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春夏秋冬がはっきりした日本では、四季折々の風物詩のなかにも季節のうつろいを感じとることができます。 このコラムでは、日本の四季に関連のある言葉と料理をご紹介し、季節を表すことばの美しさ、奥深さに、改めて目を向けてみたいと思います。 |
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桜の便りが伝えられる頃になると、テレビやラジオから「ピカピカの一年生」というあのフレーズが聞こえてきて、そろそろ入学式シーズンだなと実感する。 |
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「入学式」は日本では春を代表する季節の行事であるが、海外では9月の初めに授業が開始され、翌年6月に1年の授業が終了するという話はよく聞く。しかし、本校のフランス校に長く勤務している先生に、「フランスでの小、中、高校では、入学式も卒業式もないのが普通。」と聞いて驚いた。9月までに新入生は登録手続きをして、必要購入物のチラシなどをもらって購入したり、学校独自の保険やスクールバスの手続きをしたりという準備を個々にし、あとは学校からどのクラスに入るかの知らせを受ける。そして、決められた日になって学校に行くと、出し抜けに授業が始まるようである。日本で入学式が4月に行なわれるようになったのは、イギリスの習慣に基づいたものといわれている。 |
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私どもの辻調グループ校の入学式も4月、大阪城の桜が花吹雪のように舞い落ちる頃に行なわれる。おろしたての真新しいスーツに身を包んだ新入生が、緊張のためか幾分紅潮した面持ちで会場に続々と入場してくる。校長や来賓の祝辞が終わると、恒例の「生間(いかま)流式包丁」が厳粛な雰囲気の中で執り行なわれる。
「式包丁」とは、『週間朝日百科 世界の食べもの』によると次のように書かれている。
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平安時代以来,客をもてなすひとつの方法は,客を前にして主人が料理の手並みを見せることだった。そこから熟練の手わざを誇る料理人の家ができあがった。ほぼ室町時代のことである。その料理人の伝統に生間流がある。寛永3年(1626),後水尾天皇が二条城へ行幸された折の献立のなかに,「京包丁人生間庄右衛門」とある。 |
本校の入学式に行なわれる生間流式包丁は、本校講師で京都・有職料理「萬亀楼」御主人でもある小西重義先生と若御主人の小西将清先生が、直接手を触れず、包丁と真魚箸だけで鯛を料理され、入学式にふさわしい桜の花とともに春の演出で執り行なわれる。(小西重義先生は式包丁生間流二十九代家元、生間正保という別のお名前もお持ちである。)本校ホームページの辻調「食」の世界−Menu「食のコラム」の中に「郷土料理探訪」の京都の特集があり、小西重義先生との対談をのせているので参考にして欲しい。
今回紹介する「赤飯」は、小豆のゆで汁で着色したもち米を蒸し上げたものである。古くから赤い色には邪気を祓う力があるとされ、古代米のひとつとされる赤米を蒸し、神にお供えとして奉げ、後にお下がりとして食していたようである。ところが、稲の品種改良により、現在我々が食している、作りやすくて収穫の多い白い米作りが主流になり、小豆などのゆで汁で赤く染めるようになったらしい。今では「赤飯」は誕生日などの祝い事の日に食べられるが、古くは悪いことがあったときに「赤飯」を食し、その赤い色で邪気をはらい、良いことが起こるように願っていたようである。
「赤飯」には、小豆を使うと味覚的にもよいが、小豆はゆでるときに「胴割れ」といって豆が割れることが多いため、武家社会圏であった関東では「胴割れ」は切腹に通じるとして、「胴割れ」しにくいささげを用いることが多いようである。
「赤飯」についていろいろ調べてみると、北海道や東北の一部では「甘納豆」を「赤飯」に入れるようである。戦後に、砂糖が不足していた頃、祝い事などの特別な日には「甘納豆」を入れた甘い「赤飯」を食べたのがルーツのようだ。ただ、「甘納豆」では赤くならないので、食紅で着色しているとか。さらにこれには「紅生姜」が添えられるらしい。また新潟では、小豆やささげなどが貴重だったため、醤油で色づけた「五目おこわ」のような「赤飯」が食べられているそうである。
赤飯に入れる小豆は皮がかたくて中が比較的やわらかい。水に浸しておくと、「へそ」と呼ばれる胚座の部分から水を吸収する。5〜6時間するとこの部分で横に切れて亀裂が入り、以降、吸水が早くなる。これが先にいった「胴割れ」で、おめでたいときに使う赤飯には、胴割れした小豆は腹が切れるといって嫌うので、水に浸さず洗ってすぐ煮るのがよい。 |
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