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連載コラム 百人一首と和菓子
「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。
秋のお菓子白菊の花
心あてに 折らばや折らむ 初霜の をきまどはせる しら菊の花 凡河内躬恒
秋のお菓子 白菊の花
お菓子について
 この歌は晩秋の季節で白菊の上に霜が降り、菊の花と霜の白さが溶け合うほどの白菊の純白の美しさを歌った歌です。生地はこなしを使い、菊と霜を表現しました。
 秋の野山を彩る野菊、菊は秋を代表する花で、見る人に安らぎを与えます。菊は昔から身近な植物で、日本の文化に関わりが深く、広く人々に親しまれてきました。
 旧暦の9月は晩秋にあたります。奇数は陽の数字とされ、なかでも一の位の最大である「九」が重なる9月9日は陽が重なるのでめでたい日と考えられ、「重陽の節句」または、「菊の節句」と呼ばれて祝いました。中国ではこの日に邪気を祓うため、菊の花を飾り、菊花酒を飲む習慣があり、それが日本に入ってきました。気品のある菊の花の香りは、邪気を祓い、寿命をのばすと考えられていたようです。
 平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中の行事となり、漢詩や和歌を詠んだり、菊の香りを移した酒を飲んだりして邪気を払い、長寿を願いました。
 寒い冬に向かうこの時期に、菊の被綿(きせわた=重陽の節句の前夜にまだつぼみの菊の花に綿をかぶせて菊の香りと夜露をしみこませたもの)で身体を清め、病気の予防も願いました。重陽の節句は、平安時代に書かれた枕草子や紫式部日記の中にも見ることができます。

豆辞典
29 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
 平安時代前期の人です。下級官僚だったためか、生まれた年となくなった年がはっきりしません。でも、歌詠みとしての実力はトップレベルで、『古今和歌集』の選者にもなり、紀貫之とともに古今風を代表する歌人です。政治的な力はなかったようですが、歌の才能は傑出しており、いろいろな人から歌を依頼されています。しかし、現代ではあまり有名でないかもしれません。
 ところで平安時代の人の名前は普通、「ふじわらのみちなが」とか「きのとものり」とか姓と名の間に「の」を入れて読みます。でも、「あしかがたかうじ」とか「くすのきまさしげ」など室町時代の人になると「の」を入れません。鎌倉時代の「みなもとのよりとも」も「の」を入れます。通常、鎌倉時代までは「の」を入れ、室町時代の人になると入れないという慣例があります。

 さて、歌の解釈ですが、
 あて推量で、折るならば、折ってみようか。霜が置いて、辺りは真っ白で花か霜か分からないような状態になっている白菊の花を。
 というほどの意味です。菊の花は今では日本に定着していますが、奈良時代に大陸から伝わったといわれます。そして、白菊と霜を見まがうという発想は、中国の漢詩の影響を受けているようです。今でこそ、菊の花は日本古来の風景と思われている感もありますが、実は、輸入物の風景と発想なのです。ありえない状態を詠んでいると評する意見もあります。でも、想像してみてください。朝日があたってきらきら光る霜と区別がつかないほどの清らかな白菊が存在するとしたら、どんなに美しい光景でしょう。そして、あて推量で白菊を手折ろうとする貴族の優雅な遊び。
 子どものころには良さが分からなくても、大人になったら感動する文学作品があります。躬恒の歌には、ちょうどそういう雰囲気があります。中学や高校で、躬恒は必ずといってよいほど教科書に登場していますが、印象に残りにくいようです。しかし、20代半ばを過ぎた頃から魅力を感じられる大人の感覚の歌だと思えます。



このコラムのレシピ

コラム担当

レシピ 白菊の花

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人物 定岡宏和
辻調の御言持(みことも)ち
人物 重松 麻希
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