京料理のイメージはどうしてできたのか
杉浦
京料理というと何かこう非常に洗練されたきれいなイメージがあるのですが、いかがでしょうか。
小西氏
それはやね、とくに有職料理に限らず、都いうところは昔から全国の人が来るわけ。しかも秀でた人が来るわけでしょう。そうなってくると力のある人も来るからもてなしをせなあかん。で、もてなしをするということは、洗練されなあかんいうことや。様式でも何でも、泥臭い感覚じゃあかんということやね。それぞれきたもんが仁義を尽くして、粗末なもんやったら、華麗な器に盛ろかとか、そういう知恵が当然できてくる。そうして、よそにない洗練されたものができてくるんやね。で、料理と平行して器も特徴ある豪華なものが出てきたり、珍しい器がでてきたり、それに加えて歌舞音曲、部屋のたたずまい、生活様式も全部京都は違うわけよ。(笑)それで地方から上ってきたカントリーボーイは、こうフワッとなるわけですよ。憧れるわけや。で、ますます花であれ何であれ華麗にしていく。それは、歴史の中でしょうがないこと。だから、京都いうのはなんで洗練されてるかというと、そういう土地柄やった。で、四季の変化もこうしてあることやし。