【とっておきのヨーロッパだより】マール・デュ・ジュラ作り体験記
「マール・デュ・ジュラ Marc du Jura」をご存知ですか?直訳すると「ジュラのマール」です。
しかし、「へ?そもそもマールって何?」とか、「え?ジュラってスイスの地方ですよね?コンテの辺りでしたっけ?あの大きなチーズで有名な...」だったり、「マールって蒸留酒でしょ、ブランデーみたいな。あれ?ジュラでもマールを作ってるの?」などといった具合で、ジュラにもマールにも甚だ失敬な話ではありますが、日本におけるこの二つの単語の認知度は、今のところかなり低いと言わざるを得ません。
今回の「とっておきのヨーロッパだより」では、そのマール・デュ・ジュラを題材として取り上げます。
実際に(ほんの少しだけですが)マール作りを手伝わせていただいた経験を基に、その製造過程を辿りながら、マール・デュ・ジュラとそれを取り巻く環境について書いてみたいと思います。このコラムを読んでいただく方に、ほんの少しでも、この魅力的な嗜好品に興味を持っていただければとても嬉しいです。では始めましょう。
(左)ドメーヌ・デ・ミロワールのマール・デュ・ジュラ
(右)およそ上半分がドメーヌ・デ・ミロワールのブドウ畑。急勾配ですり鉢状になっているのが分かる
まず、"マール"とは何か?ワインに関する百科事典ともいえる書『新ラルース・デ・ヴァン NOUVEAU LAROUSSE DES VINS』(Gérard DEBUIGNE著、Larousse出版社刊)によれば、マールとは、果汁を得るために搾ったブドウや果物の搾りかすのことであり、また、ブドウの搾りかすを蒸留して得られる蒸留酒(オー・ドゥ・ヴィeau-de-vie)のこともマールと呼ぶことが分かります。
次に、"ジュラ"とは何か。これは、スイスとフランスの国境に沿ってそびえるジュラ山脈のことであったり、そのジュラ山脈で作られるスイスのチーズのことであったり、フランス東部、スイスと国境を接するフランシュ=コンテ地方のほぼ中央部に位置するデパルトマン département(県)のことであったりと様々な意味を持ちます。ただし、ワインに関する"ジュラ"と言えば北はポール=ルズネ Port-Lesney周辺から、南はサン=タムール Saint-Amour周辺に至る、長さ約80km、幅約6kmの帯状の土地のことを意味し、そこで産出されるワインにはジュラの名が冠されています。
つまり、この帯状の土地から産出されるブドウの搾りかすを蒸留して作られるお酒が「マール・デュ・ジュラ」である、と定義することができます。(注1)
ところで、マールはジュラに限らず、フランスの様々な地域で作られています。シャンパーニュ、アルザス、ロワール、ブルゴーニュ、ボジョレー、ローヌ、プロヴァンス、etc...。つまりフランスのワインの名醸地と言われる所には、必ずと言っていいほど、その土地のマールがあるということになります。でも、それは当然と言えば当然。ワインを作ったら必ずブドウの搾りかすが出るわけで、それを利用しない手はないのですから。
美味しいマールを作るためには、美味しいワインを作ることのできる、健全で美味しいブドウを作らなければなりません。その為に、志の高い生産者であればあるほど、暇を惜しんで畑仕事に心血を注ぎます。ワインの仕込みが終わる10月後半から冬にかけてが所謂農閑期に当たりますが、人間の都合に自然が歩調を合わせてくれることはありませんので、休みはあってないようなもの。つまり、健全で美味しいブドウの栽培には、はっきりとした始まりも終わりもありません。年間を通じての作業のうち、今回はブドウの収穫後から、マールの製造工程を見て行くことにしましょう。
取材にご協力いただいた『ドメーヌ・デ・ミロワール Domaine des Miroirs』は、日本人の鏡夫妻がグリュッス Grusseで営むドメーヌ(ワイナリー)です。その名前にはご自身達の名字(鏡はフランス語でミロワール miroirと言う)と共に、自分たちの作るワインが、ブドウが育った土地を鏡のように映し出すものであってほしいという願いが込められているそうです。
こちらのドメーヌでは、2015年のブドウの収穫は9月中旬から始まりました。収穫した白ブドウはすぐに圧搾します。(注2)
(左)ブドウの収穫の様子。手摘みしながら厳しく選果する
(真ん中)ブドウを満載した圧搾機
(右)圧搾機の隙間から果汁が溢れ出る
果汁はいったんタンクに送られた後、木樽に移され、アルコール発酵、熟成を経て白ワインになります。そのブドウの搾りかすがマールの原料です。
(左)果汁はポンプでタンクに移される
(真ん中)圧搾が終了した圧搾機の様子。ブドウの搾りかす(マール)が端に圧縮されている
(右)圧縮された搾りかすのアップ
