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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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八重桜を強調したくて、花びらの重なりを、外郎生地の紅白を幾重にも重ねて表現してみました。 咲き匂う花によせて、こなしの生地で桜の花びらを散らし、中の白餡には、桜葉の塩漬けを使って桜の香りをつけました。
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61 伊勢大輔(いせのたいふ)
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平安中期の歌人。生まれた年や亡くなった年は、はっきりしません。百人一首49番の歌の作者の孫です。この時代、女性の名前は両親と夫しか知りませんでした。名前を教えることは結婚を意味しました。天皇家に生まれたり、天皇家に嫁いだ場合は、名前が公の文書に記録されているので分かりますが、それ以外の女性は名前を明らかにすることはなく、父親や夫などの役職名を通称として呼ばれました。彼女の場合、父親が伊勢神宮の神官の長をしていたので、その役職名が呼び名になりました。藤原道長の娘で、天皇の正妻格である中宮(ちゅうぐう)になった彰子(しょうし)に仕え、同僚には情熱的な恋の歌で知られる和泉式部(56番の歌の作者)や、『源氏物語』の作者で知られる紫式部(57番の歌の作者)がいました。
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歌は寛弘4(1007)年の4月(旧暦)、奈良から宮中(京都)に八重桜が献上されたとき、天皇の前で即興的に詠んだ歌だと伝えられています。歌の中にある「九重」というのは宮中のことをさします。 歌の意味は、 その昔、都であった奈良の八重桜が、今日は、ここ京の都の宮中で大変美しく咲いていることです。 というくらいでしょう。彰子の父親である藤原道長の栄華をたたえる意味も含まれています。「いにしえ(=昔)」と「けふ(=今日)」、「八重」と「九重」が対になっています。この歌を詠んだとき、彼女は彰子のもとで働き始めて間もない頃でした。新参者の女房(=貴族の家に仕える女性)が晴れの舞台で、その場にあったすばらしい歌を詠み、一躍有名になりました。
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