【半歩プロの西洋料理】 トマトソースよ、何処へ行く?
先日、とあるムックを手にしてページをめくっていると人気の洋食屋さんのレシピが載っていた。ハンバーグやロールキャベツ、オムライスにグラタン、果てはスパゲッティ・ナポリタンまでの定番の料理と共に基本のソースを紹介している。さらにページをめくってみるとデミグラスソースやホワイトソースと共に「トマトソース」が紹介されていた。何気なく眺めているうちに「???」というなんともいえない違和感が沸き起こってきた。よくよく考えてみるとそのページに載っている「トマトソース」はどう考えてもイタリア料理のトマトソースであったのだ。「洋食屋さんのトマトソースってこれじゃないよな...」という思いが頭を掠めたのが、今回のコラムのきっかけである。
イタリア(左)とフランス(右)、2つのトマトソース。
洋食屋さんのトマトソースはフランス料理のものだとずっと信じていたのだが...
私のイメージする洋食屋さんのトマトソースの第一条件は、とんかつソースやウスターソースと同じく、フライやコロッケにかけておいしく食べられることである。だし汁と組み合わせてトマト風味の煮込み料理に応用できたり、ロールキャベツの味付けやオムライス、ハンバーグのソースに応用したり、スパゲッティ・ナポリタンの味のベースになるのもその大きな特徴である。そして何より、なめらかな口当たりが大切だと考えている。
一週間前後かけてじっくり作り上げるデミグラスソースと違って、ベースとなるだし汁さえあれば1~2時間で出来上がる洋食屋さんのトマトソースは、それこそ洋食屋さんには欠かせないもののひとつだと思っていたのだが...。確かにムックに載っていた「トマトソース」で作ったスパゲッティ・ナポリタンは、イタリア料理店のパスタのようでいかにもおいしそうであった。そのほかの料理にも随所に粗切りのトマトの質感の残ったソースが多用されており、見た目にも美しいのだが...。
最近ではイタリア料理のサルサ・ディ・ポモドーロのほうが洋食屋さんで幅を利かせているのかも知れない。なんか微妙な心持である。「え~っ、あのトマトソースはどこへ行ったの・・・」そんな思いが、ますます私の頭の中に渦巻きだした。
洋食屋さんの定番ソース
上から時計回りにタルタルソース、フレンチドレッシング、デミグラスソース、ホワイトソース、トマトソース
そういえば数年前、「開業サポート」という授業で在校生の実技指導を担当した際に、学生から「デミグラスソースは時間がかかるので、ハンバーグに使えるようなソースで簡単なものを教えてほしい」と言われ、「トマトソースを使ったらどうか?」と答えた際の学生の反応が曖昧であったことが思い出される。彼がイメージする「トマトソース」とは、イタリア料理のサルサ・ディ・ポモドーロであり、スパゲッティやイタリア料理に使うには汎用性があるのだが、彼は本格的なイタリア料理店を目指しているわけではないので「トマトソースはちょっと...」という気持ちになったのだそうだ。私は「実習で作ったオムレツのソース」を彼に思い出してもらい、本来はもっと材料と時間をかけてうまみをのせたものであることを説明して、昔なつかしいトマトソースを使ったハンバーグ、オムレツ、フライ物、スパゲッティと様々な料理への応用を指導したのであった。
写真左:魚介のミックスフライは、真っ直ぐなえびが肝心。
タルタルソースもいいですが、トマトソースがあったほうがごはんが進みます。
写真右:パンパンに膨れ上がったオムライスにはトマトソースがマッチします。
薄焼きの卵でたっぷりのケチャップライスをしっかりと巻き込むことが大切。
洋食屋さんだけでなく、「辻調でもトマトソースは教えなくなりつつあるのだ」と認識したのは、ここ数年使われ始めた最新版のフランス料理の教科書から「トマトソース」の作り方が消えたことに気づいたときだった。前述の「開業サポート」での指導の際に「教科書を参照」としてレシピを製作していると、教科書にトマトソースの作り方が書かれていないことに気付いたのである。現在のものの一つ前の教科書までは確かにトマトソースの作り方が載っていたのだが・・・。今ではオムレツのソースとして実習のメニューに登場することがあるか?無いか?というぐらいの扱いである。
