【好吃(ハオチー)!中国料理】寒い季節は、こんな料理が恋しくなります。 inマカオ
畑川:皆さん、お久し振りです。前回の担当が一年前ということに気付きまして、時間の経つ早さに驚きながらコラムを作成しております。寒い日が続いていますので、今回の料理はピッタリではないかと思い、紹介させて頂きます。
<葡汁蔬菜:ほっこり野菜のグラタン ポルトガルソース>
ポルトガルソース??
とりあえず、出来上がりを見てみましょう。
香ばしい焼き色がたまりません!!
熱々をはふはふいいながら食べて下さいね。
さて、本題に入りましょう。
「葡汁:ポルトガルソース」とはなんぞや?ということですが、「葡 ポゥ」は葡萄牙(ポルトガル)を指します。「汁 チャッ(プ)」はソースやジュースなどの液体を指すので、そんな二つがくっついてポルトガルソースとなる訳ですね。学生時代、この料理のレシピを初めて手に取ったときは、「ぶどうジュース」を使った料理なのかと勘違いした恥かしい思い出があります(笑)。そんな私の失態はさておき、味はというと「日本で売られている甘口カレー」にミルクを足してまろやかに、そしてココナッツミルクを足してアジアンにした感じです。優しい味でありながらも、カレーのスパイスが食欲を促進してくれるのがこのグラタン特徴ではないでしょうか。
では、どうして広東料理なのにポルトガルなの?という疑問が湧きますよね。
時を遡ると、19世紀ごろの清王朝時代に起源がありそうです。当時のマカオは欧州諸国貿易拠点として重視されており、ポルトガルも入港していました。当時のポルトガルは欧州諸国の中では、ずば抜けた航海技術を持っていたらしく、アフリカ、インド、インドネシアなどを経由し、香辛料をはじめ、多岐に渡る食材を持ってマカオに入っていたことも分かっています。1840年のアヘン戦争を期に衰退していく清王朝に対し、ポルトガルの立場は逆転していきます。そのなかで1887年、清王朝とポルトガル間に通商条約が締結され、マカオに対するポルトガルの永久統治が合意されます。それ以来、1999年のマカオ返還・特別行政区成立までの112年間、マカオはポルトガル植民地となったのです。
政治的には暗い話ではありますが、マカオの食文化的には大きな飛躍の時代を迎えることとなります。
当時のポルトガル人がアフリカから鶏肉、インドから香辛料、インドネシアからココナッツを運び、マカオの料理は大きな変化を遂げていきます。その中で作り上げられたのが「ポルトガルカレー」です。現在はポルトガルの本土に逆輸入された形で地元のレストランや日本のポルトガル料理レストランでも提供されています。この料理が原型となり生まれたのが「ポルトガルソース」ということなのですね。
余談ではありますが、ココナッツの「coco」はポルトガル語なんですって。普段、使っていた食材の中にポルトガル由来のものが隠れているなんて気づきもしなかったので驚いてしまいました。
ポルトガルという国がアジアの食文化にもたらした大きな足跡はこの後、香港から中国全土へ広まり、さらには海を渡って日本へ至ったなんて考えると、非常に興味深く感じますよね。
このソースは作り方を覚えて具材を変化させることで、いろいろと応用が利きます。要はホワイトソースの感覚ですので、からめる具材は多数です。コラムを作成中に技術研究所のランチ提供にて、このソースが使われていたので写真をアップしておきます。
こちらは巻き貝を使っています。貝類とは本当に相性が良く、ホタテ貝も美味しいです。貝殻を器にしているのがおしゃれですね。
ポルトガルソースを使った料理を挙げるのであれば、「飯 ウイ ファン:あんかけご飯」などがあります。マカオに旅行した友人が大衆食堂で「椰汁葡国鶏飯」や「葡国鶏飯」なるものを見つけ、注文してみるとカレーライスのような状態で、あんかけご飯が出てきたそうです。これがマカオに残ったポルトガルカレーなのでしょうね。
その他に「葡汁帯子撻 ポゥ チャッ(プ) タイ チー タッ(ト)」、「麺包醸葡汁 鶏:ミン パウ イヨン ポウ チャッ(プ) コッ(ク) カイ」などがあります。前者は帆立貝のポルトガルソースを餡にして焼き上げたタルト、後者は鶏肉のポルトガルソースを詰め込んだパンのことです。
このように身近にあるようでないポルトガルソース。好みの具材を合わせ、普段とはちょっと変わったグラタンをこの冬は試してみてはいかがでしょうか?ほんのりスパイス香るグラタンに、きっと心も身体もあたたまるはずです。
是非とも、お試しあれっ♪♪
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