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『シリーズ 釣って、食べて、生きた! ~作家 開高健の世界~』ロケ日記 ④

テレビ

2012.02.08

7月31日(日)曇り、風強し
今日はアンカレッジに戻る予定日。空は厚い雲に覆われ、霧がたちこめ、風も強く、寒い。
遅めの朝食後、荷物の梱包をしながら、昨夜のパーティーで残った材料で昼食のばら寿司と
若布うどんの準備をしつつ、キッチンの片づけをする。すべてのものを片付けた後のキッチンを
背景に撮影をするということで念入りに片付ける。
 
 最後に、荷物が片付いたガランとしたキッチンの全景を撮影することになったので、しっかりと
念入りに片付けることにする。
 近所の教会で島民達が週一度の礼拝をしているというので、少し仕事を中断して覗きに行く。
この殺風景な島にこんな教会が、と思うほどそれなりに立派な内装であった。
 昼過ぎには完全に梱包も終わり、空っぽのキッチンで約30分撮影。

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 後は、アンカレッジからの飛行機が無事到着することを願いながら、遅めの昼食を食べて
ひたすら待つ(セントジョージでは、定期便さえも"不定期便"で島に無事着陸してから、ホテルや
乗客に直接電話が入るので、ひたすら待機)。今晩はアンカレッジで有名な"キャトルカンパニー"
(ステーキやシーフードのレストラン)で、開高先生が絶賛したプライムリブを食べて、美味しい酒が
飲めるという期待感に胸弾ましていたら、空港から電話が入る。
「飛行機は無事アンカレッジを離陸し、18:00頃にはセントポールに着いた。しかし、天候不良のため
アンカレッジに戻る」という連絡である。
 しばしの間、なんともいえない沈黙に支配される。予定以外に5日間ほどこの島に缶詰にされた
30年前の悪夢が蘇る。とりあえずシャワーを浴びて気を取り直し、再度荷物をほどき夕食の準備にはいる。
オヒョウと玉ねぎの煮付け、再度海から調達した新鮮な昆布、近辺で調達したプチキの和え物、
昆布は味噌汁にし、茎は佃煮風に調理する。他大根の皮の浅漬けを用意し、ご飯も炊いて夕食とする。
アルコール類も全て飲みつくし、健全な日々の開始となる。
 ちなみにこの昆布はこの近在の人たちは"ヒロシ昆布"と呼んでいる。この名前の由来はというと
3年ほど前に日本の大学の先生がやって来て、この昆布に興味を持ち、数年後に再訪すると約束して
帰ったという。以来"ヒロシ昆布"と呼んでいるらしい。
 ネットで調べてみると神戸大学で昆布の研究者をしている河井浩史教授という人物がヒットした。
おそらくこの人物にまちがいがないだろう。河井教授曰くこの昆布は特別なものらしい。

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8月1日(月)くもり空
 予定どおりなら今日は氷河などの自然風景を撮りながら5時間のドライブをして、ホーマーという港町に宿泊し、シーフードを食べおいしいワインをいただく予定だったが・・・。
 スタッフは、遅れてしまったロケ・スケジュールをどうするかを協議。その間、こちらは昼食、夕食の
算段で頭を悩ましていたところ、インノさんが冷凍オヒョウとマスを差し入れてくれた。
感謝の気持ちでいっぱい。その後は近所の人からこの島で収獲された新鮮なトナカイの肉と心臓が届けられた。
早速、いただいた食材も使って、缶詰の三度豆で他人丼と味噌汁を作り昼食とした。


 その後、最悪ともいえる情報が知らされる。セントジョージ島から出発する人たちのキャンセル待ちが想像以上に数多く、
下手をすると我々の順番が回ってくるのはお盆以降になってしまう可能性ありということで、そうなると個々の予定に大きな影響も
出るし、滞在経費、そして、次の予定地のホテルのキャンセル料もそうとうかさむことになる。この状況を前に関係者も顔面蒼白。
 とにかく、このままでは埒が明かないため、6名全員でトラックに乗り込み島の空港に向かうことに。
関係者とやりとりをしていたトムの情報によればペンエアー(この会社)では、キャンセル待ちの客が多いので
臨時便を1~2回飛ばす検討をしているとの話があり、そうなれば全員が乗れるとの希望的な話であったが、
次の臨時便はは水曜日になるとのことで、重い足取りで空港を後にした。戻る途中閉店ぎりぎりの生協で買い物をし、
夕食用や、翌朝の材料も買ってホテルに戻る。
夕食は、トナカイのステーキや、冷ご飯や冷蔵庫の残り物でチキンライスや、味噌汁、昆布の佃煮などの和洋折衷。


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8月2日(火)薄日の射す曇り空。
 予定どおりならホーマーで清蒸とブイヤベースの材料を揃えてサディーコーブの最終地点に移動する日。
朝食は、9時すぎからミネステローネ、ベーコンエッグ、りんごにコーヒー、紅茶。
11時頃から私のインタビュー撮影を部屋で行う旨が急遽決まったとのことで、キッチンの片付けは任せ、ハンガーにさりげなく
「TSUJI」ロゴの入った白衣やタブリエをひっかけ、準備をととのえる。
 11時丁度にスタッフ一行がお出まし、インタビューは予想以上に長く約1時間程度となる。元集英社の編集長で開高ファミリー
の菊池さんにもくれぐれも感傷的にならないようにと忠告されていたのにもかかわらず、けっこう感傷的な思いがこみあげて
くる箇所もあった。
 この取材中に大沼さんとトムさんが小型機をチャーターする方向で調べた結果、アンカレッジのチャーター機会社いわく
60%の可能性で着陸できるとのこと。しかし、仮に着陸できなくてもチャーター料金(約100万円?)は保証金として必要である
という条件。東京の会社に相談を持ちかけ、一か八かの賭けをすることに決定。
 最悪の場合はチャーター料金がすべて無駄になってしまうが、このままセントジョージに8月12日までキャンセル待ちで足止め
されることになれば、この地のホテル代に加えて次の予定地のホテル代、レンタカー代、その他諸々の経費でチャーター料金
をはるかに上回ることになる。逆にうまくいけばサディーコーブに行くことも可能になる。最後の望み賭けながら出発の準備に
とりかかる。皆もなんとなく浮き足だっている。こんな時こそ「食の隠し玉」と、スーツケースに隠し持っていた日本そばで、
ざるそばを作り、それにお握り数種と味噌汁に漬物を準備して、食卓に集合をかけた。この場に及んでのこの料理、皆の喜びよう
ときたら。
 チャーター機も無事アンカレッジを離陸との情報が入る。約2~3時間で到着する予定なので荷物をまとめ、
慌しくホテル正面で全員の記念写真を喜び勇んで空港に向かう。

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 空港の滑走路に荷物を並べて、到着を待つ。多少の小雨も降っていたが、到着予定の時間になり、機影は見えないが
上空を旋廻する音が聞こえたように思えたが、徐々にその音が聞こえなくなった。不吉な予感がよぎる。
 着陸が難しく燃料も乏しいので、近くの給油所を探して燃料を補給し、再度着陸に挑戦するとの連絡が入る。
再着陸は深夜の予定をいうことでホテルに戻って待機することになる。
 いつでも出発できるように荷物は玄関先に集め、各自部屋で待機。疲れて、居眠りをしているとノック音。
「燃料を給油する場所がなく結局時間切れでアンカレッジに戻った」との連絡。呆然。しかしそのまま就寝。