【百人一首と和菓子】枯野道
お菓子について
人生には出会いがあれば、いつか別れが来ます。また、旅の出会いにも別れがあります。
その出会いと別れをイメージして、色調を白と茶色で抑え、幾重にもかさなる冬山を寂しく表現しました。お菓子の真ん中には、小豆漉し餡をサンドしたそば風味の上用生地を二つ合わせ、逢う坂を表現してみました。
豆辞典
10 蝉丸(せみまる)
平安時代の歌人といわれますが、生まれた年も亡くなった年もはっきりしません。どういう家の出身かもあいまいで、醍醐天皇の皇子(息子)という説や、雑色(ぞうしき)という下級の役人であったという説があります。逢坂(おうさか)の関に住んでおり、琵琶の名手であったという伝説もあります。実在の人物ではないという説もありますが、蝉丸の作った歌として、数種が他の歌集に入っています。
さて、歌の方ですが、
これがまあ、東国へ下って行く人も、都へ帰って来た人もここで別れてはまた逢う、知る人も知らない人もここで逢うという、その名の通りの逢坂の関なのだなあ。
というくらいの意味です。対になる言葉と句がいくつかあり、リズミカルなので覚えやすい歌かもしれません。
逢坂の関というのは重要な関所とされ、伊勢の鈴鹿、美濃の不破と並んで「三関」といわれました。近江の国であった逢坂の関は平安京に出入りする人や物を検査したり、敵を防いだりと重要な目的がありました。今でも逢坂山の周辺は国道1号線や名神高速道路、JRの東海道線や新幹線などが走っており、交通の要所です。
<コラム担当者>
演歌の星、和菓子職人
金澤賢吾
辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希
<このコラムのレシピ>
枯野道