【とっておきのヨーロッパだより】がんばれ!フランスパン!
<【とっておきのヨーロッパだより】ってどんなコラム?>
みなさん「フランスパン」という名前からは、どのようなパンを想像しますか? 一般的には細長く少し固めで甘味の少ない、あのパンを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。しかし本場フランスには「フランスパン」という名前のパンはなく、多種多様なパンがそれぞれの名前を持っており、様々な形で食べられています。実際フランスではどのような食事パンが食べられているのか、少しご紹介しましょう。
フランスでは、家庭はもちろんカフェやレストランまで食卓にパンは欠かせません。家で作るものではなく、ブーランジュリ boulangerie(パン屋)で作られたものを購入するのが一般的です。価格も日本に比べて非常に安く、日々の糧となるバゲットのような食事パンは一本1ユーロ前後で提供されています。(注1)
またフランスでは、パンは地元のブーランジュリで買い求めるもので、日本のようにわざわざ評判の高い遠方の店まで買いに行くといったことは一般的ではありません。それだけ日々の食生活と深く結びついた食べ物ということなのでしょう。日本でいうフランスパンは、フランスでは総称してパン・トラディショネル Pain traditionnel(伝統的なパン)と呼ばれ、小麦粉、塩、酵母、水のみで作られる代表的な食事パンです。
ブーランジュリに並ぶバゲットたち
上手く焼くためには230~250℃の高温で熱く噴霧されるスチームが出るオーブンが必要です。湿度のある高温のオーブンに入れることによりパン生地中の大小さまざまな気泡の一つ一つが一気に膨張して膨らみます。
ハチの巣状の内層のブーランジュリのバゲットの断面
パンの部分の名称のうち、香ばしく焼けた外側の茶色の部分はフランス語でクルート croûte、中の白くやわらかい部分はミ mieと呼ばれますが、薄くカリッと焼かれたクルート、しっとりしたミの食感とのバランス、そして発酵により生成された風味が食事パンとしての醍醐味です。
同じ生地から大きさ、形をかえて様々な名前のついたパンが作られます。
左からパリジャン、バゲット、バタール
バゲット Baguette
「細い棒」の意味。箸のこともフランス語でバゲットと呼びますが、その名のとおり細長い形をしています。この形のためにパンの表面積が大きく、クルートの部分も多くなるため、カリカリとした食感が楽しめます。フランスでは最もポピュラーなパンの一つといえるでしょう。
パリジャン Parisien
直訳は「パリの人」。バゲットより1.5倍ほど大きなサイズで、ミの部分もバゲットより多くなります。
バタール Bâtard
「中間の」の意味。クルートと中のミの割合がブールとバゲットの中間ということを意味しています。
ブール Boule
ブール(右)が並ぶブーランジュリのウインドー
「ボール、球」を意味する名前で、丸く大きな形をした、古くから作られているパンの一つです。パン・トラディショネルの中では最もミが多くなる形です。昔のパンは日持ちさせるため丸く大きな形に作られていました。また、フランス語のパン屋"ブーランジュリ"の語源でもあります。
プティ・パン Petit pain
高級レストランで提供されるプティ・パン
「小さなパン」という名のとおり、小ぶりに作るパンです。通常、切ったパンは時間の経過とともに断面が乾燥したり、パンの香りが逃げていったりしますが、プティ・パンはクルートで覆われているため、最後まで美味しい状態で食べられます。高級レストランでは様々なプティ・パンが供される事が多く、料理だけではなくパンにまで気を配っていることが分かります。
形も食感もバラエティーに富むフランスの食事パンは、それぞれが持つ特徴によって上手に使い分けられています。例えばタルティーヌ Tartineやカスクルート Casse-croûte(注2)、カナッペCanapé などには細身のバゲットがぴったりですし、煮込み料理などに添えるパンには、ソースをたっぷり吸い取ってくれるミの多いバタールやブールを買い求めます。
