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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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「天津風(あまつかぜ)」とは、「空を吹く風」、「空の風」のことで、「雲のかよひぢ」とは「雲間の道」のことです。雲間の道をかるかん生地で表現し、夏の深緑を羊羹で抽象的に表わしました。
※同じ和歌が古今集にも取られており、その詞書(ことばがき)から、この歌が作られた季節は冬だと捉えられますが、和歌自体の中に直接的に季節を表す言葉がなかったので、今回はイメージだけを取り入れて、あえて夏の菓子を作りました。
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12 僧正遍昭(そうじょうへんじょう)
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「僧正遍昭」というのは「僧正という位についていた遍昭という名の人」という意味です。「遍照」と書かれる場合もあるようです。律令制のもとで決まっていた僧(お坊さん)の役職は、僧正(そうじょう)・僧都(そうず)・律師(りっし)という順番だったので、遍昭は一番上の位についていたといえます。
平安時代前期(816〜891)を生きた人で、俗名(ぞくみょう=出家する前の名前)を良岑宗貞(よしみねのむねさだ)といい、都を平安京に移した桓武(かんむ)天皇の孫です。仁明(にんみょう)天皇に仕えていたのですが、天皇崩御と共に35歳で出家しました。21番の歌の作者素性(そせい)法師は出家する前に生まれた息子です。
僧正遍昭は、六歌仙(ろっかせん)や三十六歌仙(さんじゅうろっかせん)という歌詠み名人に名前を連ねています。
歌の内容は、
空を吹く風よ、舞姫が天と地を行き来する雲の中の通路を吹き閉じておくれ。美しい天女達の姿をしばらくここにとどめておきたいから。
天武天皇が夕暮れに琴を爪弾いていたら、雲が動いて天女の舞が見えたという言い伝えがあり、これを起源とするのが五節(ごせち)の舞(まい)です。
この歌は、作者が出家する前に作った歌です。古今集という歌集にも取り上げられていて、歌の解説とでもいうべき詞書(ことばがき)から、五節の舞に際しての歌だと分かります。旧暦11月に行われる新嘗祭(にいなめさい)の翌日、豊明節会(とよのあかりのせちえ)という行事が行われ、その時の催しが五節の舞です。地位の高い家の娘が五人選ばれて舞姫となります。この時代、貴族の間では、男性が女性の顔を見る機会はほとんどなかったので、美しい娘達の華やかな舞に心を奪われたのでしょう。五節の舞の起源を踏まえ、舞い終わってその場を去る娘達を天上に帰って行く天女に見立て歌ったものです。
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