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今でも充分通用する
クラシック料理
現在までの
フランス料理の流れ
現代に合う
アレンジの発想















現代までのフランス料理の流れ

西川 「ニニョンの本の前書きに書いてあったんですが、ニニョンは“自分の白衣が愛しくてたまらない。仕事が終わっても、白衣を脱ぎたくない”って思っていたみたいですよ。朝起きたらすぐに白衣を着て、四六時中、料理のことを考えてる。それほど料理好きだったんでしょうね」
水野 「ニニョンはあまり脚光を浴びないできた人だけれども、1920年代のパリの華やかな時代に文化人が集まっていたレストランのオーナーであり、シェフでもあったということは、ただ者じゃないって思うんですよね」
西川 「当時のレストランと言えば、いろんな有名人、芸術家や貴族たちが集まる立派な社交場。ヘミングウェイが贅沢な暮らしを始めたのは1945〜1950年代だから、この時期には彼はまだニニョンの店、ラリュは訪れていなかったんでしょうね。でもプルーストとかは来ていたかもしれない」
水野 「ヘミングウェイも、プルーストの仲間入りをしたかったのかもしれないね。そんなところに行けるっていうのが、きっとひとつのステイタスシンボルだったんだろうし」
西川 「そう言えばその時代の本に、1930年くらいのフランスのレストランは、アメリカ人がダメにしたって書いてありましたよ。1920年くらいの時代から定食メニューとか、本日のオススメ料理とかが出てきたんですよ。定食みたいなメニューが現れたんだから、それだけ時代が忙しくなってきたってことなんでしょうけど…」
水野 「今でもそうだけど、フランスのレストランでは、席に座ったらサービスの人とのやり取りで30分以上かかってしまう。食事にも3〜4時間くらいかけてますよね。そういう風に過ごすのがレストランの本来の楽しみ方なのにね」
西川 「1920年代にパリが華やかだったから、フランス人も地方からどんどん集まってきて、20年代にはパリの中に地方のレストラン(田舎料理店)も増えてきましたよね。1930年になると交通の便も良くなったから、それだけ慌ただしくなったんでしょうね」
水野 「ちょうどその頃に、フランス料理の舞台は地方に変わったんだよね。そしてフェルナン・ポワン、アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピックっていう三大料理人の登場になるわけだ」
西川 「そのポワンのお弟子さんがポール・ボキューズ」
水野 「そしてその弟子が僕ということです(笑)」
西川 「昔のフランス料理をポール・ボキューズが継承して、今のシェフがいるわけですよね。料理界はずっと繋がってる(笑)」












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