Vol.1『Toshi Yoroizuka』オーナーシェフ 鎧塚俊彦
2010年12月10日 by suyama
時代を走り続けるシェフたちが作りだすものは料理や菓子だけではありません。
人をつくり、店をつくり、自分自身をつくり、何より、この世界そのものを創り出しています。
2010年度の「シェフズインタビュー」はジャンルを超えて料理、菓子の話はもちろん、
一人の”創る人”として、シェフの素顔に迫ります。
第3回目ゲスト 『TOSHI YOROIZUKA』 オーナーシェフ 鎧塚俊彦
インタビュアー:辻調グループ校 校長・理事長 辻芳樹
【鎧塚俊彦氏プロフィール】
1965年京都生まれ。辻製菓専門学校卒業後、守口プリンスホテル、神戸ベイシェラトンホテル&タワーズ勤務の後、渡欧。スイス、オーストリア、フランス、ベルギーで8年間の修行を積み、2000年のパリのコンクール“INTERSUC 2000 Paris”で優勝。同年、ベルギーの三つ星レストランで日本人で初めてのシェフ・パティシエとなる。
2002年に帰国。2004年東京、恵比寿に自店『Toshi Yoroizuka』をオープン。2店舗目となる東京ミッドタウン店はお客さまとの距離を縮めたバーのようなカウンターで自ら腕を振るっている。
■Toshi Yoroizuka『』六本木ミッドタウン店■
辻:今日は600人近い学生の参加です。今までのシェフズインタビューの中で最高の人数ですね。今まではパティシエの辻口さんが500人強で、最高動員数でしたけれど記録を塗り替えました。
鎧塚:辻口さんとは仲よくさせていただいているので言っておきます。「また、来る」って言われますよ。
辻:ありがとうございます。実は先日、六本木ミッドタウンのほうの店に行かせていただきました。男ひとりで3時半ぐらい出かけて行ったんですが女性のスタッフが「お一人ですか?6時半にお越しください」と言われて別のコーヒー店で何杯もコーヒーを飲んで待ってから行きました。いい経験をさせていただきました。
鎧塚:申し訳ありません。予約は受け付けていなくて、恵比寿店の時代は待っていただくことにしていたのですが、待ち時間が数時間に及ぶこともあったんです。
ミッドタウンだと美術館もあるし、たくさんの店もあるのでディズニーランドの方式で、何時に戻って来てくださいとご案内させていただくシステムにしています。店の外で何時間も待っていただくと「申し訳ないな」と思って作るほうにとてもプレッシャーになるんです。
辻:ぜひ、学生さんたちも行っていただきたいですね。従業員の方々がツンツンしていなくて笑顔で迎えてくださって、皆さんほんとうに気持ちよくプライドを持って仕事をされている印象ですね。
鎧塚:それはずぅっとスタッフに言い続けていることですね。ミッドタウンの店は場所柄もあって、少しクールなスタイリッシュな店になっています。それで一見お高くとまっているのかなと思いきやとてもフレンドリーな接客で、値段も安くて、美味しくてというところがいいのかな、と。その反対にもし、お客さまの想像するとおりクールでスタイリッシュな店そのままの接客ではまったく面白くないじゃないですか。ですからそのことは常に言っているわけです。ちなみに僕自身もレジに立ちますよ。
辻:いつも外から見ていたことはあるんですよ。店内には入らずに鎧塚さんのことをこう見ていたことはあるんですよ。いや、ストーカーじゃないですよ(笑)。そしたら鎧塚さん自身がキャッシャーでお客さまに代金をいただいて、お見送りまで
されている姿を何度か目にしたことはあります。
鎧塚:基本的に僕は作っているので、常にということではありませんが、やはりシェフは全てを見なければならないと思っています。シェフがレジをするのはいかがなものか、とも思うのですが、キャッシャー前にお客様が並ばれているのを見過ごすこともできませんし、スタッフの動きも見る必要がありますのでついついやりますね。
■生い立ちからパティシエを志すまで■
辻:お店の話はまた後でゆっくりと話していただくとして、まずは生い立ちからお話していただきたいと思います。
お生まれは?
鎧塚:京都です。
辻:何年ですか?
鎧塚:昭和40年、1965年ですね。
辻:僕とひとつしか違わないんですか?
鎧塚:えっっ!ほんとですか?
辻:なんでそこでそんなに驚くのですか?(笑)失礼な(笑)
鎧塚:えっーほんとですか。僕は大先輩だと思っていました。
辻:すごく若く見えますよね。あまり苦労を苦労と感じない性質ですか?
