【とっておきのヨーロッパだより】人・食・文化、すべてがうるわしのブルターニュ!~ソバ粉編(1)~
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【とっておきのヨーロッパだより】これがおいしい!バルセロナ
第1回 ドリンク編①|第2回 ドリンク編②|第3回 米編|第4回 市場&野菜編|第5回 魚介類編
フランスの北西部、ブルターニュ地方をご存じですか?
フランス語では「ブルターニュ Bretagne」、英語では「ブリタニー Brittany」と呼びます。どこかできいた響きではありませんか?そうです、現在のイギリス・スコットランド・ウェールズから構成される島、グレート・ブリテン島 Great Britainに由来する地名なのです。フランス語にすると「グランド・ブルターニュ Grande Bretagne」。実はグレート・ブリテン島から移り住んだ人たちによって築かれた国、それがブルターニュなのです。
グエン・ナ・デュ Gwenn ha du(白と黒)と呼ばれるブルターニュの旗
ブルターニュ地方は、1789年、フランス革命のさなかにフランスに併合されるまでは「ブルターニュ公国」というひとつの独立国家でした。人々はイギリスのウェールズ地方やコーン・ウォール地方の方言と非常によく似たブルトン語「ブレゾーネック Brezoneg(注1)」を話し、それらの地方と非常に近い文化を保ちながら、独自の文化を築いてきました。
フランスのー地方となった現在でも、なおそのエスプリは引き継がれており、ブルターニュの人々はブルターニュを「ブレイス Breizh」、自らをブルトン人「ブレイザッド Breizhad」と呼び、独自の言語、独自の国歌、国旗さえ存在します。
(左)道路標識や看板はフランス語とブルトン語の2言語表記
(右)美しい刺繍が施されているブルターニュの民族衣装。レースの帽子の形や衣装のデザインは地域ごとに違います
(写真提供: Cercle Celtique de l'île de Groix)
そんなブルターニュだからこそ紹介したい、興味深い特徴的な文化がたくさんあります。もちろん、食文化も同様です。このシリーズでは、私自身がブルトン人との交流のなかで知ったブルターニュの魅力を、食文化を踏まえながら少しずつ紹介していきたいと思います。
ブルターニュは3つの海に囲まれたフランス最大の半島です。北海道の北、ロシアのサハリン(樺太島)とほぼ同じ北緯に位置しますが、イギリスと同じく冬でも比較的暖かい海洋性気候。「常に雨が降っている」というのが一般的なイメージですが、「天気がコロコロと変わる」というのが正しい表現で、毎日違った顔を見せるブルターニュの景色の美しさといったら、それはもう、まるで絵本の世界!実際、巨石文明(注2)をはじめ、妖精や魔法といったケルトの伝説など、多くのファンタジーの原点がいたるとこに見られる、そんな地方でもあります。
(左)この地方によく見られる青い窓枠、青とグレーのスレートの石造りの町並みが印象的
(右)ブルターニュ地方最大の巨石遺構カルナック。およそ4kmにわたり並ぶこの巨石の謎は今も解明されていません
■海と森に恵まれた食材の宝庫
海と森、2つの自然に恵まれ、ブルトン語で「アルモール Armor(海の国)」と呼ばれる沿岸部は、まさしく漁師の国のイメージ。カキ、ムール貝、オマール、ホタテなどの海産物の水揚げ量は国内の約3分の1を占めているほか、温暖な気候を利用してアーティチョーク、カリフラワー、ブロッコリー、インゲン豆など、豊富な野菜の栽培でも知られています。
(左)オマール・ブルーとも呼ばれる、高級食材のブルターニュ産オマール
(右)ブルターニュ産アーティチョークの種類は様々だがカミュ種が特に有名(写真はカミュ種ではありません)
また、内陸部は「アルゴワット Argoat(森の国)」と呼ばれ、神秘的かつ牧歌的。養豚や養鶏、酪農がさかんで、パテやブーダンなどの加工品のほか、乳製品では特に有塩バターが有名です。飲み物はぶどうの栽培の北限を越えていることから、ワインではなく、リンゴからつくられるシードルの生産が盛んに行われています。また、他の北部の地方と同様、さまざまな種類の地ビールをいたるところで目にすることができます。
このように食材に恵まれたブルターニュですが、昔は農業には向かない痩せた土地がほとんどでした。育つ作物といえばソバくらいしかなく、現在の産業の発展はブルトン人たちの長年の努力の賜物に他なりません。しかしながら、いまもなおブルターニュの食文化を語るうえで欠かせないのが「ソバ粉」です。ブルトン語では「グウィニス・デュ Gwinizh Du」とか「エデュ eddu」、フランス語では「ブレ・ノワール blé noir」または「サラザン sarrasin」と呼ばれています。ブルターニュのソウルフードとも言うべきソバ粉の薄焼きクレープ「ガレット Galette」のことはきっとご存じの方も多いことでしょう。
