締まっています。
カーヴのおじさんは「アスパラガスと飲むと合うよ」とおっしゃっていたので、春まで大事に取っておこうと何本かワインを購入しました。ミュラー・トゥルガウは注がれてから時間が経つにつれて濃いハチミツのような香りが広がり、口の中にその香りが長く残りました。このワインは個人的に大変気に入りました。


2軒目に訪れたカーヴ「メゾン・アンセルメMaison Anselmet」


シャンバーヴ・ミュスカ             ミュラー・トゥルガウ

私が泊まった宿の近くにニュスNUSという村があり、そこでは2種類のD.O.C.ワインが造られていました。一つはニュス・マルヴォワジーNUS MALVOISIEという白ワインで、原料となるブドウ品種はピノ・グリPINOT GRISの変種であるマルヴォワジーMALVOISIEという品種。もう一つはニュス・ルージュNUS ROUGEという赤ワインで、プティ・ルージュPETIT ROUGEという品種と、フランスでもおなじみのピノ ・ノワールPINOT NOIRという品種で造られていました。共に北のワイン、という感じのすっきりとした味のものです。


ニュス・ルージュ                ニュス・マルヴォワジー

ヴァッレ・ダオスタのワイン名はイタリア語のこともありますが、フランス語での表記がほとんどです。カーヴの方の話によるとこれは昔からの習慣によるものだそうですが、ワインを造るにあたって法律にかかわる部分のラベル表記はイタリア語になっています。イタリアという国の中でワインを造っている以上そうなるのですね。
アオスタのワインを美しい景色とともに満喫しました。いろいろな季節に何度も行ってみたいところです。

※注1 特別自治州…歴史的背景や民族、言語の違いを配慮することで統一されたイタリアを維持するために決められたもので、他の州と比べて財政的な自治権が与えられています。イタリアの全20州のうち特別自治州は5つあり、税収の大部分の裁量権を持っています。
※注2 D.O.C.(Denominazione di Origine Controllata)…統制原産地呼称。ブドウ品種、醸造法、熟成方法、熟成期間など厳しい条件をクリアしたワインのみが名乗れる呼称。ヴァッレ・ダオスタのDOCは以前ドンナツDonnazとアンフェール・ダルヴィエEnfer d’Arvierの二つに分かれていましたが、1985年に「ヴァッレ・ダオスタVALLE D’AOSTA」と一つに統一されました。