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【怖くない、怖くないインターナショナルクッキング】フランス料理、そしてエスニック料理との出会い

03<西洋>怖くない、怖くないインターナショナルクッキング

2011.03.02

料理の道を志し、初めて指導していただいた辻調グループ校の創設者、辻静雄氏(前校長、故人)のフランス料理の授業。それは、私の生涯を左右するもので、深い感銘を受けました。大きな平目を5枚に卸し、惜しげもなくシャンパンや生クリーム、それにマスカット(果物を魚と一緒に料理するなんて、当時の私には考えも及びません)をたっぷりと使って作り上げられたFilet de barbue Véronique(フィレ・ド・バルビュ・ヴェロニック)。校長から「試食したい人は誰?」と言われ、すぐに手を挙げた事を今でも鮮明に覚えています。直前までヒレをバタバタさせて活きていた平目ですが、生クリームでブレゼされている為、フレッシュな歯触りを残しながらもフワッとした身の柔らかさを保って仕上げられ、濃厚なクリームソースなのに爽やかなフルーツの酸味が加えられていて口当たりが軽く、ただ無言で一滴のソースを残すことも無く全部平らげてしまいました。美味しい料理を口にするって、何て贅沢で幸せなことなのだろう。私にとっては、これが最初に口にした本物のフランス料理です。
 

 
こんな私が辻調グループ校に就職をして6年目を終えた春、フランス校シャトー・ド・レクレールに赴任する事になりました。今までとは違って、本場フランスでのフランス料理への挑戦です。言葉の違いはもちろん、生活習慣も初めて味わう世界です。3ヶ月間シャトーでフランス料理やフランス菓子を学ぶ生徒たちと共に生活をし、その夏のヴァカンスの間にリヨン市内にあるレストラン・ブーリヨ(当時ミシュラン2ツ星)へ初めてのスタージュ(研修)に出向きました。わずかひと月足らずでしたが、ここで初めてフランス人のフランス料理に対する考え方や取り組み姿勢を学びました。オーナー・シェフのクリスチャン・ブーリヨ氏(M.O.F.)に師事し、素材の良し悪しの選別や当日の料理の仕込み、そしてお客様を迎えてのレストラン営業のあり方など、、、。全く無駄の無い、充実した時間を過ごす事が出来ました。
 



続いてその年の秋、シャトーで学生たちとの共同生活も無事に終わり、今度は3ツ星レストランでの研修です。全世界にフランス料理の素晴らしさを広めた偉大なる料理人ポール・ボキューズ氏(M.O.F.)に師事し、よりスケールの大きなレストランで半年間の料理研修となりました。さらにM.O.F.のロジェ・ジャルー氏やクリスチャン・ブーバレル氏からもフランス料理の素晴らしさや奥深さを懇切丁寧に伝授していただいた事に心より感謝しています。
 



翌年秋には、同様に新しい学生たちとの生活を終え、シャトーから北東に約60 km離れたヴォナスという小さな村にある3つ星レストラン、ジョルジュ・ブランで研修する機会を得ました。ブラン氏は数多くのハーブを料理に取り入れ、またソースに独特の酸味を加えるなど、私が今までに味わったことのない軽いソースを作り出す魔術師のように思えました。
 



フランス料理一筋に専念してきた私に転機が訪れたのは、帰国してから10年近く過ぎた1992年の春でした。突然、「エスニック料理を担当してくれないか?」との言葉に、当初は途方に暮れる日々が続きましたが、とにかく何かをしなくてはいけないと思い、学校にあるエスニック関係の料理書を引っ張り出し、辞書を片手に読みあさったものです。エスニック料理、最近ではすっかり日本の食文化の中にも定着したように思えるのですが、どういう訳か日本では、「エスニック」イコール「スパイシーで辛い」というイメージがかなり根強く人々の気持ちの中に植え付けられてしまったように感じます。私としては、エスニック料理を次のように理解して頂ければ良いのではと思っています。「特定の地域において共有の言語、習慣、文化を持つ人々が作り、食する伝統的な料理」であると。そんな中、1993年にアメリカ合衆国を横断し、多民族国家の中のエスニック料理を体験。1995年にはベトナムのハノイ、ホーチミン、それにタイのバンコクにて体験。そして2001年には再度タイのバンコクとチェンマイへ出かける機会を得ました。今まで近くにありながらほとんど接することの無かった料理や食文化に触れ、ひとしお感慨深いものでした。
料理を中心とした仕事をする上において、すべての新しい料理との出会いは常に真剣勝負でありながら楽しく味わい、また自分自身を通して多くの人々にその素晴らしさを広める事が出来ればこれ以上の喜びはないでしょう。
さて長々と私の過去を語ってきましたが、今回の掲載を最後に私の担当を終了させていただきます。長期にわたり愛読していただきました皆様方に、この場をお借りしまして深くお礼を申し上げます。本当にありがとうございました!!

最終回の料理は、エスニックの集合体であるアメリカ合衆国の中で、私が「これぞエスニック料理の原点だ!」と実感している逸品を選びました。以前「カキフライのポボーイ」で紹介しましたニューオーリンズで、お気に入りのレストランの一つ「ドゥッキー・チェイス(Dooky Chase)」のオーナー兼シェフであるリー(Leah)お婆ちゃんのお得意料理の逸品です。
 



この料理はおそらく最も有名なルイジアナ料理であり、初期の白人移住者や黒人奴隷、ネイティヴ・アメリカンによって扱われた材料や調理法の適切な組み合わせがなされています。またこの料理は、北アメリカやアフリカ、ヨーロッパの要素が組み合わされていて、アフリカの野菜であるオクラでトロミをつけ、フランス料理のおいしいソースの土台となるブラウン・ルーで作られているところに、ルイジアナ・シーフード料理の特色があります。また辛みのきいたシチューで、昔からこんもりと盛ったご飯が一緒にそえられています。では「海の幸とオクラのガンボ」を心ゆくまでお楽しみください。

担当者情報

このコラムの担当者

スパイスの魔術師 三木敏彦

このコラムのレシピ

海の幸とオクラのガンボ