今をときめく東京、六本木ヒルズを横に見て西麻布のほうへ進むと、西洋館のようなレストラン『ル・ブルギニオン』が現れます。「ブルゴーニュ地方の人」という意味の店名のついたこの店のオーナーシェフ菊地美升氏は、フランスのブルゴーニュに惚れ込んだ料理人です。辻調理師専門学校卒業後、都内の有名フランス料理店で勤務の後、フランスにわたり数軒のレストランで修行、帰国後、2000年に『ル・ブルギニオン』を開店しました。菊地シェフの特徴はその謙虚さと勉強熱心さ。今でも毎夏の短い休暇にはフランスのレストランで短期の研修を続けています。シェフの作り出す料理もやはり謙虚で、温かく、そしてしっかりとしたものです。しかも、大のワイン好き。菊地シェフは今回のテーマでどういう“出会い”を創り出すでしょうか。 |
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主人公
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1.プイイ=フュイッセ“レ・クラ” 1992(シャトー・ド・ボールガール )
2.ボーヌ・プルミエ・クリュ“トゥーサン” 1986(ドメーヌ・アルベール・モロ) |
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出会いを演出する人
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東京・西麻布『ル・ブルギニオン』 オーナーシェフ 菊池美升
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出会った料理
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アミューズ・ブーシュ:チーズ風味のシュー、豚肉のクリーム煮とパセリを添えたもの
毛ガニと茄子とアヴォカドのミルフィーユ仕立て
セップ茸のヴルーテ、ブレス産鶏肉とお米のオニオン・ファルシ
ウナギとフォワグラのテリーヌのパネ、リゾット添え
真鴨とフォワグラのパイ包み、トリュフ風味のソース |
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『今日は何飲む?』野次馬隊
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Y:本業は某広告制作会社のクリエイティヴ・ディレクター。日本ペンクラブ会員。ワイン関係の著作も多く、クラッシック音楽への造詣も深い。著作に『今日からちょっとワイン通』『現代ワインの挑戦者たち』『そこまで聞くの?ワインの話』等がある。
KK:辻調グループ校西洋料理教授:優しそうな表情にだまされていけません。その授業の厳しさには定評がある。現在、「どっちの料理ショー」で活躍中。フランスでは伝説の名店「ピラミッド」等で研修。
M:才能豊かな女性。辻調グループ校のスタッフのひとり。いろいろな仕掛けを企む人。食べることと飲むこととヴィオラを演奏することをこよなく愛する。とりわけ飲むことは・・・
S:男性。どちらかというと晩熟型(悪く言えば進化が遅い)。趣味はアイロンがけと靴磨き。このコラムの担当者。大の猫好き。 |
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Y:今回は、ちょっと意地悪なテーマを設定しました。なにしろお店の名前が「ル・ブルギニオン」ですから、やっぱりブルゴーニュワインを選びたい。でも、ブルゴーニュの料理に、ただブルゴーニュワインをぶつけただけでは、おいしくマッチするのが当然で、それでは、面白くもなんともない訳です。そこで、考えたのが、「熟成のピーク、あるいはピークをちょっと過ぎたくらいのワインを白・赤1本ずつ選んで、それに合う料理をつくってください」というテーマです。枯れかけたワイン――特にブルゴーニュワインは、風味が非常に繊細になっているので、料理に合わせるのが、とても難しいんですよ。という訳で、最初の興味は、はたしてどんなワインを選んできたのか、ということになります。
サーヴィス:まず白ワインがこちらシャトー・ド・ボールガールの’92年です。
Y:プイイ=フュイッセの...レ・クラLes Crasですか。
サーヴィス:はい。そして、赤がアルベール・モロのボーヌ・トゥーサン’86年です。お料理とどう合わせるかですが、最初シェフも、3品目の魚料理を白でいくか赤でいくか「どうしようかな?」と悩んでいたのですが、魚は完全に赤に合うように仕立てるということで、魚料理から赤で、最初の2品を白に合わせていただこうと考えています。
Y:やはりそうですよね。ウナギとこの白とでは少し厳しいかなと思っていた所です。
S:’92年のプイイ=フュイッセってどうなんですか?
