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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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この歌を詠んで、真っ先に秋の田んぼが頭に浮かびました。稲が黄金色にこうべを垂れた実り豊かな田んぼです。
黄色い生地 は黄金色に実をつけた稲穂 を 折りたたんだ生地 は 着物の袖 を
あらわしています。
生地の表側には焼き印で「稲穂型」を押しました。 全体を茶色系で統一し、秋らしさを出しています。 秋の夜露にぬれてしまったという天智天皇の衣の袖を、このお菓子で表現しました。
なお、ここで使っている生地は、こなし生地といって、漉し餡と小麦粉を混ぜたものです。
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1 天智天皇
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作者は天智天皇となっています。この天皇は万葉時代の人で、父は舒明天皇、母は皇極天皇(2回目の即位では斉明天皇)です。皇太子で中大兄皇子と呼ばれていた時に中臣鎌足と蘇我氏を滅ぼし、有名な大化の改新を成し遂げたあの人物です。46歳か47歳で崩御されたようですが、政治的にはかなりのやり手でした。 愛した女性は数多く、中でも、額田王との大人の恋はあまりにも有名。弟の大海皇子(後の天武天皇)の妻である彼女を自分のものにしたのですから。
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歌の方ですが、 「稲がたわわに実る秋の田のほとり、かりそめに作られた小屋は苫(とま=スゲやチガヤ)の編み目が粗くて隙間だらけ。そこで一夜を過ごすと、私の衣の袖は夜露にぬれてしまうことだ」 という内容です。万葉集にあるもとの歌は農民の作といわれます。それがいつしか、民の苦しみを理解する天皇の歌として伝えられました。つまり、実際は天智天皇の作品ではないということです。この部分を説明するとなると少々ヤッカイで専門的になります。でも、百人一首の選者藤原定家が天智天皇の作としているので、ここでは深く詮索しないでおきましょう。また、これを一夜の恋の歌と解釈する説もありますが、ま、それはさておき、これを和菓子にしてみると・・・・・・。 |
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