ヤニック・アレノ「Hotel Le Meurice」総料理長[第4回]
聞き手:柴田泉氏(月刊「専門料理」編集長)
●本日の聴衆の方々には食の業界に関わっている人たちが多いと思います。そこで「料理人に伝えたいこと」という視点で質問させていただきます。先ほど料理で大事にされていることは「ディテールの積み重ね」だと仰いました。講習の料理を拝見しているとジュのとりかた、塩、コショウの仕方とか基本的なことを大切にされているように見うけられました。アレノさんにとって、若い人たちに学んで欲しい基本とは何か、ということを教えていただけますか?
学ぶべき基本は沢山あります。真面目な話として私が自分自身のことを心から「料理人」であると意識したのは35歳ぐらいの時です。この業界で20年余り仕事をしてからようやく最高水準の料理を作ることができる、と意識したということです。本当の意味での見習い期間は1年、2年、3年とかいう期間ではなく、ずっと続いていくのです。もちろん数多くの料理書に目を通し、あらゆる風味を味わい、この職業に関連ある事柄に絶大なる好奇心を抱き続けることなどはすべてとても大切なことです。
●料理本という話題が出たところでお聞きしたいのですが、アレノさんご自身も料理本を書かれていますし、今、フランスではスターシェフ、例えば『プレ・カトラン』のシェフとか、ティエリー・マルクス氏なども料理本を出版しています。若い世代はこのような料理本にどのように接すればいいのでしょうか?
私が思うにシェフが料理本を出すことは自らの足跡を残しておくということでとても大切だと思います。例えばジャン・ドラヴェーヌ氏、ミシェル・ゲラール氏やジョエル・ロビュション氏に多大な影響与えた料理人ですが、彼がまったく料理本を発刊しなかったことは非常に残念に思います。少なくとも1、2冊の料理本を残して欲しかった。
いかなる料理本にせよ必ず何点かの有益な情報があるものです。1冊につき一つの情報を得ることができたと考えてもたまった結果はすごい量の情報になるわけです。
数ある料理本にどのように接すればよいかを私は言うことはできませんが、大切なことは可能な限りの情報を自分の中に溜め込むことです。そのためにこそ沢山の料理本を読むことは有効だと思うのです。積みあげられた情報が豊富になればなるほど発想も豊かになるはずです。しかも、現代はインターネットという便利なものがあります。情報はとり放題です。
この学校の図書室にも素晴しい料理本がそろっています。少なくとも日に1時間ぐらいは図書室で過ごすようにしてはいかがでしょう。
●若い料理人で実際に現場に勤め初めて「辛い」と感じている人たちがけっこういると思いますが、そういう若い料理人に励ましのメッセージはございますか?
そういった時期を越えていくためにこそ学校の職員の方々がいらっしゃると思います。先ほども言いましたように本当の意味での「見習い期間」はとても長いものです。もちろん人によりますが、20年、30年の場合もある。だからこそ学校の職員は基礎をしっかりと学生たちに伝えようとするのです。でも学校の職員の方々が与えているのはひとつの「鍵」にしか過ぎません。その後はそれぞれがその「鍵」で「扉」を開けて進んでいかなければならないのです。永遠に学生でいることはできません。どこかで実際の現場に出ていかなければなりません。そこでまた新たなことを吸収していかなければならないのです。でも、異なるシェフの下で異なる知識を学ぶことはとても重要なことなのです。
●では、せっかくの機会ですので聴衆の皆様からの質問を受けさせていただきます。●
〈質疑応答〉
Q:全ての盛り付けがとても美しかったので、盛り付ける際のコツといいますか、規則のようなものはあるのかどうかを知りたいと思います。
その一瞬の感覚に従うということです。料理のパーツを皿に盛りつけ始めると、そのパーツそのものが語りだすといいますか、そしてある瞬間に「必然的」な盛り付けになっていきます。ですから新しい料理を考えるときは美意識をもって「全体像」を想像する必要があります。
盛り付けのセンスを磨く方法はないと思います。ないというより私には上手く説明できません。
Q:シェフはお休みの日などはどのように過ごされているのですか?
