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食のコラム&レシピ

【百人一首と和菓子】沖の石

09<製菓>百人一首と和菓子

2010.06.22

<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>

お菓子について
「地球は青かった。」と言ったのは始めて宇宙から地球を見たソビエトのガガーリン宇宙飛行士です。地球上の70%は海と言われています。「海」は「大水(うみ)」という言葉が語源だという説があります。生物が生きるには、水が必要です。地球は水と生物が存在する美しい星です。
今回のお菓子は、草色に染めた錦玉羹をベースにして清涼感を出しました。水分をたっぷり含んだこの錦玉羹は、夏の暑い季節に冷たく冷やすと、ペパーミントの香りとすっきりとしたのどごしで、爽快感が味わえます。

豆辞典
92 二条院讃岐(にじょういんのさぬき)
平安時代から鎌倉時代にかけて生きた歌人です。生まれた年も亡くなった年もはっきりしていませんが、永治元(1141)年ごろ生まれ、77~78歳ごろ亡くなったのではないかと推定されます。源頼政(みなもとのよりまさ)の娘で、同母兄に源仲綱(みなもとのなかつな)がいます。彼らは以仁王(もちひとおう)と共に平家討伐を計画した武将なので、二条院讃岐は武家の出身といえます。彼女は天皇や中宮に宮仕えに出ており、歌人として有名でした。父も兄も歌人として有名だったので、その才能を受け継いでいるといえるでしょう。

歌の方は
忍ぶ恋に泣いている私の袖は、潮が引いた時でさえ、海の中に隠れて見えない沖の石のように、あの人はもちろん誰も知らないでしょうが、涙で乾く時もないのです。

というくらいの意味です。

平安時代、政治の実権を握っていた貴族の歌に、恋の歌が多いのは、単に自由な恋愛を楽しんでいたわけではなく、恋が政治の手段として利用されることが多かったためです。そして、平安時代も貴族同士の政権争いはありました。
時代は下り、鎌倉時代には政治の実権は武家へと移ってゆきます。そのような中、頼政と仲綱は平家討伐に失敗して、自害しています。このできごとは、二条院讃岐が40歳前後のころのようです。平安期よりももっと大きな時代の変化が、二条院讃岐の生活を取り巻いていたといるえかもしれません。
このようなことを考えながら、今回の歌をふりかえると、別の意味にも読めてきます。ただ、この歌がいつ作られたのかは、はっきりしていません。

<コラム担当者>
いつも陽気な和菓子職人
今成 宏

辻調の御言持(みことも)ち
重松麻希

<このコラムのレシピ>
沖の石
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