私の学生時代の教科書には勿論トマトソースの作り方が載っている。授業の際には「白いソース、黄色いソース、茶色いソース、赤いソース」とソースを色で分けて教わった。白いソースはベシャメル(ホワイトソース)とヴルーテ(当時は中間のソースと教わっている)、黄色いソースは冷たいマヨネーズやヴィネグレット(ドレッシング)と温かいオランデーズに分けて学んだ。茶色いソースはエスパニョル(煮詰めてドゥミ・グラスになる)を教わったが、実際には小麦粉を使った重いソースを使うことは少なくなっているからと、子牛のだし汁をベースにしたソースを勉強したのである。赤いソースはトマトソースとアメリケーヌを習ったのであるが、他のソースと少し違うところがあった。白・黄・茶のソースは何かを加えると名前が変わって別のソースになる(派生ソースと呼ばれる)し、様々な料理への応用が行われるのに赤いソース(特にトマトソース)に関しては派生ソースがほとんど教えられなかったのである。基本のソースといいながらもなぜ派生ソースが無いのかと少し違和感があったが、教科書から消えた数年前までとまったく変化の無いレシピで学んだと記憶している。当時を振り返ってみると、イタリア料理でも今のようなサルサ・ディ・ポモドーロを使っていた記憶はほとんど無い。当時のイタリア料理のトマトソース、つまり、全体の1/3をトマトピューレが占め、30分以上煮込んでからしっかりと泡だて器で混ぜた、比較的なめらかで果肉の存在感は少ないが、フランス料理のトマトソースとは少し違う、そんなトマトソースに出会ったのは、卒業まぢかの2月になってからであった(当時はイタリア料理の授業も少なかった)。
写真左:私が学んだ、ず~っと昔の教科書。
今見直すと当時の授業が思い起こされる。
写真右:当時、最初に習ったイタリア料理「スパゲッティ・ミートソース」。
これも洋食屋さんの定番メニューのひとつ。
私が学校に入職してからは、授業に招いたイタリア人シェフのA氏から学んだ様々な香味野菜とバターの風味の入ったトマトソースや、日本屈指の老舗イタリア料理店CのM料理長に授業に来ていただいたときに学んだ、ベーコンやロースハムのミンチと赤ワインの入ったうまみたっぷりのトマトソースや、40~50分煮てなめらかになったトマトソースなどに出会った。今のようなトマトの果肉の存在感のあるサルサ・ディ・ポモドーロへと変化を遂げるのは、さらに数年後で、本校卒業後にレストランでの勤務を経てイタリアで修行をしてイタリア料理店で働いていたという先輩が本校で勤務することになってからであった。 その人の作ったトマトソースは、トマト、玉ねぎ、オリーブ油の3つの食材だけで作られていた。作り方もこれまでとはまったく違い、細かく刻んだ玉ねぎのみじん切りをただひたすら焦がさないように、色付けないように注意しながら20~30分炒め続け、トマトの水煮缶詰(種とへたを除いた果肉とジュースのみ)を加えて10~15分煮るというものであった。玉ねぎだけでなくにんにくやハーブを入れてもよいが、何も入れなくても問題は無いということや、イタリアのトマトソースはトマトが粒々で残っているものなのだということを教えられた。
やがては、このひたすら炒めるという作業が大切で、「ソフリット」と呼ばれる香味野菜のみじん切りをしっかりと炒めたものがイタリア料理の基本になるのだと知ることになり、学校で教えるサルサ・ディ・ポモドーロの基本的なレシピも固まった。トマトソース=イタリア料理という認識はこの頃(1990年前後だったと思う)から徐々に膨らんできたのではないだろうか。
時代が移り変わり、学校の授業からクリームコロッケや鶏肝のムースなどの、トマトソースをそのまま添える料理が無くなり、「鶏のソテー、マレンゴ風」がトマトソースとだし汁をブレンドしたもので煮るものからトマトとだし汁で煮る形に変化してしまった昨今である。デミグラスソースに比べれば短時間で出来るとはいえ、サルサ・ディ・ポモドーロに比べれば時間も材料費もかかるものでもある。私がフランス料理の基本ソースとして学んだフランス料理の赤いソース、洋食屋さんでクリームコロッケの下に敷かれていたあの美しいトマトソースはいずれどこかに行ってしまうのだろうか?
卒業生によれば、クリームコロッケは「お店の鉄板メニュー」だということですし、ハンバーグも「デミグラスは時間がかかるのでトマトソースでやってます」とのことなので、トマトソースは活躍している様子。
少なくとも私が教えた卒業生の店で、トマトソースがオムレツにハンバーグにスパゲッティに活躍し続けてくれることを願いたい。
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