【日本料理一年生】 51時間目 ぜんざい
<【日本料理一年生】ってどんなコラム?>
●ぜんざい●
「大阪産(おおさかもん)グルメ」第二弾は、「ぜんざい」です。昭和歌謡で大阪の代表といえば、藤島桓夫氏が歌った「月の法善寺横丁」があります。この歌は、大阪の南(難波を中心とした繁華街のこと。ちなみに、北は梅田を中心とした繁華街のこと)の「藤よ志」という料理屋に修行に来たばかりの板前と、料理屋「藤よ志」の末娘、大阪風にいうと「こいさん」のラブストーリーになっています。
大阪の商家の御嬢さんを、使用人たちは「いとはん」といいます。これは長女や一人娘を指す言葉です。次女は「なかんちゃん(中んちゃん)」、三女は「こいとちゃん(小いとちゃん)」とか「こいちゃん」、「こいさん」、息子は「ぼんち」や「ぼんぼん」、「ぼん」、奥さんは「ごりょんさん」などと呼びます。私が幼少の頃は、関西では、一般の家でも娘は「いと」、息子は「ぼん」と普通にいっていました。
大阪弁の講座は、次の機会にして、「法善寺」の話です。お寺は江戸時代の創建ですが、第二次世界大戦の空襲でほとんどが焼失し、現在では、水掛不動尊と金毘羅堂があります。水掛不動尊は、商売繁盛、恋愛成就などを祈願する人々がかける水でいつもぬれ、苔生しています。
この法善寺を中心とした通りを「法善寺横丁」といいます。割烹やバーなどがひしめく石畳の横丁が2本あり、ミシェランの星を取ったお店がいくつも集まっています。横丁の西入口には、大阪の喜劇王、藤山寛美さんの、東入口には、落語の三代目、桂春団治師匠の書による看板が、それぞれかかっています。
水掛不動尊のすぐ横にあるのが「夫婦善哉」という名のぜんざい屋です。明治16年に文楽の竹本琴太夫が、「お福」という名の少し変わったぜんざい屋をはじめました。妻と娘にやらせたのですが、一人前のぜんざいを二つのお椀に分けて出しました。客がなぜ二つなのか訊ねると、妻と娘が「おおきに。夫婦(めおと)でんね。」と答えたそうです。本当は、二つに分けることで量が多く見えると考えたからだそうで、これが大ヒットし、いつしか「夫婦善哉」といわれるようになったということです。
●関西のぜんざい、関東の田舎汁粉●
昭和の初めに、織田作之助が、このお店が出てくる小説『夫婦善哉』を発表します。小説はのちに映画化され、お店は一躍有名になり、大いに繁盛したそうです。ただ、この「夫婦善哉」は、二つあっても一人前を二人で分けて食べると縁起が悪いといわれているので注意しましょう。
さて、陰暦で10月のことを「神無月」といいます。これは、毎年10月になれば全国の八百万(やおよろず)の神々が、島根県の出雲大社に集まり「神在祭(かみありさい)」という会議が開かれるからです。反対に、出雲は「神在月(かみありづき)」というのです。この「神在祭(かみありさい)」にふるまわれていたのが「神在餅(じんざいもち)」という豆を入れた雑煮です。「じんざい」が訛って「ずんざい」、さらに「ぜんざい」となって京の都に伝わったという説があります。
●関西の汁粉、関東の御膳汁粉●
では、「ぜんざい」と「汁粉(しるこ)」の違いは何でしょう。「ぜんざい」とは、喜び祝うことで、漢字で「善哉」と書き、「汁粉」は具の入った汁ということです。一般的には関西と関東ではちょっと違うようです。関西では、粒あんで作ったのが「善哉」で、こしあんで作ったのが「汁粉」です。関東では、粒あんで作ったのは「田舎汁粉」、こしあんで作ったのを「御膳汁粉」、「ぜんざい」は、ほとんど汁気のない練りあんや粒あんを餅にかけたものをいいます。
●関西の亀山、関東のぜんざい●
関西では、餅に粒あんをかけたものは、「亀山」や「小倉」といいます。「亀山」とは、現在の京都府亀岡市のことで、昔は、この地が丹波の国の中心でした。ここで大粒の良質の小豆が取れたことから名づけられたといわれます。また、「小倉」とは、京都市右京区の嵯峨野にある「小倉山」を指し、「小倉山百人一首」を藤原定家が撰んだ所として有名ですが、紅葉の名所でもあります。花札にもあるように、紅葉には鹿がつきもので、小鹿の背中の白い斑点模様を「鹿の子」と呼び、小豆に見立てたところからきています。小豆の粒あんを「小倉あん」と呼ぶのも同じ理由です。
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