【エスプリ】ひとくちのエピソード(6)
彼岸にかかる橋
顎を揺らしてカタカタ笑うしゃれこうべも
赤い光を漏らすカボチャ頭のジャック・オ・ランタンも もう店じまい
鋭い牙のドラキュラも 蒼い顔したゾンビも 魔法の解ける朝まで踊り狂ったら
棺桶に 土の中に還って さあ一年後までおやすみなさい
大騒ぎが終わったら 長靴の半島に橋がかかって
果物手にあの人が いよいよかえってくるんだから
昨夜、派手に仮装して、朝方までクラブで踊った若者たちがまだまどろんでいるその日、イタリアは諸聖人の日、祭日です。
さらにその翌日も死者の日なんて呼ばれていて、地域によっては学校もお休み。
今年は死者の日が日曜日にあたるので、みんな揃って連休です。
イタリア語では連休に橋ponteということばをあてるので、さしずめ、こちらの世界とあちらの世界をつなぐ橋といったところでしょうか。
アメリカ経由でやってきた新顔のハロウィンのような派手さはありませんが、昔ながらのやり方で、先祖や先に逝ってしまった人に思いを馳せます。
さて、この時期だけお店に並ぶお菓子には、おどろおどろしい名前がつけられています。
それぞれの土地のことばで呼ぶので各地で少しずつ音の響きは異なるものの、イタリア語でいうとossa di morto、意味するところは“死者の骨”です。
シエナのものはアーモンドが入るとか、ロンバルディアではさらに卵白も加わるとかいろいろなことが言われますが、いずれも小麦粉に砂糖と卵を混ぜ込んだ生地がベースの焼き菓子です。
また、この時期出回るお菓子は“骨”だけではなく、たとえばトスカーナでは同じものを死者のすねと呼んだり、シチリアには死者の手や指なんていうお菓子もあったりするのですから、すでにギブアップ寸前、それを子どもも大人も次から次へボリボリと口に運ぶので、もうお手上げです。
ギョッとしてしまうような光景ですが、古くは故人を模した一部を食べて自分の一部とすることで、これから先もずっと一緒にいることを願ったのかもしれません。
ハロウィンの翌晩、シチリア。
昔からこの夜には死者が子どもたちへのお土産を手に帰ってきます。
そしてみんなが寝静まった真夜中、枕元ではなく、家の中のどこか片隅にお土産を残して去っていくのです。
甘いものには簡単に手が届かなかった昔、かえってきた人たちはマルトラーナの果物frutta di Martoranaと呼ばれるお菓子を置いていったそうです。
シチリア西部の大きな町、パレルモの近くのマルトラーナと呼ばれる修道院でつくられていたという、アーモンドと砂糖でつくるマジパンの菓子。
本物よりもカラフルに仕上げたりんごや洋梨、いちじくなどのミニチュア果物が、口に入れると本物よりもしっかり甘いなんて、目にも口にも心にもおいしい贈り物だったのでしょう。
夜が明けて、死者の日。
子どもたちが朝から家中をひっくり返して、宝探しならぬ死者からのお土産探しをしたら、今日は畑仕事もひと休み、離れて暮らす息子や娘も休暇を取って帰ってきているので、親戚一同出揃って、墓参りに出かけます。
家に帰ると、みんなでテーブルを囲んで思い出話に花を咲かせながら、もう十数年も前に亡くなったお祖父さんの大好物だった、なすとトマトソースのグラタンを食べました。
にぎやかな食事が終わると女たちは後片付けをはじめ、男たちは地下の物置から埃かぶった映写機と8ミリフィルムを発掘して、わいわいやりはじめます。
フィルムのカタカタ回る音。
鎧戸を閉じて暗くした部屋の白い壁に映るのは、30年ほど前のこの家。
食い入るように見つめる子どもたち。
エスプレッソの入る匂い。
食卓には、お祖父さんの笑う写真立ての裏からみつけたお菓子の果物。
お祖母さんの目から落ちる涙の粒の中では、上下左右逆さまの、遠いあの日の彼女の夫がこちらに手を振って。
食堂の入り口のドアから、11月にしては暖かい風がふわっと吹き込みました。