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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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「天の川」といえば、7月7日の七夕の夜に天の川を隔てて輝く彦星と織姫が1年に1度だけ逢うことを許された夜を思い出します。この和歌は、冬に「天の川」を思い出して歌ったものです。
中餡の小豆こし餡で夜空を 白こし餡で天の川を
道明寺羹で夜空に輝く銀河を表現しました。
また、金箔を彦星に 銀箔を織姫に見立てています
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06 中納言家持(ちゅうなごんやかもち)
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例のごとく歌人名は役職名で、本名は大伴家持(おおとものやかもち)です。百人一首は、時代の古い順に並んでいるので、6番ということは、かなり古く、今から1250年くらい前、奈良時代を生きた人物(718?〜785)です。何度か編集を繰り返された『万葉集』を、現存に近い形にまとめた上、この歌集の中に最も多く採歌されている人物として有名です。父親は万葉前期の歌人大伴旅人(おおとものたびと)。叔母に女流歌人として有名な大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)がおり、その娘大伴坂上大郎女(おおとものさかのうえのおおいらつめ)を正妻に迎えました。長男であった家持は藤原氏の勢力に押されて没落して行く一家を支え、政治的にも不遇で苦労の多い生涯だったといわれます。
さて、歌の方ですが、
かささぎの渡せる橋に霜が真っ白に降りた様子を見ると、夜もずいぶん更けたことだ。
というくらいの意味です。
「かささぎの渡せる橋」とは、七夕の日に織姫と彦星が会うためにかささぎが翼を広げて天の川に作る橋のことをいいますが、それだけでなく、宮中を天上になぞらえて御殿の階段のこともいうので、この和歌がどちらのことをいっているのか解釈が分かれるようです。しかし、この言葉を聞くと、どうしても七夕の恋物語に思いを馳せてしまいますから、七夕と霜の降りる頃では真反対の季節ですが、冬の夜の様子を幻想的な風景として捉えた歌といえるでしょう。
家持は「新(あらた)しき 年のはじめの初春の 今日降る雪の いや重(し)け 吉事(よごと)」という自らの歌で万葉集を締めくくっています。「新しい年が明けて春がやってきた。今日降り積もる雪のように、今年一年がめでたい事の多い一年でありますように。」という願いを込めた歌です。2006年は寒波の影響で大変な年明けとなりました。雪国の方々はさぞかし大変な日々を過ごされていることでしょう。しかし、その降り積もる雪が今年の幸せを象徴していますよう、お祈り致します。
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