|
|
|
|
|
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
|
|
|
|
|
|
高師の浜は、現在でいうと大阪府高石市あたりの海のようです。このあたりは埋め立てが進み、かつての白砂青松の海岸の面影はないそうです。この浜で有名なのは、風もないのに寄せては引く波の美しさだったのかも知れません。浜に打ち寄せる波を抽象的に表現しました。
|
|
72 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい)
|
漢字ばかりの長い作者名です。男性か女性か分かりにくいかもしれませんが、この作者は女性です。平安後期を生きた人ですが、生まれた年も亡くなった年もはっきりしていません。後朱雀天皇の第一皇女(=天皇の長女)である祐子(ゆうし)内親王(=天皇の娘のこと)に仕えていたので、このような名前で呼ばれました。
この歌は、金葉(きんよう)和歌集という歌集の恋の部にも採られていて、それを見ると、艶書(えんしょ)合わせの時に詠まれた歌だと分かります。艶書合わせというのは、歌合わせのひとつで、左右の組に分かれ、恋文や恋の歌を作って優劣を競う遊びのことです。当時29歳だったとされる男性からの歌の返歌として、70歳くらいだとされる紀伊が作った歌は、
評判の高い高師の浜の大した風もないのにたつ波は、袖もぬれるだろうからかけたくないものです。恋のうわさで評判の高いあなたからのお誘いですもの、物思いの涙で袖をぬらしたくはないですから受けるつもりはありませんわ。
という意味です。
ここでは本気の恋ではありません。しかし、相手の恋の誘いを巧みな和歌の手法を用いながら婉曲に断る詠みぶりは高く評価されています。
|
|
|
|
|
|