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4 山部赤人
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百人一首は時代順に並べられています。4番目というとかなり古い人物です。生まれた年も亡くなった年もはっきりしませんが、奈良時代の歌人です。『万葉集』に長歌と短歌を合わせて50首余りが入っていますが、これ以外に彼がどういう人物であったかを伝える資料がなく、ほとんど不明です。それなのに、詠んだ歌が感動も色褪せず1200年以上経った現代にまで残っている理由は、ひとえに歌の素晴らしさゆえでしょう。『万葉集』によれば、歌を詠むことで宮廷に仕える下級の役人だったようです。駿河の国(静岡県)・下総の国(千葉県)・瀬戸内海などでの歌が残っていますが、これらは公的な旅、いわゆる出張のようなもののようです。
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歌の方ですが、中心は日本人の好きな富士山です。山頂に降る雪の美しさを詠んだものは平安中期以降に多く出てきますが、そういった歌の起源ともいえるものです。
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田子の浦に出て眺めたならば、真っ白な富士の高嶺に今しも雪が降り続いていることよ。
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この歌は、『万葉集』や『新古今和歌集』にも入っています。『万葉集』では、「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」で、こちらが赤人の詠んだ元の形のようです。和歌集によって、多少の表現の違いがあることはしばしばで、どのように変えられたかで、その時代の好みが分かります。元の歌は「真白にぞ」「降りける」というあたり、男性的な力強さが見えます。およそ500年後の『新古今集』や『百人一首』では表現が柔らかく、感情の余韻が後を引きます。歌の内容はこまかくいうと違うのですが、ややこしくなるので省略します。ここでは、雰囲気が違うなぁ。ということだけ分かってもらえたらいいです。
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