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「『古典』と『和菓子』だって?もう、いや!」と逃げ出さないでください。想像とおいしさとちょっぴり恋の世界を味わって頂きたいだけですから。百人一首の和歌を読んで私たちなりに解釈し、イメージを膨らませて作ったのがここにご紹介するお菓子です。和菓子の世界には、和歌や物語を元にして想像力を働かせ、作品に表現するという楽しさや遊びがあるのです。このページを通して、日本の良さを見直して頂けたらうれしく思います。 |
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日本には、月の名前がたくさんあります。何も見えない状態の「新月」に始まり、ふくらみはじめて三日目の「三日月」、そして、「十五夜(じゅうごや)」「十六夜(いざよい)」など、月の満ち欠けによって月日を知り、農事を行ってきた日本人は、毎日の月の変化にとても敏感でした。百人一首では、11首もの歌が、「月影」あるいは「雲間の月」を詠んでいます。
今回のお菓子は、葛を使って透明感を出し、瑞々しい仕上がりにしました。
真ん中の黄味餡で「月」を、周囲の黒糖葛生地で「夜」を表現しています。
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57 紫式部(むらさきしきぶ)
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中学・高校の国語や歴史の授業で、一度は耳にしたことのある名前ですね。今から1000年前に『源氏物語(げんじものがたり)』という長編物語を書いた人物として有名です。この時代、源氏物語のように長編で、しかも、質の高い物語は、世界史的に見ても稀であり、日本文学の中でも、最高峰に位置します。流れるような美しい日本語で描かれた貴族の物語は、単なる恋愛の物語と考えられがちですが、登場人物は100人以上を数え、親子・恋人・友人・上司と部下など、現代とさほど変わることのない様々な人間模様が語られ、各々の人物の細かな心理描写に優れており、時代を超えて共感することばかりです。そしてこの物語は、文学だけでなく、後の日本文化に広く影響を及ぼしました。1000年を経た今でも研究内容は尽きず、大学生の卒業論文も合わせれば、毎年、星の数ほどの論文が世に出ていると言っても過言ではないでしょう。
紫式部という人は、藤原為時(ふじわらのためとき)の娘で平安時代中期(973年ごろ〜没年諸説あり)を生きた人です。もとは地位の高い貴族の家柄でしたが、彼女の親の代には地方官僚の地位に落ち着いていました。子どもの頃から学問に抜きん出た才能があり、父親から漢籍の手ほどきを受ける弟を見ていた彼女が、弟よりも早く覚えたという話も残っています。紫式部という名前は、本名ではなく、父親が式部丞(しきぶのじょう)という役職についていたことに由来します。もとは藤式部と呼ばれていたのが、いつの頃からか、紫式部になったようです。親子ほども年の離れた藤原宣孝(ふじわらののぶたか)と結婚し、女子(大弐三位=だいにのさんみ。58番の歌の作者)を1人もうけますが、結婚後3年ほどで夫が亡くなり、藤原道長(ふじわらのみちなが)の娘、彰子(しょうし)に教育係として仕え、『源氏物語』を書きました。
さて、歌の方ですが、
一見、恋の歌のようにも感じますが、同じ歌が『新古今和歌集』『紫式部集』にも入っていて、それを見れば、歌の相手は久しぶりに会った幼なじみの女性だと分かります。
めぐり逢って、自分が見たのは月(幼なじみ)かどうかも分からないうちに、あわただしく姿を隠してしまったことよ。
今と違って女性の行動にかなりの制約のあった平安時代、久しぶりに会った友人とは、積もる話もあったのでしょう。しかし、出たかと思ったらすぐに隠れてしまう月のように、慌しい再会だったのですね。紫式部は、物語作者としては傑出した才能がありましたが、和歌の方は、一般的な詠みぶりであったと言われます。さて、あなたはどう思いますか。 |
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