友だちと会ったり、息子たちと遊んだりします。いろんなことをしますが、上手にはできません。ゴルフにも行きますがとても下手くそです。レストランへも行きますし、音楽を楽しんだり・・・普通の人たちと同じですよ。ただ休みの日は早起きですね。昼まで眠っていることはありません。時間がもったいないでしょ。
朝から市場に買出しに行き、仲間たちとの食事の用意をしたりします。もちろんレストランのような料理ではありませんよ。私は仕事をしている時間が圧倒的に長いですから、余計に休日の時間が貴重なのです。
Q:私は4月から現場に入った「1年目」で、某ホテルの和食の厨房で仕事をしています。けっこう失敗も多く、叱られることもあったりして、けっこう辛い部分もあるのですが、さきほどシェフの話を聞いていてとても力づけられたので、シェフの若い時の失敗とかがあれば教えていただきたいのですが・・・
どれを語ればいいのか迷うほどたくさんの失敗があります。泣きながら家に帰ったこともあります。でも、こういった失敗は私たちの仕事の一部です。「怒鳴られる」「叱られる」ことを覚えなければなりません。
煮込みすぎだと言っては怒鳴られ、十分に熱くないと怒鳴られ、許可されていないことをした、塩を入れすぎた等々、ずっと怒鳴られ続けてきたようなものですよ。そして、ある時、あなた自身が怒鳴るようになっているのです。
シェフが自分のスタッフに対して厳しく接したり、もちろん肉体的な暴力をふるうということではなく、時として声を荒げたり、存在感を必要以上に誇示したりする唯一の目的は「お客様を満足させる」ことにあるのです。厨房において「お客様を満足させる」ために集中する時間はとても短いのです。ですからその瞬間にスタッフに対してプレッシャーをかけるわけです。
私の厨房でも10代のアプランティが壁の陰に隠れて泣いていたりすることもあります。でも、少し経てば彼は自分の持ち場に戻ってきます。だからそんなことは大したことではないんです。時としては自分が難しいと思う部分に関してシェフに直接質問してみることも大切です。あなたがスタッフの一員として仕事をしている限り、他のスタッフはあなた自身が言われていることを理解していると思い込んでいることが多々あります。ですから、もし、ある料理に関してどうすればいいのかわからない箇所があって、それが原因であなた自身のスキルがアップしないなら、シェフがリラックスしている時間を見計らって「申し訳ないですが、言われていることがよく理解できません」と話してみるべきです。これはぜんぜん恥ずかしいことでもなんでもありません。誰でもそういう時期はあったはずですから。
私は特別裕福な家庭に生まれたわけでも、両親が有名人だというわけでもありません。普通の家庭に生まれ、育ちました。でも、私の選んだこの料理人という仕事は実に多くのものを私にもたらせてくれました。現在の私は世界中の素敵な方々と言葉を交わすこともできますし、今日このようにあなた方の前で料理を披露することができます。これらすべては私が料理人だからです。
また、自分自身にさまざまな感性、とりわけ創造的な感性をもたらせてくれたのもこの職業なのです。こんな職業は他にはない、と思っています。今、あなた自身が直面している状況は成功した時、「あの時代はきつかった。でも、これがあったから今の自分がいる」っていう風に思える基調な経験になるはずです。
Q:料理の世界に入られた頃のシェフがたてていた目標などがあれば教えてください。
私がこの世界に入ったのは自分がこの職業につきたいという欲求があったからです。15、6歳の私が「将来、ミシュランの三つ星を獲りたいのかい?」と尋ねられたら、おそらく私には何も答えることはできなかったでしょう。とにかく自分がしたいと欲することをしたかった、というだけなのです。
Q:今回の日本の滞在で、日本の料理も食されたでしょうし、さまざまな固有の食材にも触れられたと思うのですが、そういう中から新たに挑戦したい料理というものを思いつかれたりしましたでしょうか。
市場にも行きましたし、素晴しい日本料理も食しました。でも、私の場合そういう機会においてすぐに新しい料理を思いつくということはありません。先ほども話しましたように自分の中に情報として溜め込んでおきます。するとある日、何かの拍子に「ああ、確かあのとき日本でこういう素材に出会った。あの風味を使ってみよう」とかいうように溜め込んだ情報が表面に浮かびあがってくるのです。
貴重なお話をありがとうございました。では、これで終わりたいと思います。
Hotel Le Meurice
228, rue Rivoli
75001 Paris, FRANCE
+33.01.44.58.10.55
●次回の更新は、4月23日(木)を予定しています。
お楽しみに!