鎧塚:そうですね。
辻:京都ですか?
鎧塚:京都です。
辻:関西弁はあまり出ませんね?
鎧塚:少しは出ますけれどあまり出ないですね。ヨーロッパに8年いましたし、その後は東京ですし、ずいぶん関西弁は薄れたかも知れません。
辻:職人のご家族だったんですね?
鎧塚:そうです。祖父が長く寝込んだので「鎧塚」の工房というものはなくなったんですけれど。
辻:何を作ってらっしゃったですか?
鎧塚:手彫りの家具職人です。祖父は頑固な職人でしたし、健康保険も入っていないし、長く寝込んでいたので「鎧塚」の工房はつぶれてしまって、父親は僕がもの心ついたときには雇われの家具職人でした。でも、確かに職人の家系でした。今でも兄は造園の職人です。
辻:手でものを作るという感性が繋がっているんですね。子供の頃は将来何になりたかったのですか?
鎧塚:僕はずっと食べ物が好きだったですね。父は外食などいっさいしない人で、必ず家で食事をする人だったので、フランス料理のフルコースとかはTVの「料理天国」などでしか目にしたことがなかったんです。それにああいう料理は大会社の社長さんとかしか食べれないだろう、だから僕などの口に入ることはないだろうって思っていたんです。だったらこういう料理を作る側になるしかないな、と思ったのが根本ですね。本当は自分が食べたかったんですよ。
辻:「料理天国」という番組の視聴者は「食べたい」という人と「作りたい」という人に分かれたんですね。
鎧塚:僕は出来ることなら食べたかったです。
辻:で、料理人になろうと思われた?
鎧塚:そうです。もともと料理人になろうと思っていたのですが、高校を卒業して、少し別の道に行ったんです。でもその間もずっと料理をやりたいと思う気持ちは持っていました。で、23歳のときに食の世界に戻りたいと思って辻製菓に入学することになったのです。辻製菓に入学したのは僕はお菓子も好きだったし、まだパティシエなんて職業名も一般化していなかったですから、自分はその方向に行こう、と思ったんです。
辻:料理人からパティシエへの方向転換の理由は単純だった?
鎧塚:単純でしたね。まずはケーキを食べることが好きだったことがありますね。あと当時付き合っていた彼女がケーキを大好きだったということもありますけれど。
(笑)
この話どこかでお聞きになりました?
辻:いいえ
鎧塚:ずいぶん前に何かのインタビューで「当時付き合っていた彼女がケーキ屋さんの奥さんになるのが夢だったんです」とポロッと言ったことがあるんです。そしたら<彼女の夢をかなえるためにパティシエになり、大成功!>って週刊誌に書かれたんですよ。
(笑)
辻:もし、彼女が、どうでもいいんですけれどねこの話(笑)和菓子が好きだったら和菓子の世界に入っていたかも知れない?
鎧塚:かも知れない(笑)
辻:要するに女性に感化されやすい(笑)
鎧塚:いや、そういう意味じゃないですよ。ケーキ大好きでしたけれどひとりでケーキ屋を食べ巡るということはなかなか難しいじゃないですか、でも、彼女もケーキ好きだったのでいろんな店を食べ回ることができたことがきっかけですよ。ですから、もし、彼女が和菓子好きで和菓子屋さんを食べ回っていたらひょっとして和菓子屋になっていたかも知れないですよね。
辻:いずれにせよ手を使う仕事を常に考えていらっしゃった?
鎧塚:はい、それはありました。父は何をやれというのは特になかったですが、とにかく「手に職をつけろ」とは言っていました。そうすると喰いぱぐれないと言っていました。
辻:今、振り返られて学生時代に絶対にやっておいたほうがいいことはなんですか?
鎧塚:その時にできることを精一杯やるということですね。僕がこの世界に入ったのが23歳のときですから「もう仕事を変えることはできないな」という気持ちがありましたし、学生の頃はものすごくまじめに取り組んでいました。授業料も自分で出したので毎時間先生から何か吸収してやろうというのはありました。
辻:今、学生時代に戻ったら何をしたいですか?
鎧塚:いや~僕は不器用な人間なんで、やはり今できることを精一杯やるだけだと思います。
<HP>六本木ミッドタウン 『Toshi Yoroizuka』
<『Toshi Yoroizuka』オーナーシェフ 鎧塚俊彦氏>次回の更新は12月17日(金)を予定しています。