19世紀末から20世紀初頭へと全てが近代化へと変貌する時代。もちろんフランスの料理界においても同じである。歴史をおさらいしておくと、19世紀初頭のカレーム、グーフェ、ユルバン・デュボワの時代からの流れを受け継ぎ、19世紀末からエスコフィエ、モンタニェ、ニニョン達が活躍。やがてパリに多くの人が集まり、地方料理店が増えたことや、交通の便の発達、 キュルノンスキーの提唱もあり、1930年頃から地方料理が注目される。三大料理人と称えられた、アレクサンドル・デュメーヌ、アンドレ・ピック、フェルナン・ポワンの時代に移るわけである。 もちろん料理の世界でも、1920年代はパリが中心である。この時代のパリのレストランはどこがあったのだろう? 本で調べてみると、耳慣れたレストランでは、 ローラン、ルドワイアン、プレ・カトラン、マキシム、ヴォワザン、ラリュなど 。ヘミングウェイもカフェやレストラン、ホテルなど、様々な場所に出入りしていたようで、彼の作品にはパリに当時あった店の名前がそのまま出てくる。ホテル・リッツのバー(現在のヘミングウェイ)などは、あまりにも有名だ。しかし高級な店に親しむようになったのは、1950年代頃の話。 「手元に、アシェットが1925年に出した『パリ・8日間の旅』というガイド・ブックがある。(中略)このガイドのレストランの頁を見ると、デラックスなレストランとしてあげられているのは、ヴァンドーム広場のホテル・リッツとキング・ジョージ、ショセ・ダンタン街のペヤール、オペラ座大通りのカフェ・ド・パリ、サン・トレノ街のヴォワザン、マドレーヌ広場のラリュ、(中略)がある。もっとも、レストランのランクというのは人それぞれなので、このガイドにあげられた最高級レストランというのも絶対的なものではない。たとえば、ジュリアン・ストリートの『パリのどこで食事をするか(1929)』では、ベストシックスとしてあげられているのは、ラリュ、トゥルノン街のフォワイヨ、(中略)そしてヴォワザンであり、ガイド・ブックとは、ラリュとヴォワザンが重なっているだけである。」(『ヨーロッパの誘惑』より) 特にこの時期の人気はヴォワザンとラリュであったようだ。料理人としては、エスコフィエはロンドンのカールトン・ホテルで長く働き、モンタニェは自分の店の経営には失敗している。レストラン主として成功した代表はニニョンであろう。
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