いったんシャベルで搾りかすを容器に移します。この時点ではブドウの果実の搾りかすに茎が付いたままの状態です。次に、針金を張った目の粗い濾し器に擦りつけて除梗したものを再度容器に戻し入れ、酸化による劣化を防ぐために足でしっかり踏み固めて空気を抜きます。(注3)
(左)搾りかすをショベルで容器に移す
(真ん中)搾りかすを濾し器に擦りつけて除梗する。根気のいる作業
(右)足でしっかり踏み固めて空気を抜く
蒸留に関してですが、自前の蒸留設備を所有している大規模生産者は非常に稀で、ほとんどの生産者は、自治体で所有している共同蒸留施設や各地域を巡回する移動式の蒸留器で蒸留を行うようです。(注4)
(左)自治体の蒸留施設外観
(右)複数の生産者が順番に蒸留を行う。熱せられた搾りかすからもうもうと水蒸気が立ち上る
「共同」の言葉通り、複数の生産者が同じ日に蒸留を行うので、必然的に順番待ちが発生します。何事も丁寧で細部にも気を抜かない日本人と比較すると、フランス人は手際良く、仕事が非常に速いのですが、全体のマネージメントとでもいうのでしょうか、仕事の管理が煩雑、つまりいい加減なことが多く、蒸留の順番もあってないようなもので、自分の番が来るまで長時間待たされる羽目になる人たちが出てきます。(注5)
実際に我々も1時間半程待たされることになったのですが、そこは流石フランス人で、細かいことは気にしません。予定の時間を過ぎても蒸留に取りかかることができず困惑気味の我々を尻目に、パンにパテにソーセージ、ワインにその他のお酒を持ち寄ってのちょっとした宴が始まります。今年のワインの出来や家族の話、地域の情報交換など、和気あいあいとした雰囲気で。終いには「お前たちも一緒に飲もうじゃないか」ということで、気が付けば我々も彼らの宴の中に。忌々しい待ち時間のおかげで、しっかりご相伴に預かることができたのでした。
話を戻します。まずは、容器に入った搾りかすを運搬用の籠に移し替えるのですが、これが実に骨の折れる作業。なぜなら、先ほど書いたように、酸化を防ぐためにこれでもかと足で踏み固めているので、簡単には容器から出てきません。鍬のような器具で削り取るようにして少しずつ籠に移し替えます。
足でしっかり踏み固めているので取り出すのも一苦労
次に、籠に移し替えた搾りかすとワインの澱を蒸留機に入れ、蓋をしっかり固定し蒸留器を稼働させます。水よりも沸点が低い特性を持つアルコールだけが気化し、蒸留機内で螺旋状に巻かれた管を通る間に冷却され、液体となって出てきます。
(左)搾りかすを蒸留機に入れる
(真ん中)蓋をしっかり固定する
(右)出てくる液体は無色透明。芳香を放つ
このように、蒸留自体は比較的単純な作業ですが、蒸留器の操作は、ブドウの生産者ではなく、蒸留所の管理責任者が行います。それにはもちろん、高価な蒸留機を誰にでも勝手に使わせるわけにはいけないことの他にも、各生産者によって作られるマールが、イナオの規定に沿ったものになるように監督する意味もあるようです。
(左)蒸留機全体像
(右)蒸留所の管理責任者2人。もちろん飲みながら作業をしている
蒸留によってできたマールは、各生産者が各自のドメーヌに持ち帰り、木樽で数年、長いところでは数十年熟成させます。この熟成によって、無色透明のマールは徐々に琥珀色へと変化して行き、アルコールの角が取れ、香りはヴァニラのようなニュアンスを帯び、長期熟成のものになると、ドライフルーツや胡桃のような芳香を得ることになります。ただし、ドメーヌ・デ・ミロワールは例外で、ブドウそのものが持つ特徴を、できるだけ他の要素の介在なしに楽しんでもらいたいとの信念に基づき、あえて木樽による熟成は行っていません。
(左)通常はこのような木樽で熟成させる
(右)鏡さんは敢えて木樽ではなく合成樹脂の容器を使用
今回取材をさせていただいたドメーヌ・デ・ミロワールの鏡ご夫妻にお話を伺う中で、お二人が、マールの蒸留のことを「心安らぐご褒美のような作業」と表現されていたのがとても印象的でした。それは、マールの蒸留が終わればドメーヌの醸造関係の仕事が一段落する、つまりこの作業が言わば1年の締めくくりのような意味を持つことと、熱せられたブドウの搾りかすから、鏡さん曰く「酒蒸し饅頭のように」もうもうと立ち上がるブドウの芳香を放つ蒸気に包まれて作業を行うところから来た表現なのでしょう。しかし、今まで見てきたように、マール作りは決して楽な作業ではありません。また、2015年のドメーヌ・ド・ミロワールで作られたマールは116リットルですが、そのために使用されたブドウの搾りかすと澱は約1000kg。この数字が示すように、マール作りは労力に対する報いが大きいとは言い難いでしょう。
以上の事を考え合わせる時、更には、マールがワインを作る過程で出た搾りかすから作られる言わば副産物のような性格を付与されがちであることを考えるならば尚更のこと、先ほどの言葉からは、彼らが理想とするワインを作るために、彼らがこの1年心血を注ぎ続けてきたブドウに対する愛や敬意、そして信頼や誇りといったものを読み取ることができるのではないでしょうか。