(左)ハム、チーズ、卵を入れた最もスタンダードな「コンプレット Complète」
(右)ブルターニュ特産のゲメネのアンデュイユが入った「ゲムノワーズ Guémenoise」(注3)
今回はこの「ソバ粉」に焦点をあてて、ブルターニュの文化を紹介してみたいと思います。
■ブルターニュのソバ粉生産の変遷
ガレットの知名度のおかげで、なんとなく「ブルターニュといえばソバ粉」というイメージがありますが、実は、現在のブルターニュ産のソバの生産量はそれほど多くありません。ブルターニュでソバの生産が始まったのは15世紀、ブルターニュ公国の女公アンヌ・ド・ブルターニュ(注4)の時代。十字軍によってもたらされたソバが「やせた土地でも100日で育つ農作物」だと聞きつけたアンヌは、貧困に苦しむ農民たちの食糧源確保のため、自らが所有する領地のいたるところにソバ畑をつくらせたと伝えられています。そのためか、ブルターニュの人々は今もなおソバに強い思い入れがあるようで、ブルターニュに関する文献を読んでいると、強い風に吹かれてもたくましく揺れるソバの白い花の風景について書かれているのをよく目にします。
しかしながら、こうして栄えたソバの生産は、後にトウモロコシや小麦の到来とともに一気に衰退していきます。農民たちがより有益性の高いそれら家畜の飼料の生産を優先するようになったからです。フランス農林省の記事(注5)によると1960年に116,000ヘクタールあったソバ畑が、1980年にはなんと200ヘクタール未満にまで減少していたそうです。
そこで、愛するブルターニュ独自の文化を守ろうと立ち上がったのが4人のムニエ Meunier(製粉職人)たち。ブルターニュ産のソバ粉の保護と品質の向上を目的に、1987年に非営利団体「ブレ・ノワール・トラディシオン・ブルターニュ Blé Noir Tradition Bretagne(通称ベー・エヌ・テー・ベー BNTB)」を設立しました。この団体には現在、8つの製粉所と5つの貯蔵管理会社が所属しており、この団体の品質管理のもと840もの農家がブルターニュ全土でソバを栽培しているそうです。
「ブレ・ノワール・トラディシオン・ブルターニュ」のロゴポスター
彼らの地道な活動が実を結び、2010年に原産地特有の産品であることを示すEUの保護認証「イー・ジェー・ぺー IGP=Indication Géographique Protegée(地理的保護表示)」を獲得するまでに至ります。同時にブルターニュ原産を名乗ることができるのは、1960年代に開発された品種「ラ・アルプLa Harpe」のみとし、品質にもこだわりました。この時点でソバ畑の総面積も3000~4000ヘクタールにまで回復したそうです。
とはいえ、実際にフランスで消費されているソバ粉のうち、ブルターニュ原産のものはわずか20~30パーセント。それ以外のものは主に中国などアジアからの輸入品だとのことで、まだまだ希少なソバ粉だと言えます。
このロゴをつけた袋に入れることができるのは、IGPの基準をクリアしたものだけ
■ガレットだけじゃない、ソバ粉の伝統料理「キッカ・ファルス Kig ha Farz」
これほどまでにブルターニュの文化に根付いたソバ粉ですが、ガレット以外のソバ粉を使った料理は意外と知られていないような気がします。そこでぜひ紹介したいのが、この「キッカ・ファルス Kig ha Farz」という料理。ブルターニュの北西部、かつてレオンと呼ばれていた地域、現在のモルレ Morlaixからブレスト Brest北部にかけての地域のスぺシャリテです。
モルレのレストラン『アン・ドル・ヴァドAn Dol Vad』で食べたキッカ・ファルス
いわばブルターニュ風ポトフなのですが、特徴的なのが「ファルス」と呼ばれる付け合わせの存在。これは、ソバ粉と牛乳、卵、ラードなどを混ぜたものを布で包み、煮汁のなかでポトフのように煮込み、取り出して付け合せとして添える、スープの旨味を取り込んだソバ粉です。ファルスはぼろぼろにほぐして添えたり、パテのように固めたものをスライスして添えたり、店や家庭によってバリエーションがあります。最近ではお祝いの席などでたくさんの人と食べる宴会料理のイメージもありますが、この地方では日常的にメニューに取り入れているお店も少なくありません。
モルレの『アン・ドル・ヴァドAn Dol Vad』で聞いたところ、袋に入れたソバ粉の煮込み時間は3時間。それを取り出してほぐし、砂糖と有塩バターを和えてあるそうです。肉は塩漬けの豚すね肉、豚バラ、牛の腰肉そしてソーセージ、スープの具はキャベツとニンジンでした。ソース代わりにエシャロット入りの煮詰めた有塩バターが、コクがあっておいしい!有塩バターが主流というのが、ブルターニュらしいところです。
