【百人一首と和菓子】かがり火
<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>
お菓子について
夕闇が静寂に包まれたころ、かがり火が灯されます。かがり火とは、夜間の警護や漁猟などのために野外で照明とされる大きな火のことです。灯された炎のゆらめきが、幻想的な世界へと誘います。
今回は村雨生地で「籠」を、小豆粒餡で「薪」を、練切生地で「炎」をそれぞれ表現しています。
豆辞典
49 大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)
生没年は西暦921~991年。平安時代中期の歌人です。61番の歌の作者のおじいさんで、神祇官(じんぎかん)という朝廷の祭祀をつかさどる家の出身です。三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)という、36人のすぐれた歌人の中に入っており、42番の歌の作者清原元輔たちといっしょに、『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』という歌集を作る作業や、『万葉集』に訓点(くんてん)をつけるという作業を行った「梨壺(なしつぼ)の五人」のメンバーでした。
名前の最後についている「朝臣」というのは、時代によって意味が異なります。作者は平安時代の人なので、五位以上の人につける敬称として用いられています。三位以上は姓の下に、四位は名の下に、五位は姓名の下につけたようです。
さて、歌の方ですが、
宮中を警護する衛士(えじ)が焚くかがり火が、夜は燃え、昼は消えるように、私も夜は恋しさに燃え、昼は消え入るように、絶えず物思いをしています。
というくらいの意味です。こんなに思われたなら、相手としては幸せなのか、迷惑なのか......。
ただし、この歌、大中臣能宣が作った歌ではないという説もあります。真相ははっきりしませんが、能宣がすぐれた歌人であったことは、間違いありません。今から約1,000年前の歌人が今の世の中を見たなら、どんな歌を作るのでしょう。
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