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辻調グループ校には、フランス・リヨン近郊にフランス料理とお菓子を学ぶフランス校があります。そこに勤務している職員が、旅行者とはまた違った視点から、ヨーロッパの日常生活をお届けします。 |
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その町はパリから南西に約90キロ行ったところにある。町の名前としてよりも、お菓子の名前としてのほうが明らかに有名なこの町の名は、ピティヴィエ。私はもちろんピティヴィエを食べにやってきたのである。
すらりとした教会を持つ町に入ると早速パティスリーを探す。しかし町のあちらこちらで区画整理の工事中のため、足元は土むき出し、石がゴロゴロ…歩きづらい。観光案内所にはパティスリーの住所の載ったパンフレットまである。さすがピティヴィエだね。 |
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パンフレットの中のひとつ、『メゾン・ド・ピティヴィエ』と呼ばれるブーランジュリー・パティスリーへと向かう。店の外壁には3つのピティヴィエの絵が。扉を開けると、小麦粉の焼ける香ばしい香りと、バターやアーモンドのリッチな香りに包まれる。そんな香りに惹かれてか、お客さんがコンスタントに来店する。店の中にオーブンがあり、客は焼きたてのパンやピティヴィエなどを買っているようだ。私の来訪時もオーブンの中には何かピティヴィエらしきものが…! マダムに聞いてみると「あれはガレットといって、クリームのはいってないピティヴィエよ。要はパイ生地だけなのよ、でもあれが好きって言う人も結構いるの。」
では本来のピティヴィエとは? 実はピティヴィエは大きく分けて2種類あるのだ。
まずひとつは、『ピティヴィエ・フイユテ』と呼ばれ、薄く延ばしたパート・フイユテ(パイ生地)の上にクレーム・ダマンド(アーモンドクリーム)かクレーム・フランジパーヌ(アーモンドクリームとカスタードクリームをあわせたもの)をまるく広げ、その上に更に延ばしたパート・フイユテをかぶせてぴっちり包み込んで、表面にレイエと呼ばれる切込みを入れて焼いたもの。一般的にピティヴィエといえばこのピティヴィエ・フイユテを指すことがほとんど。
もうひとつは『ピティヴィエ・フォンダン』。アーモンドたっぷりのリッチなバター生地に糖衣がけしてかざったもの。フォンダンとは口どけの良い菓子を指す。
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見た目も作り方も全く異なる二種類のケーキになぜ同じ名前がついているのか? 聞けば理由はごくごく単純。「どちらもピティヴィエの町のスペシャリテだからよ。」
ピティヴィエ・フォンダンはフイユテよりも歴史が古い。中世ゴール時代にピティヴィエの町では最良質の細かい小麦粉ができることで有名であった。ローマ皇帝がフランスを侵略した時、イタリアでたくさん採れていたアーモンドをピティヴィエの小麦粉と交換するように要求してきた。そこでピティヴィエの人々は今まで作っていたガレットやフアス(どちらも小麦粉や卵で作った発酵しない平べったい菓子)にアーモンドを加えて作るようになった。小麦粉を挽いていた水車でアーモンドも挽いたので、細かい上質なアーモンドプードルが手に入った。これがピティヴィエ・フォンダンの始まり。(しかし当時は糖衣がけはされていなかった。)
ではピティヴィエ・フイユテのパート・フイユテの起源はというと・・・これは諸説さまざま言われており、ここに挙げるのはその一部である。
17世紀にクロード・ジュレという画家がおり、若い頃、菓子職人の見習いとして働いていた。ある時、菓子を作ろうとしてバターを入れ忘れてしまったので、あわてて後からバターを包み込み、折り込んでいったとか。こんな風に各地で16〜17世紀にはパイ生地が作られ始めていったそうだがあまり普及せず、それを完成させたのが偉大な菓子職人アントナン・カレームだとか、18世紀コンデ公のおかかえ菓子職人だったフイエFeuilletだとかいわれ、フイエの名からパート・フイユテpate feuilleteeの名がついたともいわれている。そしてフイエがその生地の真ん中にピティヴィエ・フォンダンを置き、まわりをつまんで接着し焼いたのがピティヴィエ・フイユテの始まり。
さらにフイユテ表面に施されている模様についてはこんなエピソードがあった。16世紀フランス王シャルル9世はピティヴィエの町の近くで強盗団に捕えられてしまった。しかし王であることがわかると、彼らはあるパテを王に食べさせた。王はそのおいしさに感激し、釈放されると、ピティヴィエの町の職人に王家御用達の特権を与えた。そしてその職人はそのパテの表面に、王の馬車の車輪をまねた筋をつけるようになった。それがあのピティヴィエ・フイユテの模様。
ただ、この時代にはパイ生地がまだ出来ていなかったので、おそらく粉を練って作ったものの表面に車輪の模様をつけたのだろう。そして18世紀にフイエがパイ生地でフォンダンを包み込んだ時にもその模様は引き継がれ、いつの頃からかこうして中身はアーモンドクリーム、周りはサクサクのパイ生地、表面には車輪の模様が付けられるようになった。
さて、このレイエと呼ばれるピティヴィエ・フイユテの表面の切り込みは、火の通りを均一にし、なおかつ焼いたときに生地がいびつにならないようにいれられる。またデコレーションをしない分、くっきりと模様を出すのが職人の腕の見せ所だと興奮気味にピティヴィエの店のご主人はおっしゃっていた。実際にフランス校の製菓シェフ、メンディ先生がMOF(フランスの最高の職人に与えられる大変名誉な称号)の試験を受けられたときにも、ピティヴィエ・フイユテが課題だったそう。クラシックな生地とクリームの組み合わせだけに、作り手の技術がそのまま出てしまう菓子なのだ。
1月にはフランス中でガレット・デ・ロワという、ピティヴィエ・フイユテに似たケーキが出回る。これはキリスト教のエピファニー(公現祭)の行事菓子で、クリームの量や表面の模様が多少し違ったりするが、ほぼピティヴィエと同じ。唯一大きく違っているのがフェーヴと呼ばれる陶器製のマスコットが中に隠されていること。自分のポーションにフェーヴが入っていた人がその日1日王様になれる(もちろん仲間うちで)というめでたい菓子。皆が集まると新年の運試し(おみくじ)のようにガレット・デ・ロワ(王様のガレット)を食べる。全国で売っているというのに、このピティヴィエには毎年100キロ以上も遠く離れた街からも客が来るという。
そんなピティヴィエを2件のお店から買って帰った。箱を開けると1枚の紙が両方から出てきた。『180度のオーブンで少し温めると更においしく召し上がれますよ』。フランスにしてはえらい親切だなあ、と思いながら、オーブンにピティヴィエ・フイユテをいれる。ほんのりとあったかいそれらは店によって全然味も食感も違った。
ひとつはサクサクとした厚めの生地に水分の多いリッチなクレーム・フランジパーヌ。前述したような標準的な作り方。
もう一店のほうは、薄めのパイ生地にしっとりふわっとしたガルニチュール(詰め物)。こちらはあらかじめピティヴィエ・フォンダンを作っておき、それをパイ生地で包み込んでレイエして焼くそう。
ピティヴィエ・フォンダンは全体が糖衣掛けされているので、香りもしっとりさもキープされていて味わい深いし、フォンダンの名の通りの口どけのよさ。
お店によって使用するアーモンドがペースト状か粉末状かで、見た目は近いが、食べると全然違ってほんとうに面白い。
こんな素朴だけど奥深いおいしいお菓子に出会えたとき、フランスにいる喜びをつくづく感じ、またそんなお菓子たちに出会えることを心待ちにしてしまう。
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