【日本料理一年生】 56時間目 恵方巻き
<【日本料理一年生】ってどんなコラム?>
●巻き寿司(恵方巻き)●
今回は、「恵方巻き」のお話です。恵方巻きは、関西から始まった節分の食習慣です。私の子供のころにはあまり聞かなかったものですが、今や全国区になりました。「節分の習慣は?」というアンケートを取ると、「豆まき」より、「恵方巻きの丸かじり」とする家庭が多くなっているそうです。
では、「恵方巻き」とはどのようなものでょうか。いくつかの説がある中のひとつに、幕末から明治初期、節分に大阪の船場の商人たちが、商売繁盛、無病息災、家内安全を祈って、恵方を向いて黙ったままで、巻き寿司を丸のままかぶりついて食べたというものがあります。戦後、製菓会社がバレンタインデーにチョコレートを売り出したのと同様に、海苔の組合が大々的に売り出したともいわれます。
「節分」は立春・立夏・立秋・立冬の前日です。二十四節気という暦では、立春から一年が始まりますから、立春の前日の節分は大晦日のような位置づけです。このような意味合いの節分に、次の年に「年神様」がいらっしゃる方向(「恵方(えほう)」といい、2016年は南南東)に向かって巻き寿司を丸かぶりして、色々なことをお願いしたのです。
中に入る具材は、特に決まっていませんが、七福神に因んで7種類の具材を彩りよく巻き込むことがあります。最近では、豪華な海鮮や、海老フライ、豚カツ、和牛のステーキのほか、節分にちなむ鰯を塩焼きにし、中骨だけを抜いて巻き込み、頭と尾が海苔の両端から飛び出したような変わったものまであるようです。
ここで少し、海苔についてお話します。海苔は、浅草海苔に代表される東京湾や有明海のものが有名ですが、明石や淡路島に面した播磨灘の海苔も結構有名なのです。
●播磨灘の海苔畑●
辻調理師専門学校の卒業生に石上直美さんという方がいらっしゃいます。元々学校の先生をされていて、定年後、辻調に入学され、毎日淡路島から大阪の阿倍野まで通学されました。卒業後、淡路島でご主人と、念願のカフェ「Café Marukou」をされています。実は、このカフェのある場所は、ご主人のお父様が経営されていた海苔工場の跡地です。ご主人は海苔屋の息子さんなので、播磨海苔についてはかなり詳しく、色々とお話をお伺いしました。
●「Café Marukou」の入り口です●
播磨灘では、昭和30年頃から海苔の養殖が始まりました。現在、有明海の佐賀、福岡などと共に、全国でもトップクラスの収穫量を誇っています。播磨灘は瀬戸内でも淀川や加古川から窒素やリンなどを含む栄養塩が流れ込み、海苔の養殖には適しているのだそうです。
海苔の養殖は海によって異なります。波が穏やかで干潮の差が激しい有明海では、竹などの支柱で網を固定した「支柱式栽培法」が主流です。特徴として多少赤目ですが、柔らかく口溶けのよい海苔ができます。一方、鳴門海峡や明石海峡に近い播磨灘は潮流が激しいため、碇にブイとロープをつなぎ、海面に網を張る「浮き流し栽培法」が採用されています。このため、水深の深い海でも養殖が可能で、黒々とした艶と歯ごたえのある海苔ができるのだそうです。
●潜り船●
播磨灘の海苔の収穫は12月から翌年の4月頃まで。以前は掃除機のようなもので網の上を吸引して収穫していましたが、最近では「潜り船(もぐりぶね)」と呼ばれる海苔収穫専用の船を、海苔養殖の網の下に潜り込ませ、すくい上げた網を船上に揚げ、網から垂れ下がった海苔を高速で回転する電気カミソリの刃のようなもので刈り取ります。これを次の海苔が成長するまで日をおいて繰り返します。最初に刈り取った海苔を「一番海苔」、次に刈った海苔は「二番海苔」と順番に呼ばれます。刈り取られた海苔は、海水や真水で洗い、専用のすだれに、和紙のように敷いて脱水、乾燥させます。
●潜り船を前から見ると......●
石上さんのお話では、巻き寿司にするには歯ごたえの弱い「一番海苔」より、「二番海苔」が適しているのではないかとのことでした。
今回は、この播磨海苔を用い、成田先生の特製具材7種類が入った「恵方巻き」をご紹介します。是非とも節分の夜に「南南東」を向いて願いを込め、しゃべらずに一気に食べてください。
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