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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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しっとりとした浮島生地と、ふんわりとした村雨生地で、黒砂糖の利いた羊羹をはさんだお菓子に、錦玉羹を天盛りにして、滝水の流れを表現し、水草をイメージしたこなし生地を添えました。全体として、涼しげな感じのする夏らしいお菓子に仕上げています。
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55 大納言公任(だいなごんきんとう)
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平安時代(966〜1041)の歌人で、本名は藤原公任(ふじわらのきんとう)といいます。平安時代の最盛期に活躍し、藤原道長(ふじわらのみちなが)とは同い年で、しかも政治的にライバル同士でした。祖父や父が関白太政大臣を経験した人であり、母も天皇の孫と地位が高い上、姉が当時の天皇に入内(じゅだい=天皇に嫁ぐこと)していたことも手伝って、彼の元服(成人式)は、宮中の清涼殿(せいりょうでん)で大変華々しく執り行われました。しばらくは順調に昇進したようですが、姉に天皇の子どもができなかったことと、政敵の道長側から入内した女性達に次々と子どもが生まれたために、天皇の母方の祖父(外祖父=がいそふ)として政治の実権を握るという最高の権力を手に入れることはできませんでした。
しかし、和歌・漢詩など文学的才能は当時のトップクラスで、歌壇での地位は不動のものであり、多くの歌集を編纂し、歌学書もいくつか残しました。一説によると、公任に誉められた歌を錦の袋に納めて家宝とした人がいたほど、彼の存在は絶対的なものだったようです。
歌の意味は、 滝の音は絶えてしまってずいぶん長い時間がたつが、その名声は、流れ伝わって今もなお評判高く鳴り響いていることよ。 というくらいです。
この歌は人間もこのようでありたいという裏の意味があると解釈されることもありますが、公任が亡くなって900年以上になる現代においても、彼の文学的才能は高く評価され、この歌の通り名声は鳴り響いています。 |
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