Y:まずシャトー・ド・ボールガールというのは、中堅どころの、安定して良いお酒をつくっている比較的大手の生産者です。20年ぐらい前の日本では、まだ小さなドメーヌものなどは紹介されていませんでしたから、その頃にプイイ=フュイッセといえば、イコール「シャトー・ド・ボールガール」という感じでした。そういう意味ではプイイ=フュイッセの代表格というか、安心して飲める醸造元です。‘92年はボルドーで収穫期にたくさん雨が降ってしまったために、悪い年というイメージが強いのですが、これは、今だにボルドーが悪いとブルゴーニュまでひきずりおろされるという傾向が残っているためで、実はブルゴーニュはそんなに悪くありません。ただ、8月、9月とすごく暑い天候が続いたので、このワインも、白にとっては大切な酸味が、多少落ちてしまっている可能性はあります。
S:ヒュー・ジョンソンの「ポケット・ワイン・ブック」では‘92年はよい年になっていました。
Y:すごく実が熟した年ですね。ただそれが、長期の熟成にとってプラスになるかマイナスになるかというのが、白の場合はむずかしいところがあって、そういう微妙なワインを選ばれたというのはとても面白いチョイスだなと思います。
サーヴィス:色をご覧いただくとわかると思いますが、試飲で1本抜きましたときには「大丈夫かな?」という色合いでした。
Y:ちなみに樽に関してはほとんど新樽は使わないところですから、使ってもせいぜい1割ぐらいですし、6ヶ月ほどしか樽に寝かせていないと思いますので、樽の影響はそれほど強くはないはずです。ですから、もしそんなに色が濃いのだとしたら、その色合いは熟成によって出てきているものですね。
S:先日観たワイン・マーケットに関する映画でも描いていましたけれど、最近は新樽の使用が多いのですね。特にワイン・コンサルタントのミシェル・ロランなどは新樽の使用を強調しています。
Y:ロランは新樽の香りで風味づけをするのが好きですね。
S:新樽を用いるとヴァニラの香りなどが出せるのですか?
Y:そうです。それに樽の内側を軽く焦がすと、チョコレートに似たような甘い香りが出てきます。そういう香りと、彼の故郷で用いているメルロ系のやわらかな果実の膨らみとを合わせると、パッと口に含んだ瞬間に「おっグラマラスなワインだ」って思うわけです(笑)。
S:少し話がそれますが、このミシェル・ロランという人物はどうやってあれほどのワイン・コンサルタントになったのですか?
Y:ロランはもともとボルドー・ポムロール地区の小さなシャトーの息子ですよね。
S:ロバート・パーカーとは仲がいいですよね。
Y:パーカーとは仲いいですね。いわゆる「パーカー・タイプ」のワインは「ロラン・タイプ」と言っていいくらいで、赤に関しては一心同体みたいな感じです。パーカーの名声が上がるのと一緒に、ロランの名声も上がってきたといってもいいかもしれません。
S:パーカーの高い評価を得る方向でワインを作っていくという作り手もいるようですけれど、パーカーの評価がそれほど売り上げを左右するのですか?
Y:売り上げはもちろんですけど、それ以上に価格が変わるんです。僕はそれは馬鹿げた話だとは思いますけれど、とはいえそれを買うお客さんがそれだけいるのだったら、好きな人に好きなものをあげて何が悪いってことになりますよね。いやな人はそれを買わなければよいだけであって、何の問題もないと言えば言えないこともありません。
S:でも不思議です。
Y:ただひとつ問題があるとすれば「技【わざ】」というものには運べる「技術」と運べない「技」の二種類があると思うんです。ある土地と密接にくっついている「技」と、文明的に何処で誰がやっても成功するよっていう、いわゆる「科学的な技術」とは別なもので、もちろん「技」を科学的に分析していけばある程度解明を与えてくれるでしょうけれど、いくら解明したところで、特別な土地がなければ、せっかくのその「技」も生かせませんからね。もちろん、「文明」の世界でも美味しいものはできるけれど、それがあまりに力を持ちすぎて、「技の文化」をぶち壊しにするようでは、やっぱり困る。ロランのやっているのはどちらかというとそういうものですよね。
<白ワインがサーヴィスされる>
Y:色、けっこう薄いじゃないですか。ボトル差ですかね?
サーヴィス:そうですね。これぐらいの年代になるとボトル差はありますね。前回開けたものよりも若々しい色です。ちょっとびっくりしました。
<味わって>
Y:うん、面白いですね。
M:面白い。
KK:どう面白いですか?
Y:繊細な古酒の感じがする。酸はもともとおだやかですね。そしてぎりぎり酸化が始まっているかってところですね(笑)。
サーヴィス:そうですね。
Y:そのぎりぎりのところがなかなか。
サーヴィス:逆にこの色からは想像しがたい熟成感は感じられると思うんです。
Y:これ以上いくとシェリーの香りになってしまいますね。
KK:フルーティーな香りがほとんど感じられないのは熟成しているからですかね?
Y:それもあります。もともとプイイ=フュイッセはそれほど力のある酒ではないんです。若いうちは熟した果実の香りがいっぱい出ますけど、そういう香りは、あまり長くはもちません。やはりシャルドネの中では南のほうで作られるので、本質的には穏やかで膨らみのあるタイプのお酒になりますね。
S:これ以上の熟成は?
