【百人一首と和菓子】茶の山
<【百人一首と和菓子】ってどんなコラム?>
お菓子について
宇治といえば、誰もが知っているお茶の産地ですね。
「宇治の山」と、「隠れ住んでいる状態」を、抹茶の麩焼き生地で包むことで表現しました。
中餡には、抹茶と相性のよい柚子風味の餡を使いました。
和歌の「しかぞすむ」から「鹿」を連想し、「鹿の子豆」と呼ばれる小豆の蜜漬けを忍ばせています。
豆辞典
08 喜撰法師(きせんほうし)
生まれた年も亡くなった年も分かっていません。平安時代の歌詠み名人「六歌仙(ろっかせん)」に名前が入っているのですが、どんな人物だったのか、ほとんど記録が残っていないのです。そして、歌人であるにもかかわらず、今回の歌以外に、和歌もほとんど残っていません。『古今集』にも入っている今回の歌から、宇治に住んでいたことがあると分かります。平安時代のはじめころの歌人で、宇治に住んでいたという以外、ほとんど何も分からない伝説的な人物です。
さて、歌の内容ですが、
私の庵(いおり=質素な住まい)は、都からいうと辰巳の方角(南東)にあり、このように心静かに暮らしている。それなのに、世間の人は、ここをこの世を憂(う)しとて住む宇治山だといっているらしい。
というような意味です。
「宇治」には「憂し」という言葉がかけられています。「しかぞすむ」は「然ぞ住む」であり、「鹿が住んでいる」という意味ではありません。ただ、昔は方角を表わすのに、十二支を使っていて、「南東」は「辰巳」といいました。「辰」や「巳」が言葉の上で出てきたので「しかぞ」の「しか」を「鹿」と掛詞(かけことば)にしていると捉えることができます。
人間関係の疎ましさは、1000年以上前も、今と変わりなく存在しました。社会的地位が生まれた家柄によって決められたり、職業も結婚も、選択の自由がなかったり......。現代社会よりも理不尽なことは多かったかもしれません。このような中、喜撰法師のように、人里離れてひっそりと暮らす道を選ぶ人もいました。他人の目には哀れに映ったでしょうが、本人たちにとっては、都でストレスに悩まされて暮すより、ずっと充実した毎日だったことでしょう。
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