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食のコラム&レシピ

【百人一首と和菓子】玉の緒

09<製菓>百人一首と和菓子

2010.02.03

<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>


お菓子について
玉の緒とは、首飾りなどに使われる玉を貫いた緒(お=ひも)のこともいいますが、ここでは命のことをさします。女性の秘めた恋心を抽象的にお菓子に表現しました。

豆辞典
89 式子内親王(しょくしないしんのう)
「しきしないしんのう」とも読みます。後白河天皇の第3番目の皇女(娘)です。壇ノ浦で入水した安徳天皇は彼女の甥にあたります。生まれた年ははっきり分かりませんが、亡くなったのは1201年といわれ、このとき、50歳前だったようです。平安末期から鎌倉初期を生きた女流歌人です。少女時代は賀茂の斎院(さいいん)といって、結婚しないで京都の賀茂神社の神に仕える役職に10年ほどあたっていましたが、病気でその役を辞めました。生涯病気がちで、晩年には出家したようです。『百人一首』を作った藤原定家(ていか)の父親である藤原俊成(しゅんぜい)に和歌を習ったとされます。室町時代には定家との恋の話が謡曲の題材になりましたが、この恋は作り話のようです。

歌の方は
絶えるならば、絶えてしまえ。私の命よ。耐え忍ぶ恋心も、長い間だと気持ちが弱ってしまい、私の外に出てしまうものだ。

激しい気持ちを歌った歌です。忍ぶ恋って、許されない恋?相手はだれ?と探りたくなるものですが、この歌は題詠(だいえい)といって渡されたお題に基づいて歌人が作ったもので、相手があって作ったものではないようです。しかし、こんなにも切なく悲しい恋の歌が作れるならば、作者は豊かな感性の持ち主だったのでしょう。昔は和歌にメロディをつけて歌ったといわれます。ですから、歌人は今でいうシンガーソングライターみたいなもの。式子内親王が今生きていたら、ステキな恋の歌を作り、たくさんの人の共感を得ていたかもしれません。

<コラム担当者>
和菓子班のホームページ委員長
定岡宏和

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

<このコラムのレシピ>
玉の緒

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