ルイ14世には「肉を貪り食っていそうな人」というような偏見を抱いていた私は驚き、ほかでも情報を探すと、「自分の食べたい野菜や果物を食卓に出せるように、有能な園芸家ジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニを雇い菜園を作らせた」とのこと。「太陽王」と呼ばれ、当時、権力をほしいままにしていたルイ14世のつくった菜園は、9ヘクタールもの広さがあります。それが今でもほぼ当時の形のまま残されているとのことなので、少しでも当時にタイムスリップできるかとヴェルサイユ宮殿の隣にあるその菜園を訪れてみました。
私が訪れたのは夏休みでした。まず道に迷い、ヴェルサイユ宮殿そのものにたどり着いてしまうと、そこには人・人・人。インフォメーションセンターで「ポタジェ・デュ・ロワPOTAGER DU ROI(王の菜園)はどこですか」ときくのにもかなり待たされ、暑い中、早くもぐったりしてしまいましたが、ちょっと歩いて菜園に到着するととても静か、そこには人などほとんどいませんでした。「ここってみんなそんなに興味ないところなのかなあ」と思いながら入場券を購入しようと中に入ると、受付(というか簡易テーブルがあるだけ)のおじさんも「わ、人が来た」というような驚いた反応。しかし無愛想というわけではなく親切な方でした。頼めば土日にはガイドがついて案内してくれるようでしたが、この日は残念ながら平日だったので自分なりに見学してみました(団体だと平日でもガイドを頼めるようで、この日も団体客がガイド付きで見学していました)。
ラ・カンティニ像
菜園に入ってすぐに見える銅像はルイ14世のものではなく、ルイ14世の意向に従ってこの菜園を造ったジャン=バティスト・ド・ラ・カンティニのものです。この人は元々法律家でしたが、イタリアを旅行した際にイタリア庭園の魅力に取り付かれ、その後、園芸を深く学ぶことになります。元々才能があったのでしょうか、色々なところで庭師としての名を上げ、その名はルイ14世の耳にも入りました。王の食べたい野菜や果物を、食べたい時期に収穫できる菜園を造ることを任されたラ・カンティニは、あらゆる技術を駆使し(小規模の温室栽培や厩肥を使用等)、菜園を造り上げました。そこではそんな時代から冬にアスパラガスやイチゴを食べることができたようです。ラ・カンティニはこの成功により、農学者の第一人者として後世に名を残し、1687年にはルイ14世により貴族の位が与えられました。
9ヘクタールの菜園は噴水を中心にきっちりと区画されており、当時では珍しい温室の跡(今は使われてない)や、ルイ14世がもっとも好んだ果物といわれるイチジク園の跡(こちらも今はイチジクは育てられていない)など、当時の雰囲気を残すものや、今現在も野菜や果物が育てられている区画(菜園のほとんど)などで構成されています。
こちらの菜園は現在、国立庭園高等学校l'Ecole nationale superieure du paysageが菜園の管理と栽培を行っており、学校の生徒が作っている畑や学校が品種改良研究を行っている畑のある区画もありました。菜園ができた当時から形をある程度保って栽培されている作物、現在研究・開発されている作物をあわせ、ここで栽培されている野菜は約50種類、果物は約300種類にのぼります。
野菜のエリアから訪ねました。ウリ科の作物が栽培されているエリアは「今の見所」にも示されていたのでそこへ行ってみるとカボチャ、キュウリ、ズッキーニや、トマト、ナスなども栽培されていました。それぞれの種類の数も相当なものです。「昔の野菜」というエリアには、現在ほとんど食べる機会のない野菜が育てられています。近年、昔の野菜を料理に復活させる風潮がありますが(ルタバガrutabagaというスウェーデンカブやトピナンブールtopinambourというキクイモなどがよく見られる)、ここにあるものはめったに見られなくなったものです。ぱっと見た感じ、現在の野菜とあまりかわらないのですが(カボチャや葉菜など)味が違ったりするようです。