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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
夏のお菓子小寝葛
名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで 来るよしもがな 三条右大臣
夏のお菓子 小寝葛
お菓子について
 お菓子の名前「小寝葛」は「さねかずら」と読みます。ここでは歌に詠み込まれた感情を表す意味で「小寝」の字を当ててお菓子の名前としました。この「さねかずら」というのはつる性の植物で、秋になると実(み)が白から赤に変わります。実(さね)が美しい、つる植物(かずら)という意味で「実葛(さねかずら)」と名付けられたようです。つるを手繰り寄せるように、人目を忍んで恋する人に会いたいという願いを詠んだ歌です。
 本来「さねかずら」は秋の季語ですが、それは、秋になる赤い実を連想してのこと。このお菓子では、夏に伸びるつると小さな花を中心に表現したので、夏のお菓子としました。また、逢坂山(おうさかやま)は現在の京都府と滋賀県の国境付近にある山で、昔、関所があったそうです。逢坂山のさねかずらを、抽象的にイメージしたお菓子です。

豆辞典
25 三条右大臣(さんじょううだいじん)
 平安時代前期(873〜932)の人です。京都の三条に邸があり、右大臣にまで昇進したのでこう呼ばれますが、本名は藤原定方(ふじわらのさだかた)。27番の歌の作者とは従兄弟で、44番の歌の作者は定方の息子です。定方の妹が醍醐(だいご)天皇の生母だったので、天皇のおじさんということで、地位的にはある程度恵まれましたが、同時期に摂関家(せっかんけ=代々、摂政や関白になる家)に優秀な兄弟がいたので、政治的には中々思い通りにはならなかったようです。

 さて歌の方ですが、
 逢坂山のさねかづらよ、「逢って寝る」という名前がついているくらいだから、お前の力で、人に知られないで愛しい人のところを訪れるという手段がほしいものだなあ。

と、直接的でちょっとエロティック。(古典が堅苦しいというのは、大きな誤解。下手な小説より、ずっと、きちんと恋愛を描いており、恋する人の胸の内は今も昔も変わらないのだと分かります。)「逢坂」に「逢う」、「さねかづら」に「寝」(「さね」を「小寝」と考える)、「くる」にさねかづらの縁語(えんご)の「繰る」が掛けられていて、技巧を凝らしています。また古語の「来る」には、今の「行く」の意味もあります(余談ですが、九州では今でも「行く」の意味で「来る」と言うこともあるようです)。さねかづらに付けて女性に送った歌だとする説や、逢坂山のさねかづらをおもしろく詠んだ戯(ざ)れ歌だとする説があります。『後撰和歌集(ごせんわかしゅう)』には女性に宛てて詠んだ歌だとして載っていますが、戯れ歌説の方がどちらかというと有力です。
 さねかづらは生垣に利用されることもあるつる性の植物で、茎に含まれる粘液を整髪料として用いることもあったので「美男葛(びなんかづら)」ともいわれます。秋には赤い房状の小さな実をつけます。
 また、逢坂山(おうさかやま)というのは大津市南部にある山です。このあたりは、古来より、東海道から京に入る交通の要所で、関所が設けられたこともあり、歌枕としても有名です。



このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ 小寝葛

和菓子班のホームページ委員長
人物 定岡 宏和
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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