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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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手向山(たむけやま)とは、一般的には、旅の安全を祈ってお供え物をする「手向の神」を祀ってある山をさす名前ですが、特定の山の名前となった場合もあります。この和歌でいう「手向山」が、一般的な手向山のことなのか、奈良県東部の手向山神社のある山なのかははっきりしていません。
手向山の紅葉の情景を、色と形で抽象的に表現しました。
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24 菅家(かんけ)
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「菅家」とは「菅原道真(すがわらのみちざね)」のことです。九州の太宰府天満宮に祀られており、学問の神様として有名なこの人物は、平安時代前期(845〜903年)を生きました。菅原家は代々学問の家として有名で、道真は政治家・漢学者・漢詩人・歌人として歴史に名を残しました。努力家で正義感の強い性格だったようで、寝る間を惜しんで学問に明け暮れ、成績優秀で将来を期待されました。嫉妬の渦巻く政治の世界で挫折を味わいつつも、順調に官位を昇り、上皇や天皇にも重用されました。この歌はそんな人生で恵まれた環境にある時期の歌です。
今回の旅は、あまりに急なことなので、旅の安全を祈る神様へのお供え物である幣(ぬさ)を用意する時間のないまま、手向山に来てしまいました。手向山の紅葉の美しさを幣としてお心のままにお受け取りください。
道真は右大臣にまでなりましたが、左大臣の藤原時平(ふじわらのときひら)の陰謀で無実の罪をかけられ、大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されました。失意のうちに亡くなり、政敵の時平一家を祟って次々に死に至らしめ、宮中に雷を落としたといわれます。
雷や災いが降りかからないように祈るのに「くわばら、くわばら」ということがあります。これは、道真が大宰府に左遷された後、菅原家の領地である「桑原」には一度も雷が落ちなかったという言い伝えから始まったとか。
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