Y:もうぎりぎりです。「これはもう終わっている」という人もいるでしょうね。先ほどの話のロバート・パーカーなら確実に「終わっているワイン」ということになるでしょうね。ですから、このワインにどういう料理を合わせてくるかは、興味津々です。艶を引き出すか、あるいはこの枯れ味を強調してくるかのどちらかでしょうが、どちらにしても面白そうです。
S:どう化けるかですね?
Y:そうです。ただどちらにしても非常に難しいと思いますよ。最初の料理は、毛ガニとアヴォカドですよね。
M:それにバルサミコ酢。ところで、このワインは少し大人な感じがしますね。
Y:日本酒の古酒にも少し通じるものがあるでしょ。
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● アミューズ・ブーシュ:チーズ風味のシュー、豚肉のクリーム煮とパセリを添えたもの |
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Y:このワイン、もしかしたらこのグラスじゃないほうが美味しいかも知れない。もう少し小さめのグラスを用意していただいてもいいですか?
サーヴィス:かしこまりました。
S:それは空気との触れ合いを小さくするということですか?
Y:いや、そうではなくて、ブルゴーニュの白ワインはバルーン型の大きいグラスに入れると味がぼけてしまうことがあるんですよ。
S:白ワイン全般ですか?
Y:特にブルゴーニュの白ですね。
<グラスが替えられる>
Y:ちょっと試してみますね。(飲んで)うん、やはりこちらのほうが味が締まります。
サーヴィス:ではこちらのグラスで。
Y:水っぽさが少しおさまって、味の真ん中に少し硬さが出てきました。
M:そう言われれば、そんな気が...でも、こういう発想にはなかなか至らないですね。
Y:でも、確実に締まったでしょ。ただ人にもよりますね。味が締まった分、先ほどよりも辛味を感じますでしょ。僕はそれがこのワインの特性だと思うのですが、そうじゃなくて逆にふんわり広がっているとほうがいいという人もいるわけでね(笑)。
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● 毛ガニと茄子とアヴォカドのミルフィーユ仕立て |
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S:これは毛ガニと?
サーヴィス:毛ガニとアヴォカドです。それと茄子をミルフィーユ仕立てにしてあります。茄子は一度素揚げにしてあります。
Y:このソースは?
サーヴィス:ヴィンサント・ヴィネガーです。非常にシャープな酸味のあるヴィネガーです。そこに刻んだハーブと、アクセントにドライ・トマトです。
Y:これはよい相性ですね。うまく合わせてきました。ワインの風味がものすごく優しく、しかも艶やかに広がります。料理の酸味が、もともと弱めなワインの酸をさらに抑えて、このワインに含まれる酸以外の風味を際立たせています。これはすごく考え抜いた合わせ方なんでしょうね。
S:この毛ガニはどういう風に調理しているのでしょうね?
KK:蒸すか、茹でるかして、ほぐして、ですね。
Y:すごく伸びやかになりましたね。さっきまで枯れていたのが嘘みたいな感じでしょ。
M:ほんとうに。料理がワインにそういう力を与えることができる。
Y:なんか年齢を重ねた爺さんがきれいな女性を前にシャキッとしたような(笑)。
S:料理もおいしいです。
M:何がこれほど合うのでしょうね。
S:酸味ですか?
Y:もちろん。でも、アヴォカドの脂味とか、カニの風味もありますしね。全てでしょ。似通った風味を探したのではなくて、むしろ逆の風味をぶつけていますよね。
S:このヴィンサント・ヴィネガーって美味しいですね。
M:うん、おいしい。
Y:非常に鋭い酸ですけれどね。この相性は抜群ですね。
サーヴィス:ありがとうございます。シェフももちろんワインをテイスティングしていますので、最初の構想とは少し変わりまして、当初はバルサミコ・ヴィネガーを用いるつもりだったのですが、少しニュアンスを変えて、このヴィネガーを用いたということです。
Y:そうですか。このヴィネガーによってこのワインのぼやけた部分の風味がすべて伸びてきたんですよね。
サーヴィス:ワインの輪郭がよりはっきりしたと思います。
Y:ヴィンサント・ヴィネガーって少し酸化香があるんですよ。それでこのワインの酸化香が消えてしまうんです。
S:それはぶつけて、ということですね。
Y:そうです。このワインに少し酸化香があるのでそれを消したかったという意図もあると思います。非常に計算していますね、これは。このワインの欠点をきれいに消して、よいところだけを引っ張り出してきていますからね。
KK:酸味のものとワインはあまり合わないってずっと聞いていたもので、それはなんだったのかなって感じですね。
S:そうですね。フランスでもよく「ヴィネガー・ドレッシングに合うワインはない」って断定的に言われることが多いですね。
Y:確かに以前はそういう風に言われていましたよね。かつてはそういった公式がたくさんありました。卵とワインは合わないとか、ね。
S:実はそんなことはない?
