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98 従二位家隆
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保元3(1158)年〜嘉禎3(1237)年。鎌倉初期の歌人です。従二位は「じゅにい」と読み、「従二位のくらいについていた家隆さん」ということです。本名は藤原家隆(ふじわらのいえたか)。先祖には有名な歌人がいたようですが、代々の和歌の名門という訳ではありません。しかし彼自身は、藤原定家の父、俊成(しゅんぜい)に和歌を習い、藤原定家と並び称され、新しい和歌の読みぶりでは当時の和歌の世界でリーダー的存在でした。『新古今和歌集』の編纂者の1人です。(彼ヲ見テモ分カルヨウニ、物事ガデキルデキナイハ、遺伝デハナイノデスヨ。)
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80歳で生涯を終えた地は、大阪天王寺夕陽ヶ丘。辻調グループ校とは目と鼻の先。「夕陽ヶ丘」は家隆が亡くなる直前詠んだ歌「契りあれば 難波の里に 宿り来て 波の入り日を 拝みつるかな(=何かの縁があったのだ、難波に泊り来て、波間に沈みゆく夕日を拝むことがあったのは)」にちなんでつけられたとか。今でもこの地には塚が残っています。
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ところで、この歌の意味は、 吹く風がならの葉をそよがせている。このならの小川の夕暮れは(すっかり秋めいているが)禊ぎの行事だけが、季節を夏だといっている。
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くらいでしょうか。「禊ぎ(=みそぎ)」とは6月30日に行われる「夏越しの祓え(=なごしのはらえ)」のこと。現在もこの日に行われますが、ここで気をつけたいのは、当時の暦が旧暦だということ。旧暦6月は今の暦でいうとだいたい8月下旬にあたります。夏も終わりに近づき、そろそろ秋風が吹き始めるころ。「みそぎ」を今の暦に合わせ、夏本番前の行事と思って読むと間違った解釈になるので要注意。
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