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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
夏のお菓子春すぎて
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山 持統天皇
春すぎて
お菓子について
春がすぎて青空のもとで白い衣を干すと言い伝えられている天の香具山、その山のあたりに、白い着物が干してあるのが、点々と見えているという風景を歌ったもの。

夏が近づいて来たので、急いで、白い衣服を取り出して干すと言う行事はこの時代の初夏の風物詩 。

青空、白い雲を味甚羹で表し、白い着物を波模様と味甚粉で表しました。

豆辞典
2 持統天皇
大化元年(645)〜大宝2年(702)。41代目の天皇(女帝)。1番の歌の作者とされる天智天皇の娘です。天智天皇の弟、つまり、父方の叔父の天武(てんむ)天皇に嫁ぎました。この時代、叔父と姪や異母きょうだい間などでの結婚は許されていました。夫の崩御(ほうぎょ=天皇が亡くなること)後、文武に優れて、多くの人々に信望の厚かった大津皇子(おおつのみこ)を謀反(むほん=うらぎり)の疑いで処刑。自分の息子である草壁皇子(くさかべのみこ)の即位を強く望みましたが、不運にも彼は皇太子のままで亡くなりました。しかし、母はめげてはいません。草壁皇子の残した孫、軽皇子(かるのみこ)を皇太子にすえ、自ら即位して天皇となり、その政治手腕を遺憾なく振い、律令政治の元を築き上げました。そして、58歳で亡くなるまで波乱の人生を送りました。今でいえば「やり手のキャリアウーマン&肝っ玉母さん」でしょう。
ちなみに、百人一首かるたでは、通例十二単(じゅうにひとえ)の姿で描かれていますが、持統天皇は奈良時代以前の人。十二単は平安時代の装束なので、彼女が生きていた時代には、まだ存在しませんでした。百人一首がかるたとして普及するときに、十二単の姿で描かれてしまったため、それが今に伝わっているのです。

歌もとても有名です。
いつの間にか春がすぎて夏が来たようだ。衣更えのために衣を干すといわれる香具山(かぐやま)に。
万葉集に集録されている元の歌は「春すぎて夏きたるらし白妙の衣干したり天の香具山」です。いずれにしても万葉時代の歌は二句切れ。「白妙の」の前で区切って読んでください。そうすると、すんなり解釈できますよ。



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レシピ 春すぎて

和菓子職人
人物 定岡 宏和
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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