Y:そんなことはないですよね。かつての卵は質が悪かったのかも知れない(笑)。
S:じゃあ、ヴィネガー・ドレッシングでも合うということですね。
Y:もちろんワインを選ぶことは必要です。酸がすごく魅力的でその酸の美味しさで飲むようなワインにヴィネガー・ドレッシングなどを合わせてしまうと、その酸を打ち消してしまうのでやめたほうがいいと思いますけど、今日のこのワインの魅力はそれではないじゃないですか。むしろ後ろ側に隠れていた本来の果実味とか、膨らみとか、艶とかいうものを逆に引き出してくれる。料理がなくなってこのワイン単独になると元の枯れた風味に戻りますよね。
M:さっき言っていた辛味のようなものも料理を食べてからだと感じられませんから。
Y:やはりアヴォカドのクリーミーな風味がしっかりと覆ってくれるのでしょうね。
M:今回はワインもシェフが選ばれたのですよね?
Y:そうです。こういう枯れかけたブルゴーニュと料理を合わせるというのは、それだけでも相当意地悪なテーマなんで、せめてワイン選びくらいはおまかせしました(笑)。今は参りました、って感じがしています(笑)。
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● セップ茸のヴルーテ、ブレス産鶏肉とお米のオニオン・ファルシ
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サーヴィス:このソースはセップ茸のヴルーテ・ソースです。こちらがセップ茸、イタリアでいうポルチーニ茸です。タマネギの中にもブレス産の鶏肉と、ポシェしてクリームで炊き上げたお米が入っています。
M:優しい味の料理ですね。見かけよりずっと優しい。
S:またワインの風味が変わった。
M:ねぇ!
Y:なんか男性的になりましたね。さきほどは酸を抑えて果実味を前に出していましたけれど、今回は逆にこのクリーミーな感じの料理でその酸を前に出してきています。なのに酸化香は消えてしまう。これはクリームのせいなのかな?
S:いかがですか?
KK:ワインが少し苦く感じます。
Y:そう、それは僕が男性的になったと表現した部分だと思います。先ほど少し言いましたけれど、このワインには二つの合わせ方があって、一つは枯れ味のほうを強く出していくのと、もう一つはそれを殺してまだ残っている若さのような風味を前に出していくという方法です。先の料理はまさにその後者のほうで、艶を出しました。この料理では前者、すなわち枯れ味を強調しています。枯れ味の中にある意外な強さ、ひねた酸味、あるいは仰ったような軽い苦味などを前に出すようにしている。このワインにこの2品の料理で合わせてきたというのは相当計算しています。
サーヴィス:シェフの狙いとしては、まさにそうなんです。
Y:非常に考え抜いた合わせ方ですね。これはちょっとびっくりしました。
M:今まででも、ここまでコラムの企画意図ぴったりにつくってくれたことはなかったですね。
Y:意地悪なテーマだっただけに、相当チャレンジしようとお考えになったんじゃないですか。
S:料理のコメントとしてはいかがですか?
KK:セップの香りがもう少し強くてもよいかな、と。
S:もう少し塩味が強ければどうでしょう?個人的な好みですがヴルーテにもう少し塩味が欲しいかな、と。
Y:もしかするとワインを相当意識しているのかな、と僕は思うんです。もし、塩味を強くしてしまうとこの絶妙さは出てこない。他のニュアンスが立ってくるかも知れないですよね。
S:なるほど。後ほどシェフに聞いてみましょうか。
Y:聞いてみてもいいかも知れませんね。今のこの料理の状態はワインにとっては抜群ですから。ま、確かにセップの香りは弱いので、これで塩味を強くしてしまうとさらに香りが死ぬということはありませんか?
KK:それはあると思います。
Y:やはりそれも生かしたかったということもあるのでしょうね。
S:これで2品の料理が出されました。結論としてこの出会いはよかった?
Y:このワインには合わせ方は2種類しかないって言いましたけれど、実にその通りの方法で、ただし予想以上に見事な解答を楽しませていただきました。素晴らしかったです。
前編は完全なストライクでした。かつてなかったほどの計算された“出会い”を作り上げました。一品で「ぎりぎり」まで枯れたプイイ=フュイッセのわずかに残り隠された「艶」を引き出し、もう一品でその枯れた風味の最良の部分を引き出しました。これは後編の二品と赤ワインの演出が待ち遠しいほど楽しみになります
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出会いの舞台
ル・ブルギニオン
〒106-0031
東京都港区西麻布3-3-1
Tel.03-5772-6244
Fax 03-5772-6344
営業時間: |
11:30〜13:30
L.O. |
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18:00〜21:30 L.O. |
定休日: 水曜日 |
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