コミュニケーションツールとしての食の役割[第2回]
対談:
西川恵氏(毎日新聞専門編集委員)
辻芳樹氏(辻調理師専門学校 理事長・校長)
第2回 父、辻静雄から受け継いだもの-"ホスト"という役目とは?
西川恵氏(以下西川):お父様、辻静雄さんの芳樹さんへの食の教育というものはどういう風に行われたか知りたいのですが。
辻校長(以下辻):あまり大したことはされていないと思いますが(笑)、食そのものの教育というよりも食に携わっていく周辺環境の勉強のほうが大きかったと思います。
西川:具体的にはどういう?
辻:要は食の周辺、例えば器、お皿、空間、食卓の会話、お客様の魅力をひきだせるようなホスト役としての器量などのほうが、この料理のこれを勉強しろ、とか言うよりも大きかったです。
西川:料理そのものの味とかよりも・・
辻:味に関しては自分でとにかく食べろということで、直接的な教育はなかったです。訊いても答えてもらえなかったです。
西川:でも、質問はされました?
辻:よくしていましたよ。例えば・・・なぜ"ソル・ムニエール"はソル(舌平目)が一番合うのかとか、何故、鴨にオレンジが合うのか、とか単純なことですけれどね。
西川:何歳ぐらいからお父様が催されていた会食の食卓に同席されるようになったのですか?
辻:中学生ぐらいからですか。
西川:けっこう頻繁に?
辻:それほどでもないです。その頃、僕はもうスコットランドにいましたから、帰国した時に数回程度です。
西川: そういう席でも「この料理はこういう風に作っているんだろうな」なんていう会話はあまりされなかった?
辻:それは食事が終わってからでした。とにかく僕は食事中、一言も喋らなかったですね。黙って食べる天才って言われていましたから(笑)。
西川:じゃあ、食卓で盛り上がっている会話を聞きながら、黙々と食べているという感じ?
辻:そうです。おかげで人の話を聞くことがどれほど素晴らしいかは知りましたね(笑)。ま、皆さんが話されていることの半分以上、いやそれどころではなく8割以上理解できていなかったですからね。
西川:会食者の方々は社会的にそれなりの地位がある方やそれなりに何かを成した方ですよね。ですからそこにはそれなりの会話がとびかっているわけですね。
辻:そうですね。父は料理そのものよりも、その周辺のことを教えることで飲食業界で仕事をするということは一般の人たちが休んでいる時、そしてお金を使う時に働いている世界だと、料理にお金を使うというのは贅沢なことだ、そういう人たちをお客として相手にしているわけだから贅沢を覚え、知る感性を身につける必要があるんだということを理解させようとしていたと思います。
西川:今、「贅沢」と言う言葉を用いられましたが、昨今、グルメブームというものがあり、一方では贅沢はよくないという風潮があると思います。マスメディアなどでは「役人が贅沢をしている」とかいう叩きがありますよね。僕はグルメブームの一方で「贅沢たたき」のような風潮があるのはよくないと常々思っているのですが、このことについて何かご意見ありますか?
辻:文化を高めていく立場にある役人がどの分野にしろ「贅沢」を知らなければ文化は高まらないですよ。文化を高めるということは特権ではなくて、その国の深みだと思います。
西川:昨今は外交の食卓に上等のフランスワインなど供すると贅沢だ、とか、外務省は無駄使いしているとか、すぐにそういうところに結びついていく傾向があって、結果萎縮させてしまっていると思います。個人的には本来「もてなし」というものはある程度お金がかかると思います。それを贅沢だとか言ってしまうことはどうかなと。
辻:「贅沢」という言葉に語弊があるのではないでしょうか。僕は人間の深みを作り上げるための材料が「贅沢」だと思います。それをただ高いもの、無駄なものとして捉えるところにまちがいがあるのではないでしょうか。
西川:なるほど、同感ですね。ところで"ホスト"としてのお父様はいかがでしたか?
辻:見事でした。
西川:どういう風に?
辻:例えば英国だと12人の会食者がいれば、交わされる会話はバラバラなんですね。食事の最初に"ホスト"が会話をまとめて、徐々に気持ちがほぐれてくると・・
西川:会話が分かれてくる?
