【百人一首と和菓子】歌垣
<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>
お菓子について
「つくばね」は、現在の筑波山のこと。この山には、西の男体山と東の女体山の二つの峰があります。また、筑波山の峰から流れ出る川を男女(みなの)川といいます。
筑波山は、古代、春と秋に男女が集まって歌舞飲食を自由に楽しむ「歌垣(うたがき)」が行われた場所として知られています。この歌垣に着想を得て、春の桜と秋の紅葉の雲錦(うんきん)模様に見立ててお菓子を作りました。
峰から流れる川 を 錦玉羹で表現し、
草色に染めた羊羹 を 男女川の深い淵のように配色し、
春の満開の桜と秋の紅葉 を こなし生地で表しました。
豆辞典
13 陽成院(ようぜいいん)
平安時代前期(西暦868~949年)を生きた人で、第57代の天皇です。「院」とは、退位した天皇につける尊称です。史上最年少の9歳で即位しましたが、乱暴な行いが多かったようです。天皇の乳母子(めのとご=乳母の子)がけんかによって亡くなったのをきっかけに17歳で退位させられ、その後、82歳まで生きました。
当時、貴族の間では、政治権力を握るため、醜い争が繰り返されていました。陽成院の記録に残るいくつかの異常な行動は、精神の釣り合いを失った病気のように捉えられもしますが、周囲の人間関係や家庭環境、政治的立場などを含めて考えると、同情の余地があります。
さて、歌の方ですが、
筑波山の峰から流れ落ちる水が、男女川(みなのがわ)になり、積もり積もって深い淵となる。あなたを思う私の恋も、積もり積もって深い淵のようになってしまった。
というような意味です。
初めはほのかな思いだったのが、だんだんと積もり、深い思いになったという胸のうちを詠んでいます。現代にも十分通じる恋心ですね。この歌は『後撰和歌集』という和歌集にも入っており、詞書(ことばがき)という歌の前書きから、贈った相手が分かっています。この恋は成就していますが、結婚生活は、さて、どうだったのでしょうか。
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