ロスコフで見かけたもの。具とスープを分けず、ファルスだけを別盛りにしていました
また、この料理はブルターニュの伝統文化である「フェスト・ノズ Fest-Noz」と呼ばれるダンスパーティーで供されることもあります。ブルトン語で Festは祭、Nozは夜を意味し、週末などブルターニュの各地で、各種団体をはじめ、ブルトン語の学校や地方のコミューン単位で開催されています。基本的にはブルターニュの伝統楽器で演奏される伝統音楽に合わせて踊ります。
参加者が手をつないで輪になって踊るスタイルなのですが、手の振りや足のステップがいくつもあり、また意外とスピードがあるダンスなのです。私も何度か参加して、レッスンも受けましたが、これがやってみると慣れるまでは結構難しい!大きなイベントでは民族衣装を着て踊ることもありますが、通常は普段着のまま誰でも気軽に参加でき、老若男女みな本当に楽しそうに踊ります。キッカ・ファルスでエネルギーを充填して、いざダンスへ!ブルターニュではそんな夜会がいたるところで行われています。
(左)フェスト・ノズは今でも日常的なブルターニュの伝統文化のひとつ(写真提供:François Hascoët)
(右)いたるところで開催されている伝統文化のイベントでは、民族衣装を着て踊る姿も
(写真提供: Cercle Celtique de l'île de Groix)
■こんなところにもソバ粉!ソバ粉のドリンク
ブルターニュにはなんと、ソバ粉からつくるお酒もあるんです。ここでは代表的なものを2つご紹介します。
「エデュ Eddu」
ブルトン語で「ソバ粉」そのものを指す名称の、ブルターニュ産ウィスキー。ブルターニュの最西端、フィニステール県にある「ディスティルリ・デ・メニール Distillerie des Menhirs」社が生み出した、世界で唯一のそば粉だけでつくられるウィスキーです。
まず、湿らせたソバの実が発芽すると同時に乾燥させて酵素を生み出した後、それをソバ粉状にし、少しずつ熱湯のタンクに入れて原液をつくります。酵母の力でデンプンが糖に変わったところにソバ酵母を添加してアルコール発酵させ、蒸留します。日本のウィスキーやスコッチと同様、蒸留は2回。その後カシの樽で寝かせてから出荷します。
スタンダードな「シルバー Eddu Silver」のほか、15年〜18年熟成させる「ゴールド Eddu Gold」、よりケルトの時代を意識してブレンドした「グレイ・ロック Eddu Grey Rock」などがあります。「グレイ・ロック」は「シルバー」や「ゴールド」の原料がソバ粉100パーセントなのに対し、同社のもっとも古いレシピに基づいて、30パーセントのソバ粉の蒸留原液と大麦とトウモロコシからつくった原液をブレンドしたものなのだそうです。いずれもフルーツや花を思わせる華やかな風味があると賞賛されますが、「シルバー」と「グレイ・ロック」には樽を代えて2度熟成させる「ブロセリアンド Brocéliande」という製品ラインもあり、こちらはより樽の香りがついた深い味わいとなっています。日本にもソバ焼酎がありますので、なんだか親近感がわいてきますね。
(左)赤ラベルがスタンダードな「シルバー」、緑ラベルが「シルバー・ブロセリアンド」
(右)「グレイ・ロック」のボトルはちょっと小太り。同じ形で緑ラベルの「ブロセリアンド」があります
「テレン・デュTelenn Du」
ソバ粉から作るビール。ブルトン語で「黒いハープ」という名のついたこのビールは、ブルターニュの地ビール生産者としては最も知られている「ブラスリ・ランスロ Brasserie Lancelot」社の商品のひとつ。
この生産者はケルトの伝説にちなんだ名称の商品ラインナップでも知られていますが、このビールの名前もとても神秘的。ブルターニュの人たちは自らの起源のひとつでもあるケルトの文化に少なからず愛着を持っています。ケルト由来の楽器であるケルィック・ハープは、ケルトの文様である「トリスケル Triskel(注6)」、「エルミンヌ Hermine(白いイタチ)」と並んで、ブルターニュ独自の文化の象徴として好んで用いられるモチーフのひとつです。
ブルターニュ産ソバ粉と大麦の麦芽のみを原料とするビオ・ビールで、密度の高いきめ細やかな泡、そしてほのかな苦みとコクを楽しむことができます。
1993年より商品化されたとのこと。ラベルに描かれたマークが「トリスケル」
見た目は黒いですが、黒ビールではなく、カテゴリとしては「ブリュンヌ brune(ブラウン・エールなどの濃色ビール)」とされています。黒ビールに負けないコクがありますが、のど越しは軽く、他にはない印象のビールだと思います。