また、同じパンでも人によって焼き加減の好みにこだわりがあるのもフランスらしいところ。ブーランジュリは対面販売なので店員さんに「そのよく焼けたもの...」「その横の白っぽいのを...」など言いつけ、好みの焼き加減のパンを選んでいるお客さんの姿もよく目にします。
対面販売。好みのパンを選ぶお客さん
現在、フランスのパンの消費量の3/4をバゲットが占めているそうです。細長いバゲットはあたかもフランスの象徴であるかのような印象がありますが、その細く長い形が誕生してからまだ1世紀も経っていないそうです。
伝統的にパン職人の仕事は、朝に店頭へ出すパンを作るために前日の夜10時頃から始まり、その日のパンが全て焼きあがる翌日の昼すぎまで続くという大変過酷なものでした。1920年代、こうした過酷な労働を緩和する目的で、パン職人が真夜中に作業をする事を禁じた法律ができました。このため、それまで焼いていたブールのような大型のパンは焼成時間が1時間前後と長いので焼けなくなり、20~30分で焼くことができる細長いパンの製造が主流になりました。これがバゲットで、これを機にバゲットはフランス全土に広まっていったそうです。
また、主流となるパンの製造方法自体にも時代の流れと共に大きな変化があります。2002年の労働法の改正でフランスでは週の労働時間の上限が39時間から35時間となり、また重労働が敬遠されて職人が減少するなど、人と時間双方の不足という問題を抱えていたフランスの製パン業界ですが、「冷蔵発酵」という生地の発酵方法(注3)の導入により、仕事の負担軽減や労働時間の短縮など、事態の改善がなされてきているようです。
もともとパン作りは生地を発酵しやすい温かい環境で行うのですが、昔ながらの方法では作業開始から焼き上がりまでに6~7時間もかかるため、朝の6:00頃に開店するのが一般的なフランスのブーランジュリにとっては真夜中からの仕事となります。
冷蔵発酵を取り入れると、前日に生地を作り、成形までして冷蔵発酵させることでその日の仕事は終了し、当日はパンを焼くだけの作業ですみます。生地は冷やすことにより発酵がゆっくり進み、細かいスポンジ状の内層を作っていきます。また、焼き上がりはミがクリーム色でハチの巣のような均等な気泡となり、よく噛んで食べると穀物の甘味を感じる味わい深いパンになります。
一時期フランスでは労働時間の短縮を優先し、生地の捏ね時間や焼き上げ時間を短時間で済ませる事が主流となり、そのために焼き上がりや風味が劣るといわれた時期があったようですが、近年は職人の工夫による冷蔵発酵の導入により、昔ながらの風味あるパンが復活したそうです。そして、ブールのような焼成時間の長いパンも朝一番から店頭に並べることができるようになりました。
(左)ブーランジュリの休日前。店の外にまでできる行列
(右)焼きたてのバゲットを抱える人
大手メーカーの袋入りパンがパン消費の主流だった少し前の日本では、パンの生地作りから焼き上げまでおこなっているパン屋さんは少なかったと思います。しかし、最近は本格的な製パン技術を修得して、フランスの味に負けないパンを提供するパン屋さんも増えてきました。フランスやドイツなどで研鑽を積み、本場のパンの味を知った職人の工夫で、フランス産の小麦粉を使ったものや製法、酵母に工夫を凝らし味わいのあるパンが増えてきているようです。
フランスでは逆に食の多様化でパンの消費が減少しているそうですが、日々の食の糧を担うバゲットの味の向上を目指しているブーランジュリを応援したいと思っています。
(注1)
主食であるパンの価格の変動による社会の不安定化を抑制するため、フランスでは古くからパンの価格が
国家により統制されてきた。(参考文献: 『パンの歴史』スティーヴン・L・カプラン薯、河出書房新社刊)
(注2)
タルティーヌ: ジャムやパテなどをのせたオープンサンドのようなもの
カスクルート: バゲットなどの食事パンに具材を挟んだサンドイッチ
(注3)
冷蔵発酵: 低温長時間発酵ともいう。生地の発酵を抑制する5℃前後の環境でゆっくり発酵をとること。