<校長×留学生>茶話会模様 Part(2)
1月21日の茶話会において辻芳樹校長が約束されたとおり、第2回目が3月4日(水)に技術研究所の「ボーヴィリエ」にて行われました。
前回の参加者全員はスケジュールの都合上参加できませんでしたが、総数10名(内第1回目参加者4名)が参加しました。
今回は前回の茶話会を受けて、第1回目の参加者でもある金さん(韓国)が今回の参加者に呼びかけて前もって「議論」の主旨を話し合ったということです。
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たまたま今回の茶話会に某番組のTV取材が入ったため、参加者の皆さんは若干緊張の面持ちで始まりましたが、すぐにリラックスした空気に包まれました。
まず、前打ち合わせの呼びかけを行った金さんが皆で作成したパワーポイントを見せることから始まりました。そこで提示されたのは"Nature"と"Artificial"という大きなキーワード。フランスの『ミシェル・ブラス』とスペインにあった『エル・ブリ』の料理を対峙して示し、それぞれの参加者に自国に帰っていずれの方向性で料理あるいはパティスリーを提供したいかを参加者それぞれに尋ねていきました。
ほぼ全員が"Nature"という答え。
校長先生から「皆さんはなぜフェラン・アドリア(『エル・ブジ』のシェフ)のような料理人が現れたかを考えて欲しい」という提言があり、留学生たちの意見交換は活発に続きました。
パルマ産ハムの独自性を述べたうえで、日本料理には絶対にまねできないことといくらでも再現可能、例えばマグロの養殖、なことがある、と校長先生(以下TY)が例をひきつつ、それぞれの意見を聞いていきます。
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TY「今回の"Nature"か"Artificial"というのは少し唐突な質問のように思える。
ミシェル・ブラスとフェラン・アドリアの料理はいずれも西洋文明の中でのこと。
二人はそれぞれ作り出そうとする風味はほぼ同じだが、その技術が異なるということです。
なぜならそれは西洋文明の味覚だから。
これをアジア人は理解できるのでしょうか?なかなか難しいと思うのです。
アジアにはアジアの味覚の枠があると思います。
西洋文明の味覚というものは私たちは記憶の中に持っていないからこそ評価が難しい。
だからこそ覚えていく必用があるのだと考えます。革新といものは時間とともに伝統になる。
その伝統を踏まえて新たな革新が生まれ、それがまた新たな伝統になる、結局のところ歴史が決めるのです」
そして質問をひとつ=「皆さんは自国に帰って料理を提供する場合に何が必要ですか?」
「技術です」 TY「どういう?」
「美しく見せる」「感情」
TY「感情? もう少しくわしく」
「お客さまの気持ちを考えること」
「私の店でしか食べることのできない料理」
「商品開発力」
そして、参加者にとっては思いもよらぬ発言が校長先生からとびだします。
TY「極端な言い方だけれども学校のレシピをすべて焼き捨てる。それで帰国したらどうする?皆さんにとってレシピとは何?レシピを通じて学んだことは?」
「配合、段取り等々」
「レシピを捨ててもここだけは覚えておけばいいというポイントが大切。こういう料理があるというだけでいいと思います。それが自分の"抽斗"になればいい」
TY「素晴らしい意見ですね!また極端な話になりますがフレームワークなんてないのではないかな?
その土地のお客様に気に入っていただける料理を作る必要があるのです。
各人が自分の"フレームワーク"を持っていればいい。その国で売れる料理がいいのです。
日本料理でも同じことだと思います。
先ほどの"食べて"の立場という話に戻しますが、商売を考えた場合技術の占める割合はどれぐらいだと思う?20%?30%?あるいは10%?」
「自分の技術に酔っているより、お客様が食べて、美味しくて、楽しんでもらえればいい」
TY「10%、20%でさえ確保できない人たちがいます。僕の意見では30%は必要だろうと。
そして考えるべきはどうすれば売れるのかということ。
自分の"抽斗"を多くすることか?
それ以上に何が必要なのか?を考えてください。
実は現場でできることは限られているのです。
先ほどレシピを焼き捨てて、と言いましたが、これは極論としても、レシピは読み直して欲しい。
プロセスにおいて何が大切なのかをしっかりと読み取って欲しい。
ひとつのプロセスにどういう意味があるのかを考えて欲しい。
そして、仕事以外の時間に自分が何を学んでいるかで先になってとてつもない差が出てくるものだということを覚えておいてください」
茶話会が終わってもそれぞれが校長先生のところに質問に行き、なかなか皆帰ろうとはしませんでした。
自国に帰る人、技術研究所に進学する人、これからの時間が充実したものになるように期待しています。