辻:そうです。そこで"ホスト"としての役目はいったん終わるわけです。そして、しばらくたつと新たな話題を提供するといった繰り返しです。父はこちらの系統でしたね。誰にどんな話題を振れば、みんなが共感し、そこで話題が盛り上がるかという風な調整が見事でした。それに質問の名人。と言って、前もって招待客に関することを事前にはいっさい勉強していなかったと思います。
西川:素直な好奇心で質問されていたのでしょうね。自分が「知りたい」という思いでしょうね。
辻:そうかも知れません。それと自分をさらけ出すことをまったく恐れなかった人です。
西川:そして、芳樹さんは食卓に座り、さまざまな会話に耳を傾け、お父様の采配を見て、「あっ、なるほど<食卓>というものはこういうものなんだ」と感じていたわけですね?
辻:そうですね。でもそのことに気づくまでにはすごく時間がかかりましたね(笑)。
西川:そういった「もてなし」を目的としたテーブル上のトータルなコーディネートは学校では教えていらっしゃらないですよね。そういうものを学校で教える「場」を作っていこうというお気持ちはありますか?
辻:答えが少し外れると思いますが、父はよく「人は絶対に"専門"を持っていなければいけない」と言っていました。そういった「食の場」というのはさまざまな"専門"を持った人が食卓に集って初めて成立すると思いますから、学生には教えることが難しいと思いますね。
西川:なるほど。それはよくわかります。ま、日本にはマナー教室なんてものがありますけれどね(笑)。
辻:あれはとにかく「型」が大好きな日本人だからこそ成り立つのでしょう。「型」から外れるということが日本人にはもっとも難しいことですよ。「型」を教えるのは出来るかも知れませんが、食卓の「場」という空間を教えるのは難しいでしょう。技術系の職員はやはり「料理人」です。そして、料理人にとって食べ手が絶対に必要ですから、辻静雄は食べ手を集めてきたということにすぎないと思っています。しかも、お金を払って食べるという「客」ではないわけですから、作る側も食べる側もすごい対決なんですよ。本来楽しむためにいらっしゃるお客様もすごい戦いの場に入ることになるわけですよ。特別な世界ですよ。
西川:で、芳樹さんはそういう「場」は持たれない?
辻:作ってくれません(爆笑)。というのは冗談です。よくやりますよ。ただ、"ホスト"役としてはまだまだ。
西川:そういう時は技術系の職員の方々が作って、お父様のようにやはりご意見も言われる?
辻:もちろんです。かなり時間がかかりましたけれどだんだんと作る側の考えがわかるようになってきました。どういう料理の引き出しの使い方をされているんだろうなとか、この引き出しの使い方は少し甘いのでは、とか、もっと出していいんじゃないの、とかですね。
西川:そういう意味では料理を味わうのも時間がかかるということですね。大抵の人は若いうちはただ「美味しい!」と言って食べるけれど、そのうち風景が見えてくるのには時間がかかるということですね。
辻:作家ってすごくスピーチが上手じゃないですか。これと似たところがあると思います。味覚ある人ってすごく表現が上手ですね。それと余り回数をこなす必要はないようです。パッと感じるようですね。いずれにしろ味覚を言葉できちんと表現できる人って羨ましいですね。
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次回は今、世界の料理の潮流は・・・です。
辻芳樹
1964年大阪生まれ。12歳で渡英。米国でBA(文学士号)を取得。1993年に父である故辻静雄の跡を継ぎ、辻調理師専門学校校長、辻調グループ校校長に就任。欧米の食の最前線を調査研究し、プロの料理人教育に生かす一方で、日本の食文化の海外への発信にも取り組んでいる。共著に『美食進化論』、編著に『料理の仕事がしたい 』、著書に『美食のテクノロジー』 がある。
西川恵
長崎生まれ。71年に毎日新聞社入社。テヘラン、パリ、ローマ各特派員を経て外信部長。現在は専門編集委員。著作に『エリゼ宮の食卓―その饗宴と美食外交』(97年サントリー学芸賞受賞)『ワインと外交 (新潮新書 204)』などがある