【百人一首と和菓子】袖の涙
お菓子について
お互いに約束したのでしょうが、女性の気持ちは簡単に変わるのでしょうか。
移り変わる心を、三つに色分けした外郎生地で表現しました。涙で濡れた様子を錦玉羹で表わし、外郎生地を折りたたむことで、袖に見立てました。
豆辞典
42 清原元輔(きよはらのもとすけ)
平安時代の歌人です。西暦908年に生まれ、990年になくなったようです。三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)という、36人のすぐれた歌人の中に入っています。百人一首の36番の歌の作者である清原深養父(きよはらのふかやぶ)の孫といわれ、『枕草子(まくらのそうし)』や62番の歌の作者である清少納言(せいしょうなごん)の父親です。村上天皇の命令を受けて、『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』という歌集を作る作業や、『万葉集』に訓点(くんてん)をつけるという作業を行った「梨壺の五人」のメンバーのひとりでもあります。
さて、歌の方ですが、
ふたりはかたく約束しましたよね。お互いに涙でぬれる袖をしぼりながら、末の松山を波が越えることがないように、どんなことがあっても、心変わりはしないと。
というくらいの意味です。
「末の松山を波が越す」というのは、絶対に起こりえないことのたとえです。この歌、ちょっと思いつめた雰囲気がただよいますね。『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』という和歌集に同じ歌が入っていて、歌の背景が少し分かるのですが、元輔が自分の恋人にあてた歌ではなく、心変わりした女性に対して、人に代わって詠んだ歌のようです。ならば、切羽詰った感じは薄れるでしょうか。
一夫多妻制が許された平安時代、心変わりをするのは、圧倒的に男性が多かったはずです。でも、ここでは、心変わりしたのは女性であって、しかもそれを追う男性がいます。とても魅力的な女性だったのか、そもそも互いの気持ちにズレがあったのか......。そして、友人?が間に入って取り持とうというこの状況。和歌をメールに置き換えれば、現代でも十分ありそうな話ですね。
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