ブルゴーニュやシャンパーニュのように世間の評判を博すマールがある一方で、その他の地域で作られるマールの知名度は高くないものも多いことは事実です。
背景にはもちろん品質や生産量という実質的要因もあるのでしょうが、誤解を恐れずに言えば、マールの評判は、ワイン同様、その産地のネームバリューに負う所が大きいのではないでしょうか。
ですが、マール・デュ・ジュラに関しては、それ以外にも一つ大きな要因が考えられるのです。
「ジュラワイン職業間委員会 Comité interprofessionnel des vins du Jura」の2015年度の報告によると、ジュラのワイン生産者の実に85%がマールの蒸留を行っているそうですが、そのほとんどがマクヴァン・デュ・ジュラ Macvin du Jura(注6)の製造に充てられているそうです。
マクヴァン・デュ・ジュラを作っている生産者全てに当てはまることではないでしょうが、純粋にマールとして製品化することを目的にしない以上、マールの品質にそこまで拘泥する生産者が多くないであろうことは想像に難くありません。ブルゴーニュやシャンパーニュといった所謂「メジャーどころ」と比較して、元々小規模生者の割合が圧倒的に多いジュラにおけるマールの生産量自体の少なさに加えて、今述べたような現状が、マール・デュ・ジュラの認知度の低さの大きな要因であるということができるかもしれません。
とはいえ、サヴァニャン savagnan(注7)、プールサール poulsard(注8)、トゥルーソー trousseau(注9)といった、他のブドウ栽培地域には見られない個性豊かな固有品種を育む、唯一無二の地理的特性に恵まれたジュラという素晴らしい土地で、ドメーヌ・デ・ミロワールに代表されるような志の高い真摯な作り手によって生み出されるマール・デュ・ジュラは、それを味わう機会に恵まれた幸運な人に、至福の一時をもたらさずにはおきません。
曰く、そのほんの数滴を口に含むだけで、土地のブドウのエッセンスを凝縮した、瑞々しくも芳醇な香りが、心地よい熱を伴いながら口腔から鼻腔へとフワリと抜けてゆくのです。そして、まるで永遠かと見紛う美しい余韻が、いつまでもいつまでも持続するのです。
(注1)もちろん、イナオ I.N.A.O.(Institut national des appellations d'origine 原産地呼称国立研究所)によって規定された細かい決まり事は沢山ある。興味のある方はイナオのホームページ http://www.inao.gouv.fr/ を参照することをお勧めする。
(注2)マール・デュ・ジュラを作るために使用が許可されているブドウ品種は、シャルドネ chardonnay、サヴァニャン savagnin、トゥルーソー trousseau、プールサール poulsard、ピノ・ノワール pinot noirの5種類である。ドメーヌ・デ・ミロワールではピノ・ノワールを除いた4種類のブドウを使用しているが、筆者が作業を手伝わせていただいた際は白ブドウであるシャルドネで作業を行っていた。その為、ここでは白ブドウを使用した場合の工程を説明している。なお、黒ブドウを使用する場合は、皮や茎や種に含まれる色素やタンニンを初めとした様々な要素を抽出するために、醸しという作業を経た後のブドウの搾りかすをマール作りに使用する。
(注3)マール作りのためにわざわざ除梗を行う生産者は稀である。
(注4)「ジュラワイン職業間委員会 Comité interprofessionnel des vins du Jura」の2015年度の報告によると、ジュラの計216の生産者の内、85%に当たる180の生産者がマールの蒸留を行っているが、自前の蒸留設備を所有しているのはわずか10程の生産者に過ぎない。
(注5)フランス人の名誉のために付け加えるが、もちろん全てのフランス人に当てはまる特性ではない。
(注6)未発酵のぶどう果汁にマール・デュ・ジュラを加えて作るヴァン・ドゥ・リクール vin de liqeurの一種。
(注7)ジュラの白ブドウ品種で「ナチュレ」とも呼ばれる。マルヌ・ブルー、マルヌ・グリーズ、マルヌ・ノワールといったジュラに特徴的な土質に適しており、ヴァン・ジョーヌの原料となることで有名。(『新ラルース・デ・ヴァン』参照)
(注8)ジュラの黒ブドウ品種で、大きな丸い果実、薄い皮、薄い色が特徴。気品を備えた薄い色のワインになる。「プルーサール ploussard」と呼ばれることもある。(『新ラルース・デ・ヴァン』参照)
(注9)ジュラの黒ブドウ品種で、楕円形で小ぶりの果実と厚い皮が特徴。ワインに力強さと濃い色をもたらすので、プールサールとブレンドされることがある。(『新ラルース・デ・ヴァン』参照)