アルコール度数は日本の一般的なビールよりも若干低い4.5パーセント。ブルターニュではレストランやバーだけでなく、スーパーなどでも比較的手に入りやすいビールです。
いかがでしたか?ブルターニュとは切っても切れない食文化のひとつ「ソバ粉」。ブルターニュに行くことがあれば、ブルトン人の長年の努力と誇りを感じながら、ぜひこれらの料理や飲み物を味わってみてください。
取材協力:
Association Blé Noir Tradition Bretagne
http://www.blenoir-bretagne.com/ble-noir-bretagne.html
Moulin de la Fatigue
19 Rue 70ème R.I. 35500 Vitré
http://moulin-fatigue.com/
An Dol Vad
1, Rue de Paris, 29600 Morlaix
La BRIGANTINE
13, rue de Dinan 35400 Saint Malo
Crêperie AR PILLIG
10 rue d'Argentré 35000 RENNES
■ブルトン語の読みの表記について
本コラムではMouladurioù Hor Yezh社発行の辞書「GERIADUR BIHAN BREZHONEG-GALLEG GELLEG-BREZHONEG」の発音記号に基づいてカタカナ表記にしています。
注1: ブルトン語は地域によって様々な方言があり、アクセントや読み方、スペルが少しずつ異なりますが、現在では大きく分けて2つのブルトン語に区別されています。複数の同系統の方言でくくった多数派を「KLT(かつてのブルターニュの3司教区Kerne-Leon-Treger、現在のCornouaille-Léon-Trégorの頭文字)」、ヴァンヌ Vannesを中心とするエリアで話される方言をヴァンヌテ Vannetaisと呼んでいます。
注2: ブルターニュにはアイルランドやグレート・ブリテン島と同様、新石器時代のものと考えられている巨石建造物が多数あり、ケルト部族由来とされるそれらの文明を総じて巨石文明と呼んでいます。代表的なものに、メンヒル Menhir(単一で直立した巨石)や、ドルメン Dolmen(テーブル状に組み上げられた巨石)と呼ばれるものがありますが、なかでも4kmにわたってメンヒルが並ぶ「カルナック列石 Alignements de Carnac」はブルターニュ地方最大の列石群として知られています。その目的はいまだ解明されておらず、精霊や巨人が建てたとする数々の伝説を生んでいます。
注3: 取材店「La BRIGANTINE」独自の料理名です
注4: ブルターニュ公国最後の女公。数々の政略結婚に翻弄されながらも、ブルターニュ公国の存亡に生涯を捧げ奮闘した人物として、いまもなおブルターニュの人々から愛されている歴史上の人物。実際、シャルル8世、ルイ12世の2代にわたるフランス国王の妃となることで、ブルターニュ公国の完全な権利を守ったと言われています。
注5: 参照記事 http://agriculture.gouv.fr/la-cure-de-jouvence-du-ble-noir-breton
注6: 3つの渦巻きを結合させたケルト文化由来の文様。諸説ありますが、一般的に3つの渦はそれぞれ「水・土・火」または「風・海・大地」を表していると言われています。アイルランドにある先史時代のニューグレンジ遺跡に同様の文様が刻まれているほか、同じ概念をもつ文様として、膝を直角に曲げた足を3本、風車状に組み合わせた「三脚巴」がイタリアのシチリア島やマン島でも多く見られます。
以下のブルターニュに関する『とっておきのヨーロッパだより』コラムもご覧ください。
ガレットについて https://www.tsujicho.com/oishii/recipe/letter/totteoki/galette.html
カンカルの牡蠣について https://www.tsujicho.com/oishii/recipe/letter/totteoki/oyster.html
有塩バターについて https://www.tsujicho.com/oishii/recipe/letter/totteoki/butter.html
カンペール焼きについて https://www.tsujicho.com/column/cat/post-392.html
⇒人・食・文化、すべてがうるわしのブルターニュ!
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第2回 ソバ粉編(2)|第3回 お祭り編(1)|第4回 お祭り編(2)